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□世界が美しいわけ
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※大人になったふたり
※雫視点
頭の中で瞬いていた物語の欠片たちがみな一斉に消えてしまった。ろうそくの火を消すように、ふっと消えてしまった。考えても考えても、頭の中はひっそりと静まり返っている。なにも沸き起こらない。お喋りする猫との大冒険、空飛ぶお城に魔法使いの少女、切なく甘い恋物語。私の大切な宝石の原石たちが何処かへ行ってしまった
私は物語が書けなくなった。秋の終わりのことだった
数年前におじいさんが亡くなり地球屋の扉が開かれることはなくなった。聖司が帰国したときにはおじいさんはもう光の向こうへと旅立った後で、行き場の失くした悲しみを持て余して聖司は私の前で泣き崩れた。私も聖司を抱きしめて泣いていた。バロンだけが私たちを見ていた
私と聖司を引き合わせてくれたおじいさん。あの頃からずっと、誰よりも近くで私たちを見守ってくれていたおじいさん。聖司の夢も私の夢も、見つけることができたのはおじいさんのお加減。おじいさん、其処から私たちがみえますか?隣には愛する人がいますか?ずっと焦がれ続けていたあの人がいますか?バロンも私も、まだ愛する人の隣には並べてません
ほんの一握りの中のひとりに、聖司はなった。夢を叶えたのだ。明日の食事もままならないような時もあった、造りたいものを造れなくて打ちのめされる時もあった。それでも聖司は諦めなかった。ひたすらに、自分の選んだ道を信じて突き進んだ。そうして得たものが、きっと今の素晴らしい日々。おじいさんのお葬式以来、聖司は日本に帰ってきていない
天国にもとどろくヴァイオリン職人に必ずなるよ
泣き腫らした瞳は凛としていて、優しい笑顔の中にも強さが生まれていた。だから雫も、天国にも知れ渡る物語を書くんだ。聖司が私の手を握りしめて言ったけれど、私は握り返すことが出来なかった。聖司はそうやっていつも私を置き去りにする。きらきら眩しい聖司があの頃から変わらないから、私もあの頃のままちっぽけだった。それが今でも恥ずかしい
陽が昇りきる前、私は秘密の場所に居た。聖司だけの秘密の場所が、聖司と私の秘密の場所になったのは随分と昔に思える。霞みがかる街を見渡して、また新しく生まれる“今日”を一緒に見ながら未来の約束をしたあの日。今日と同じ、吐く息が白い朝だった
「雫!」
『え…聖司…!?』
「久しぶりだな、ただいま!」
『ど、どうして此処に居るの!?いつ帰って来たの!?』
「実は、昨日の夜には帰って来てたんだ。驚かそうと思って。まさか此処で会えると思わなかった!」
『そうだったんだ、おかえりなさい…髪、伸びたね』
「ん?あぁ、そうかも。忙しくてしばらく切ってないからな」
『…そっか』
「なぁ、雫はよく此処に来てるのか?本当は今日の昼にでも雫を迎えに行って一緒に此処に来ようと思ってたんだぜ」
『うん、よく…って言うか、嬉しいこととか悲しいことがあった時にはつい来ちゃうかな』
「ふぅん…」
嬉しいことや悲しいこと。あの日からこれまでに数えきれないくらいあった。聖司がドイツへ行ってしばらくは悲しくて毎日のように此処へ来ていたし、初めて自分の書いた物語が本になった日は嬉しくて此処へ来た。変わりゆく街並みも此処から見ればあの日に戻る。楽しい時や苦しい時だって此処へ来て、あの日の思い出を蘇らせて私は今までやってきた
「…今はどっち?」
『え?』
「今は、嬉しいことがあったから?それとも悲しいことがあったから来た?」
『…悲しかったけど、嬉しくなって…でもやっぱり悲しくなった…』
「はは、なんだよそれ」
『…うん、可笑しいよね。……あのね、私ね、物語が書けなくなっちゃった。考えても考えてもダメなの。なんにも浮かばないの。それで悲しくて此処に来たら聖司に会えてすごく嬉しくなったんだけど、もう悲しくなっちゃった…聖司とバイバイしたあとみたいに悲しくなっちゃった。聖司は此処に居るのにね、私にもよくわからないや』
「雫…」
夢に重さがあるのなら、私よりも聖司の夢のほうが重いだろう。聖司は、言った通りきっともう天国にだってとどろいてる。だけど私はこんなところで立ち止まったまま、今までなにをしてきたんだろう。聖司のように1人では頑張れない私はあの日の聖司に縋っているばかりだし、おじいさんにも会いたくてたまらない。私がどれだけ頑張っても聖司には追い付けないような気がした
