雲の向こうは、いつも青空

□たったひとつの願い
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いつも通りの平日、昼休み。
ひかりは零れそうになる欠伸を噛み殺しながら廊下を歩いていた。昨日の夜、一人で横断幕を繕っていたら時間を忘れていた。急いで帰宅した後に今日提出の課題を思い出したのは良いが、それが予想以上に手強かったのだ。要するに、寝不足である。午後の授業に巣食う睡魔は手強い。眠気覚ましにカフェインを摂取しようと、ひかりの右手は小銭を握り締めている。
階段を降りて角を曲がると、自動販売機の前に見覚えのある人影を見つけた。

「道宮さん、」

3年1組 道宮結。女子バレー部の主将だ。ひかりの声に気付いて、自動販売機の中のサンプルを睨み付けていた道宮がこちらを向く。

「おー!空閑さんもジュース買いに来たの?」
「うん、眠気覚ましにコーヒーをね」

道宮は午後やばいよねーと笑いながら硬貨を入れる。その明るい笑顔が寝不足のひかりには少し眩しい。道宮とは部活での接点はほぼ無いが、バレーに関わっている者同士話が合う。隣のクラス故に合同授業も多い。会えば世間話をする仲だ。
落ちてきた紙パックを取り出す道宮の横で、隣の自動販売機に向かい目当てのものを見つけ出す。缶コーヒーではやはり豆を挽いて淹れたものより劣るが、仕方ない。

「そういえば、壮行式の挨拶よかったよ」

小銭を投入しながら先日行われた壮行会のことを思い出して、口にした。ピッという音と共に落ちてきた缶を取り出し並んで歩き出す。

「えっそお!?ありがと!…でも男バレもすごかったじゃん!」

女子バレー部の主将として道宮が述べた挨拶は、勝負に対する真っ直ぐな想いと部の団結力が伺える素敵なものだった。ひかりは感動して少し泣きそうになったのを思い出す。
道宮の後の男子バレー部も当然主将が行った。澤村が述べた挨拶は良く言えば真面目な、悪く言えば当たり障りの無いものだったのだが、きらびやかなスポットライトと派手な音楽、そして2年生のダンスパフォーマンスによって盛り上がりを見せたのだ。どうやら3年生の知らないところで1,2年生が画策していたらしい。あれはあれで楽しいとひかりは思ったが、後ろにいた清水はバカだと呟いて呆れていた。2年生の持っていたポンポンを月島が作ったらしいと後で聞いて、あの従弟にも協調性があったのかと感動していたら物凄く嫌そうな顔をされた。
それらを思い出して曖昧に苦笑いを溢しながら階段を昇る。

「インハイ予選、がんばってね」

ひかりは応援してる、と続けて微笑んだ。先に階段を昇りきった道宮が眩しい笑顔で頷く。その時、ひかりの方を向いて前を見ていなかった道宮が角を曲がってきた人物にぶつかった。

「悪い……って、道宮」
「っさ、澤村!」

男子バレー部主将、澤村だ。己がぶつかった人物を認識した道宮は目に見えて慌て出す。大丈夫かと問う澤村にぶんぶんと頭が取れそうなほど頷いている。

「珍しいな、お前らが一緒にいるの」
「あ、うん!自販機のとこで会ってさ!」

頬を染めてわたわたと言葉を返す道宮にひかりは笑みを溢す。分かりやすい。ひかりから見ればバレバレだと思うのだが、当の澤村はその好意に全く気付いていないのだから悩ましい。壮行式の話を始めた2人を微笑ましく見守っていたひかりの手の中の缶が、ヒョイと無くなった。

「空閑なに買ったの?」
「っす、菅原くん、」

気づかなかった。澤村の後ろにいたらしい菅原が寄ってきていたのだ。驚いたひかりは缶のラベルを見ている菅原を見上げる。手にした真っ黒い缶に、ブラック…と呟いている。

「ちょっと寝不足だから、眠気覚ましに…」
「寝不足?」

菅原がその言葉に訝しげに視線を寄越す。目が合った。そのまま顔を覗き込んできて、ひかりは声を詰まらせる。

「確かに、ちょっと顔色悪いべ」
「…っや、大丈夫だよ?」

低めのトーンで言った菅原が離れていく。しまった。寝不足は言うべきではなかったか。ひかりは大したことはないと主張して、離れた距離にほっと息を吐いた。
この間から、自分はどうも変だ。気がつくと目線で菅原の姿を探している。目が合えば肩が跳ね、思わず視線を逸らしてしまう。はにかむ彼に名前を呼ばれる度、大袈裟に心臓が飛び上がる。

