―風の想い―
□ガラスの獣《後編》
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「サンジ…君?」
ナミが自分を呼んでいる、が、その声は今のサンジには届かなかった。今サンジの中にあるのは…引きちぎられそうな胸の痛みと、押し潰されそうな程の罪悪感だけだった。
「最、低だっ…俺は…」
思い出した、思い出してしまった、何もかも。俺が…ゾロに…何をしてしまったのかも…全て…。
『まさか。知るわけ無いじゃないですか、こんな奴。』
『………!!』
『こんな知りもしないクソ野郎の為に…愛しい貴女との時間が割かれたと思うと腹立たしい位ですよ。』
大きく見開かれた翡翠の瞳。困惑と悲しみの色を讃えて…信じられないと、言われた意味を信じたくない…と、口には出さずともその瞳が語っていた。なのに…俺は……。
『何度も何度もうるせぇな!!俺はテメェみたいなクソ野郎が大嫌いなんだよ!!俺の名前を軽々しく呼びやがって‥気持ち悪ぃ!!……消えな…。』
出来ることなら…そう言った時の自分を蹴り殺してやりたかった。“忘れてたから”だなんて…そんな言い訳で済まされる程、俺がした事は軽い事じゃない。例え、自分以外の人間がソレを許したとしても、絶対に自分は許せない。
「…ゾロっ!!」
ぱたぱたっ、と乾いた音と共に、幾つもの水滴がキッチンの床を濡らしていく。涙を止めることが出来なかった。自分のした事で、ゾロを傷つけた。“愛してる”と告げたこの口で、俺は“消えろ”と言った。ゾロにしてみればその言葉は…“完全な裏切り”の言葉だった。
「……俺はっ、取り返しのつかない事を…!!!」
「サンジ君…まさか、記憶が…!!?」
心配そうにサンジを見つめていたナミは、僅かな期待を込めた口調でサンジに尋ねた。その声に、やっとナミの存在に気付いたのか、サンジは驚いたように顔をあげた。
「ナ、ミ…さん?あっ、お…れ…」
「サンジ君!!戻ったの!?記憶!!」
確かめるように聞いてくるナミに、サンジは力なく微笑んだ。
「え、えぇ。思い出しましたよ…でも、もう……俺は、ゾロに…」
会えない、会える訳が無い、と。蒼い目を伏せながら、サンジは呟いた。
「どうして…」
「……?」
「どうしてそんな事言うのよ!!!!」
いきなりのナミの怒鳴り声に、サンジは伏せていた目をあげた。そこには…泣きたいのを、必死に我慢しながらサンジを睨み付けているナミの姿があった。
「サンジ君が何をどう思ってるかは分からないけど…一番辛くて、苦しんでるのはゾロよ!!!!今、ゾロがどんな状態にあるか分かる!?クルー全員、ルフィにまで心を閉ざして…まるで“心の無い人形”よ!!」
ぽろぽろ、とナミの頬を堰を切ったように涙が流れ出す。それでも尚、ナミは話すのを止めなかった。
「サンジ君だけなの!!ゾロを助けられるのは!!あたしでも、ルフィでもない…サンジ君だけなのよ…」
段々と、小さくなっていく声。それに反する様に聞こえてくる嗚咽。キッチンの床に落ちていく雫を見ながら、サンジはつい先程見た光景を思い出していた。
―表情も変えずに、たった一人で、誰よりも悲しい涙を流していた…愛しい人―
「最低な奴ですね、俺は…」
「サンジっ…君?」
「二人も、自分の大切な人を泣かしてしまいました」
ぐいっ、と乱暴に目元を拭って、サンジはゆっくりとナミに微笑んだ。
「ゾロの所に…行ってきます。どんな風になるか、分からないけど……」
「………。」
「泣くのは、本当にどうしようも無くなった時だけにしますよ。」
ゆっくりと、サンジはキッチンのドアを開けた。凛と、冷えた空気が頬を撫で、火照っていた熱と共に混沌としていた頭の中を、冷静な思考に戻していく。
「………。」
サンジは、冷たい夜風の中へと足を踏み出した。