『聖司が遠いよ』
「なに言ってるんだ、俺は雫の傍に居る。昔も今も、傍に居るさ」
『…分かってるの、少し勉強したくらいじゃダメだって。少し売れたくらいじゃダメだって。書きたい話を書けなければ意味が無いって』
「雫の書きたい物語ってどんなの?」
『…まだぼんやりしか分からないけれど、此処に留まったままじゃ書けないことだけははっきりしてるの』
「……」
『でも怖い…すごく怖い…大切な場所を出てひとりで一歩を踏み出す勇気が無いの…私には、あの唄のようには生きられない…!』
堪えてた涙がぼろぼろと落ちて、私は必死に拭うけど涙は止まらない。私よりずっと背の高くなった聖司が後ろから抱きしめくれた。久しぶりの聖司の匂いと体温で、涙がいっそう溢れる
もっとたくさんの景色が見たい。たくさんの世界に触れたい。だけど、此処を離れてしまったら聖司に永遠に会えない気がして怖い。思い出を全部、捨てなければならない気がして怖い。なにかの支えも無しに私は立っていられる自信がない
「…なあ、ごめんな。俺はまた自分のことしか考えてなかった」
『…ちが…っ、違うの、自分のことしか考えてないのはあたしなの…聖司はいつだって優しい…』
「…雫、初めて此処に連れてきた日のことを覚えてるか?」
『…忘れた日なんか、ないよ……』
「はは、俺も。…あの時さ俺言っただろう、坂道だって雫を乗せてのぼるって」
『…お荷物はイヤって、あたしは言った…』
「荷物なんかじゃないさ」
『嘘!だってあたし、弱音ばかり…聖司は一生懸命頑張ってるのに、あたしは弱音を吐いてるだけだもの』
「そんなことない。雫、俺がどうしてドイツで頑張っていられたか分かる?」
『…聖司は、すごいよ…』
「そうじゃない、雫が此処に居たからさ」
『…そんな、あたし…なんにもしてない…』
「雫が此処に居て、形は違っても同じ夢を追っているって考えたら頑張れた」
『……』
「此処に帰れば雫が待っててくれるって考えたら頑張れた…俺が立派になったら雫が自分のことのように喜んでくれるって考えたら、どんなに辛いときも頑張ってこれたんだ。雫が居なかった俺はとっくに逃げ出してたかもしれない」
『…でも…』
「…雫、一緒にドイツに行こう」
『え…!?』
「贅沢はあんまりさせてあげられないけど、2人で生活出来るだけのお金が貯まったんだ」
『そ、そんな…わ、悪いよ…』
「悪くなんかない、ずっと決めてたことなんだ」
『で、でも…』
「それにバロンの恋人だって、ドイツに居るかもしれないし」
『それは…そう、だけど…』
「俺さ、雫の物語をいちばんに読みたい」
『…え』
「初めて書いた物語も、初めて本になった物語も、じいちゃんがいちばんなんだもんな、ちょっと妬けるよ」
『そ、それは…!』
「ははは、嘘。それで良かったんだよ。でもさ、次は俺がいちばんに読みたい。その次からもずっと、雫の書いた物語をいちばんに読ませてほしいんだ」
『…聖司』
「ひとりで踏み出せないならふたりで踏み出せばいい。ひとりが怖いなら、手を繋ぐから。ひとりで全部頑張る必要なんてない、一緒に歩こう」
『…せいじ』
「もう一度言うときも此処でって決めてた」
『…なに…?』
「雫…俺と結婚してくれないか」
『…あ』
「しずく、大好きだ」
陽が昇る。ゆっくりとでも確実に“今日”がくる。ずっと同じ時の中にはいられない。“昨日”を大切に胸にしまって、時計の針を動かさなれけばならない。昔におじいさんがドワーフの古時計のねじを回していたように、私の中の時計のねじを聖司が静かに回した
散り散りになっていた物語の欠片たちが集まりだす。いちばん奥では宝石の結晶がきらきら光る。かちり、進みだす音が確かに聞こえた。聖司には聖司の、私には私の時間があった。バラバラだった針が重なり合い同じ速度で進みだす。ひとりでもがいていた時間も、この瞬間の為に必要な時間だったのかもしれない
『うん…っ!』
おじいさん、今度の物語はいちばんには読ませてあげられないけれど代わりに大切なあの人と、一緒に読んでください。バロンのことは私たちに任せてください。必ず恋人のもとへ連れていくから
胸に柔らかく触れて煌めくような、そんな素敵な物語を書きたい。私はまだまだ光ることが出来るよね。霧が晴れた街は、懐かしいような初めてのような不思議な風景に見えた
どちらだとしても、それはとても綺麗だった
世界が美しいわけ
(過去が未来を照らして)(明日がみえない)(人はそれを希望と呼ぶのだ)
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まじこの二人好きなの