蜃気楼小説

□やってみようシリーズA
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ピピピピ ピピピピ

午後3時。アラームと同時に起きる。

「ぅ…ん……」

大きく伸びを一つ。すぐには起き上がらず、肩を動かしてから布団を出る。
そのままシャワーを浴びて服を着替え、ブラックコーヒーを一杯飲む。
そして、郵便受けに入ったままになっていた朝刊に目を通す事、30分。

「時間だ」

午後4時。アパートとバイクの鍵を手に、玄関を出る。
バイクに跨がりエンジンをかけると、ブルンッとハンドルから振動が伝わる。




「行こうか」

愛車にそう声をかけた高耶は、そのまま滑るような動きで出発した―――――――――



『ねえ、ねえ。今度、海外企画部に来た室長、知ってる〜?』

『当たり前じゃない! 顔も頭も身体もバッチリ! おまけに、実家は不動産屋らしいわよ!!』

『受付の南出あゆみが迫ったけど、あっさりかわされたらしいじゃない』

『ハハッ、ざまあみろよ。あれだけ揃ったイイ男だもん。南出じゃ無理よ』

『じゃあ、わたし達じゃもっとムリじゃん…』

『………』



『『ハア…。もっとお近付きになりたい………、直江室長』』






「お疲れ」

制服に着替えて警備員室に入ってきた高耶。
いくつもの監視モニターの前でふんぞり返っている男に声をかけた。

「よっ。待ってたぜ」

イスに浅く腰かけ、長い足をテーブルの上に投げ出していたその男は、ニヤリと笑って大きく伸びをした。

「本日も異常なし。何もなさ過ぎて死んじまいそうだったぜ。ハプニングでもあれば、おもしろいのによ」

「千秋」

物騒な発言を、高耶はじろりと一瞥し、窘める。

「そんな目するな、大将」

口元を歪めて笑う千秋。
華やかな美貌をもつ彼がそんな風に笑うと、やけに似合う。

「さっ、交代交代。俺、これからデートなんだよな」

立ち上がって高耶の肩をポンッと叩いた千秋は、「あっ、そうだ」と思い出したように口を開いた。

「今日は一人、残業で遅くまで残るヤツがいるって言ってたぞ。確か、企画部のヤツだったかな」

「分かった。ほら、早く行かねぇとねーさんまた怒るぞ」

「わっ、あやちゃん怒らせると怖ぇーからな。じゃな、高耶!」

「おう」

軽く手を振り、千秋は去って行った。
高耶はフゥッと一つ息を吐くと、制服と同じ色の帽子を深く被り、顔を上げた。

午後5時。仕事開始だ。





仰木 高耶は、19歳になる青年だ。
高校卒業後、バイトを転々としていたところ、2コ上の先輩だった千秋に声をかけられ、今の警備員の仕事を始めた。
家族は妹が一人。両親は幼い頃に交通事故で亡くなり、高校1年生の妹も今は全寮制の女子校に通っている。
養ってくれていた親戚は裕福な家庭で、気兼ねする仰木兄妹を温かく育ててくれた。




午後5時半。日勤業務を終えた社員達が賑やかに帰って行くのを、玄関ホールで見送る。
ここ「橘コーポレーション」は、社員300人を抱える企業で、不況と呼ばれるこの時代、業績を延ばしている数少ない企業でもあった。

「ねえねえ、今日の第1営業部との飲み会、どこでだっけ〜?」

「うそ〜。わたし、聞いてない」

「課長、明日のゴルフですが…」

社員達は金曜日という事もあり、皆、表情は明るい。アフターや休日をどう過ごすかで、頭が一杯なのだろう。

「直江室長も飲み会行かないかなあ〜」

「ムリムリ。自分の歓迎会だって、仕事優先で行かなかったのよ。来るわけないじゃない」

「そうよ。それに今、大きな取り引き抱えてて、それどころじゃないみたいよ」

「えっ、じゃあ今日も残業なの? やっぱデキる男は違うわね〜」

ホール内でのOL達の会話を何気なく聞いていた高耶は、耳にした「直江」という名前に小さく反応した。

(そうか。千秋が言ってた企画部のヤツって、あの「直江」か…)
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