蜃気楼小説

□やってみようシリーズA
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最近、社員達がよく噂している男。それが、直江信綱という男。
何でも、海外の大企業で働いていたところを社長が直々に連れてきたエリートで、相当、頭のキレる奴。
しかも俳優ばりに男前。ガッチリした体格に、それに見合った長身。仕事の鬼で、社内一の美女の誘いも「そんな暇はない」と一言で切り捨てるクールな男。
それでも、遊びでもイイから抱かれたいと思わせる程のイイ男。

(どんな奴だよ…)

ほとんどがOL達の噂話から構成されている「直江信綱」なる人物。
実はまだ、高耶は見た事がなかった。
今まで、他人に興味をもった事がない高耶だったが、さすがに皆が騒ぐ直江を一目だけでも見てみたいと思い、彼のオフィスの前を通り、気にかけたりしていたのだが、あいにく目にする機会がなかったのだった。

「ふ…ん。直江ね…」




コツコツコツ

夜11時のオフィス内に、高耶のたてる靴の音が響いている。
8時、9時頃まではちらほらと残業している人間もいたのだが、11時ともなるとほとんどの階が無人と化していた。
暗闇の中、8階までやって来た高耶は、奥の部屋からうっすらと漏れる明かりに気が付いた。

(いた。「あいつ」だ…)

何となく、高揚感が高耶を包む。人の気配があるから、「あの男」がいるのは間違いなかった。
自分の響かせる靴の音をやけに大きく感じながら、高耶は明かりのついた部屋へと近付いて行く――――

「…だから、何度も同じ事を言わせないで下さい。この取り引きが終わったら、アメリカへ帰ると、何度も言ってるじゃないですか! ……ええ。いえ、いくら兄さんの頼みでもそれだけは譲れません。それでなくても、社長の弟という事も周りには隠しているのに…」

(えっ、社長の弟…?)

見えてきた広い背中は、電話ごしの相手に何やら怒りをぶつけているようで。
しかも、その内容はどうやら聞いてはいけないものらしく……。

「はい。…兄さん、俺はもう『橘』の名は捨てたんです」

ふうっと大きく息を吐くその背中を、高耶はじっと凝視していたが、やがてハッと我に返った。

(ヤバイ。俺、ここにいてちゃダメだよな…)

直江が社長の弟という事は、どうやら周囲には隠しているらしい。
一介の警備員である自分が耳に入れていい話ではないと悟った高耶は、くるりと回れ右をした。

(逃げよう…)

今なら、男は背中を向けているから気付かれない。
そう判断した高耶は、そのままオフィスを去ろうとしたが…………。






ガサガサ

足元を黒い何かが横切った瞬間、高耶は背筋が凍り付くのを感じた。
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