□うつくしきひと
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傷の付いた腹は痛むがそれ以上に心が、私の妻が泣いていることで痛かった。


(嗚呼、泣くな。)


「…ながっ…まさ…さまっ」

私の上で嗚咽混じりに泣きじゃくる市の頬をそっと撫でる。
感じたその温かみに少し安心した。

「泣くな…市」
「でも…傷が…ひどい…」
「これくらいで死にはしない」「いや…長政様…」
「泣くなといっているだろう」
ぐすぐすと胸に顔を埋めて市は泣く。

「人は…流れには逆らえないから…。だから涙を流すの、悲しいから」
「…今お前は悲しいのか」
「ちがう…の。さっきまではそうだったけど…、長政様がだんだん冷たくなるから…。」
「今は」
「嬉しくて…泣くの。長政様が生きているから…」

言葉も、零れる雫さえも、この女から出る物は全てが美しいと思った。

そっと、愛でるように涙を拭ってやる。

「お前が嬉し泣きか…。」

いつも闇に捕われ、悲観的な妻。
しかし変われた。この女は。

そして、守らなければ。
少し世界と優しくなれた妻を。
自分が、夫が。

「長政様?」
「前言撤回だ。泣いてもいいぞ、今だけな。嬉し泣き限定だが」

丁寧に、慎重に、優しく抱きしめる。
市は一瞬驚いたように目を見開いたが、直ぐにニコリと笑った。



「長政様…笑った」
「む…」
「ふふふ、長政様がそんな風に笑うなんて珍しい…」



どうやら変われたのは妻だけではないそうだ。





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