―風の想い―
□ガラスの獣《前編》
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今も頭から離れない。
“愛してる”
と…本当に愛しげな目をして、お前が俺に囁いてくれた言葉。
―何故、あの時…俺は……お前のその言葉を信じてしまったのだろう。
こんな思いをするくらいなら、あんな感情なんて…始めから………
…捨ててしまえばよかった
『ガラスの獣』
「サ…ンジ……」
小さく呟いた俺のその言葉は…目の前を歩いていた相手にはっきりと届いてしまった。
「…………。」
振り返ったソイツは、まるで嫌なものでも見たかのように眉を寄せる。
「お知り合いなんですか、サンジさん?」
するり、と腕を絡ませながら媚びたような声を出す黒髪の女に……サンジは笑いかけ、ぐいっ、と強く引き寄せた。
「まさか。知るわけ無いじゃないですか、こんな奴。」
「………!!」
「こんな知りもしないクソ野郎の為に…愛しい貴女との時間が割かれたと思うと腹立たしい位ですよ。」
「まぁ、サンジさんったら」
くすくす、と可愛らしく笑うその女の額に…サンジはちゅっ、とキスを落とした。その目は…ふんわりと優しく……“恋人同士”以外何にも見えなくて…。
俺は無意識にサンジの名を呼んでしまった。
「……サンジ…」
その名前を口にした瞬間、まるで憎い敵を見るような目で、サンジは俺を睨み付けた。
「何度も何度もうるせぇな!!俺はテメェみたいなクソ野郎が大嫌いなんだよ!!俺の名前を軽々しく呼びやがって‥気持ち悪ぃ!!……消えな…。」
……あぁ、分かった。
苦々しく言葉を吐くサンジから俺は目を逸らし、顔を伏せた。馬鹿みたいだ。サンジの気持ちは……始めから…。
ぐっ、と俺は強く自分の手を握り締める。握力のせいで爪が手の皮膚を突き破り、中の肉を抉る。それでも…力を緩められない。こうでもしなければ、今この場で泣きだしてしまいそうだった。
「……すまねぇ。人、違いだったみたいだ。」
「………。」
「邪魔して…不快な思いさせちまって、悪かった。」
震えそうになる声を何とか押さえて、そう告げた。そして…俺はその場から離れた……否、逃げだした。
走りながらだんだんと視界が滲んでくる。
(…情けねぇ)
宛ても無く走り続けて…手で頬を伝う涙を拭う。大したことじゃない…そう思っても溢れる涙は止まらない。
「……ク、ソッ…」
流れる涙を止めたくて…俺は強く唇を噛んだ。
走り疲れて、いつのまにか寄り掛かっていた一本の木。道端に、ただ旅人を癒す為だけに在るようなその大きな木の下で。俺は弱々しく幹を叩いた。
「どうしてっ…お前は、俺をっ…!!」
もう…耐えられなかった。ぱたぱた、と地面に幾つもの黒い染みが出来ていく。噛み締めていた唇からは、血が滲み、黒の染みの中に鮮やかな紅い色を残していった。
「…っ、サンジ…!!!!」
頬を流れる涙は、何時までたっても止まる気配を見せなかった。
「どうなさったの?サンジさん」
立ち止まったままの俺を見て、隣に居たレディが声をかける。当然のように、俺は笑顔でそれに答えた。
「別に、何でもありませんよ?でも、貴女が俺の事を気にしてくれた事だけで、俺は天にも登るくらい嬉しいですがね。」
「ふふっ、サンジさんは本当にお世辞が上手ね。」
「お世辞なんてとんでもない。俺は本当の事を言っているだけですよ?さぁ、行きましょうか。」
そう……本当に何でもない。
(…………考えるだけ…無駄だな)
俺はゆっくりとレディの手をとりながら、夜の街へと繰り出していった。