菜の花のお話
□―僕の思うこと―
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僕は時々、何故生きているのだろうと思う時があります。
誰に問いただしても、「それを知る為に生きている」などと、ありきたりな答えが返ってきます。
それならば、そんなもの知りたくなければ、生きていなくてもいいのでしょうか。
自殺しようとした人に、「家族が悲しむ」とか、「諦めちゃいけない」と、引き留める人がいます。
家族がいない人は、誰が悲しんでくれると言うのでしょうか。諦めちゃいけないなんて、何を根拠にそんな事を言うのでしょうか。
そんなことを聞くたび、僕は思うのです。
僕の何がわかるのだ、と。
「自分は君の痛みがわやるよ」なんてフリをしている人を見るたび、そう思うのです。
家族も友達も、先生も、お医者さんも、誰も。僕の痛みなんてわかるはずないのです。
死にたいと思うこの心の痛みも、病気になって痛むこの苦しみも、どうやってわかると言うのでしょうか。
人間、実際に体験しなければ、わかるはずないのです。
それなのに、無神経にも「わかるよ」なんて言われると、その人の息の根を止めてやりたくなるのです。
それは、僕がいけないのでしょうか。
生きるのことも、死ぬことも、全部。
自分自身で決めてはいけないのでしょうか。
そんな自由すらも、ないのでしょうか。
人間と言う生き物は、実に傲慢で、残酷だと、僕は思います。