書物の欄 伍

□そして彼女の現実は砕け散る
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ジャラジャラと、硬貨のぶつかり合う音が響く。卓に広げた硬貨を何度も何度も数える男が1人。家には他に、寝台に臥せる少女。そして、傍にある人形


「足りない……こんな端金ではエルの治療費は払えない……。人形をちまちまと売っていては、いつになるかわからない。やはり、伯爵の話を受け入れるしか……」


ゴクリ。喉を鳴らした男は、異様な目付きで自身の両掌を見つめた
その様子を眺める人形。虚ろなはずの目が、なぜか光って見えた


――ねぇ、お父様。エルはここにいる。身体だって全然痛くないわ。こっちを向いて、私を見て。お父様


「エリシア。お父様は仕事に行ってくる。エリザベスと一緒に良い子にしていてくれるかい?」

「行ってらっしゃい、お父様……ゴホッ、ゲホッ」

「エル……ごめんな。もうすぐ、あと少しでエルの病気は治るんだよ。だから、もう少しだけ我慢しておくれ」


不慣れな手つきで、恐る恐る少女の頭を撫でる。対するエリシアは、寂しそうに男の服の裾を掴んだ


「お父様……」

「なんだい?エル」

「……ううん、なんでもない。行ってらっしゃい、お父様」

「あぁ、行ってくるよ」

「気を付けてね」

「ありがとう。さぁ、おやすみ」


ゆっくり立ち上がり、静かに家を出る。もう綺麗な自分はエルの目に入ることはない。今度会うときは、人殺しの男になってしまうのだから
男の予想は外れることとなる。それは、心のどこかで知っていたのかもしれないと、後から悔やむのだった


部屋に残されたエリシアは、徐々に冷たくなっていく四肢に、死の気配を感じ取った。そして枕元の人形を抱き締めた
自身を温めるように
人形を温めるように


「ねぇ、ベス。お父様が帰ってきたら、また楽園の話を聞きたいね。楽園はきっとすばらしいわ。なんでもあるんだって。……エルのお母様もいるのかしら」

――私は「ベス」じゃない。「エル」よ。間違えないでって、いつも言ってるじゃない


エリザベスと向かい合うように抱き上げ、本当に会話をしているかのようだった。重力に従ったエリザベスの髪が、顔に影を落とした


「まだいっぱい聞きたいことがあるの。楽園ではどんな花が咲いて、どんな鳥が歌うのかしら」

――楽園ではどんな恋が咲いて、お父様はエルにどんな愛を謳ってくれるのかしら

「エルの病気が治ったら、身体は痛くなくなるのかしら」

――エルが人間になれたら、心は痛くなくなるのかしら

「楽園に行ったら、お父様も仕事をしなくてもよくなって、エルとずっと一緒にいられるようになるのかしら」

――楽園に行ったら、エルがお父様の「エル」になって、ずっと一緒にいられるのかしら

「ねぇ、お父様……」
――ねぇ、お父様……


ゴトリ。人形が頭から落ちた。投げ出された手足と髪の毛が広がった
パタリ。落ちた両腕は、綺麗に身体に並んだ。ぼろい毛布の上に、綺麗にのっていた


ねぇ、お父様……
ずっと一緒にいられるの――?



Fin.

病弱の娘……エリシア(エル)
人形……エリザベス(ベス/自称エル)
09.04.15

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