貧困問題(西川) ポリティカルキリング(土地)

□ポリティカルキリング 土地
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Political killings −exposure in Dumaguete−



はじめに

私はドゥマゲテから車で30分ほど離れたシブラン市でエクスポージャーを行った。そして、サンアントニオ村に住むThelma家族の家でホームステイをした。エクスポージャー期間中に2回、同じ敷地内に住むRaman Silvano さんにインタビューをした。彼の父は当時ファーマーグループのリーダーであった。


<暴力>

 Ramanの父は1986年当時、ネグロス島のセンタカタリーナで政府の土地を借りて米作りをしていた。そのファーマーグループは借りられる農地の面積が少ないことに不満を持ち、政府の役所の前でデモを行うなど反抗をした。しかし、ある日別のコミュニティのファーマーグループのリーダーがNPAに疑われて殺されてしまう。彼は家に帰る途中の夜道で、銃で撃たれ亡くなった。
 直接的暴力はNPAによるkillingである。そして、政府が彼らの権利を無視したことも挙げられる。
 構造的暴力は農民が自分の土地を持っていないことである。そして、農民たちが権利の実現を願うことすらできないという社会背景も存在する。また、フィリピン政府が彼らの権利を無視しても誰からも咎められず、許されてしまうことも構造的暴力なのではないか。


<自力更生>

 自力更生をRamanの父のファーマーグループは既に行っていた。ファーマーグループの人々はお互いに自分たちの状況を教えあい、自分たちの権利について話していた。政府の役所の前でデモも行っている。
 しかし、NPAによる暗殺があり、Ramanの父は自分が標的になることを恐れ、パラワンに逃げた。Ramanはもし父がセンタカタリーナに残っていたら殺されていたと考えている。なぜならその当時、ファーマーグループのリーダーが次々と殺されていたからである。
 自力更生としてはお互いに自分たちの権利について考え知ること・農民が政府やNPAに対して法的に訴えること・そのエリアから逃げることが挙げられる。


<阻害要因>

 阻害要因はなんといっても暗殺への恐怖である。自力更生のために立ち上がっても殺されては何の活動もできなくなってしまう。またひとりひとりの作地面積が1~2ヘクタールと少ないので低所得になることも阻害要因だ。


<連携>

 連携は国内に密着しているNGOに守ってもらうこと、NPAと政府の間で平和的解決を目指した会合を開くことが考えられる。
私が初日にインタビューをしたシリマン大学付属の“Justice and Peace Center”というNGOは、人権保護のために地域に密着した活動を行っている。このJustice and Peace Centerはシリマン大学によって2005年に設立された団体であり、シリマン大学の先生とプロの職員で構成されている。生徒にも正義と平和について教え、一緒に活動している。このNGOの主な活動の中心は人権問題である。人権が守られていない人々に、人権の大切さや現在の村の粗悪な環境を教えることによって、自分の状況を知ってもらう。そして、月に何度も村に入りこんで一緒に生活することによって、村の問題を住民たちと共に解決しようと取り組んでいる。私が取材をしたシブランのオコイ村には戦争地などから逃げてきた家族も何家族か暮らしており、その住民の保護にも力を注いでいる。
私はJustice and Peace centerは村の人々の自力更生のために重要な役割を果たすと感じた。


<関与>

 関与は自分自身がNGOや国際的な活動に参加することで、この問題を自ら解決するように働きかけることが挙げられる。そして、もっと深くこの問題への知識を深め、周囲の人々に伝えていくことが大切だと感じた。


おわりに

 私はエクスポージャーを通してポリティカルキリングの現状に触れることができた。被害者の方々の実体験を聞かせていただいたり、実際に密接にコミュニティと関わっているNGOの方の話を聞くことができた。エクスポージャーでは得るものが多く、日本に住んでいるときに思っていた以上に深く考えさせられた。ポリティカルキリングはとても難しい問題である。私はこの問題の解決の鍵は農地改革にあると感じた。被害者の人々がこの問題に打ち勝つためにできることは逃げることだけではない。私は政府が変わること、もっと地域に密接に関わっているローカルNGOが積極的に動くことが大事であると感じた。これからもこの問題について考え続けていきたい。

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