「…まあ、無理はすんなよ」

そう言って菅原はひかりの手に缶を戻し、階段を降りる澤村を追っていった。

「…空閑さんって、」

傍らの道宮が呟いた。そちらを向いて先を促すように首を傾げる。そんなひかりを見て、道宮が慌てて何でもないと頭を横に振る。そのまま、じゃあね、と手を挙げて自分の教室に戻っていった。

先程より冷たさの無くなった缶を指で撫でる。本当は、分かっているのかもしれない。少女漫画のヒロインのような鈍感さは持ち合わせていないはずだ。でも、まだ、その感情を認めてしまうのは嫌だった。














数日後、IH予選が1週間後に迫った日曜日。
男子バレー部のマネージャー2人は、再び『シエロ』にて横断幕の修復作業を行うことになっていた。予定としては、今日で作業は終わりである。幸い残っているのは端のみだ。この調子で行けば終わらせることができるだろう。

今日の作業のお供はアッサム。粒の大きな苺ジャムを入れてロシアンティーにするのがひかりのお気に入りだ。
父が昨日から留守にしている為に部活を早退してきたひかりは、道具と茶葉の用意をしながら清水を待っていた。正直2日連続で早退するのは心苦しかった。只でさえ今はIH予選前の大事な時期だ。ケトルを火にかけて時計を見ると、もう練習は終わっている頃。そろそろ来るだろうか。夕方から母も休憩に入っている。店にはひかり一人だが、この時間帯ならば作業をしながらでも接客はできるだろう。
ティーポットとカップを温めていると、扉が開いてカランカランとベルが鳴った。清水だ。

「潔子、お疲れさま。いらっしゃい」

ひかりが顔を上げると、清水はお邪魔しますと言って微笑んだ。

「ごめんね今日も早退して…大丈夫だった?」
「うん、いつも通り」

ポットに茶葉を入れてお湯を注ぐ。清水は横断幕の置いてあるテーブル席に腰を下ろした。

「あ、さっき菅原がーーー」

かしゃん、とカップが音を立てた。器を温める為に入れていたお湯がほんの少し零れる。清水が呟いたその名前だけで、動揺するなんて。顔が赤くなっていることが自分でも分かる。

「ひかり、大丈夫?」
「だっ、だいじょーぶ!ごめん手が滑った!」

清水がテーブル席から声をかける。ひかりは零れた湯を拭き取って、カップに残った湯も捨てた。

「ごめん…で、何だっけ?」
「ううん何でもない。澤村が奢ってくれるけどどうかって、菅原が言ってたのを断ってきたってだけ」

蒸らし終わった紅茶を注いでカップを持っていくと、清水は何やら含みのある笑みを浮かべていた。これは確信犯だ。バレている。

「……………潔子」
「ふふ、意地悪してごめんね?」

口を尖らせて非難の目を向けると、清水は更に笑みを深める。ひかりが可愛くて、と笑う親友は今日も変わらず綺麗だが、その内容は頂けない。清水はその笑みを保ったまま続ける。

「また進展したら聞かせてね」
「進展って…」

そういうんじゃないのに、と言おうとしたが掘り下げられても困るので止めておいた。ひかりだって薄々気づいてはいるのだ。今まで2年間も友達だったのにとか、選手とマネージャーなのにとか、そういうものが引っ掛かるだけで。菅原が時折見せる瞳の意味も、分からない訳ではない。けれどハッキリとそう思ってしまうと自意識過剰のようで認めたくない。違っていたら大恥だ。何より、そうされたから意識しているという事実が何処か軽薄なように思えた。今確かに胸にある感情を認めるには、早急な気がして嫌だった。

その後は清水は何も聞いてこなかった。ひかりが針で怪我したら大変だし、と笑っていたがあながち否定できなかったので何も言わないことにした。閉店時間が迫っていたこともあり客も来なかった為、2人は作業に没頭していた。黙々と繕い物を続け、ようやく全ての穴が塞がった。2人で見落としが無いか確認する。あとはサプライズで披露するだけだ。
2人分の願いを込めて、縫い上げたそれ。どうか少しでも彼らの力となれますように。コートに立てないマネージャーからの精一杯のエール。

「…皆、喜んでくれるかな」

部員達を思い浮かべ、烏の色を前に2人で顔を見合わせて笑った。



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