雲の向こうは、いつも青空

□その背中を見つめて
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烏野高校排球部は、毎年ゴールデンウィークに合宿を行うのが恒例である。今年は5月2日から5月6日まで、部員達は学校が所有する合宿所に寝泊まりするのだ。そして最終日には『因縁のライバル』音駒高校との練習試合が予定されていた。













5月2日、6時半。
ひかりはコーヒーの薫り漂う喫茶店のカウンターで朝食を摂っていた。両親の経営する『喫茶シエロ』ーーー開店準備中だ。

「ひかり、今日は遅くなるの?」

ボウルをかき混ぜながら母が問う。ボウルの中身は本日のおすすめ、苺のショートケーキの生地だ。旬の苺は大きく甘い。『ジャムにするより生で食べて欲しい』とは母の持論である。

「うん、夜ごはん食べてくる。明日からは早めに上がらせてもらうから、2時くらいには帰るよ」

今日はまだ平日だが、明日からの連休は稼ぎ時。ひかりも家業を手伝うつもりだ。1年生の頃は早退させてもらうのが申し訳なくて萎縮もしていたが、3年目ともなれば皆理解を示してくれている。本当に有り難い。同じマネージャーの清水が宿泊しないことも、ひかりの罪悪感を減らしてくれていた。もし清水の家が遠かったら自分はどうしていただろうかと考えて、席を立つ。スカートの裾を払い、いつもと変わらない通学鞄を手に取った。

「ごちそうさま、行ってきまーす」

いってらっしゃい、と手を振る母に見送られて店を出る。カランカランと鳴るベルの音が、やけにひかりの耳に残った。













いつもと同じように授業を受け、いつもと同じように清水と共に部活に向かう。宿泊しないマネージャー2人にとって、この合宿は特段いつもと変わらないもののはずだった。しかし今年は因縁のライバルとの試合を控えている。どこか浮き足立ったように、どこか気の引き締まる思いで部活に臨んだ。
練習の後、合宿所に移動したひかりは清水と連れ立って夕食を作る為に台所へ向かう。既に武田が買い出しをしてくれていたようで、材料は揃っている。お肉、にんじん、じゃがいも、たまねぎーーー今日はカレーのようだ。

ーーあ、中辛。ーー

「…先生って自炊とかするんですか?」

いそいそとエプロンを着けている武田に、ひかりが問いかける。

「うん、あんまり得意じゃないけど一応はね」

ニコニコと答える武田はエプロン姿がやけに似合っている。腰の後ろできゅっと紐を結ぶと拳を握った。

「さて、お腹をすかせた彼らの為に、美味しいご飯を作りましょう!」

はい!と返事を返して、3人は野菜の皮剥きに取りかかった。



具材を炒め、煮込んでいる間にサラダと味噌汁を作る。カレーと味噌汁という組み合わせにひかりは疑問を覚えたが、明日の朝の分もあるのだろう。文句をつけるみたいになると思い、口にするのは止めておいた。アクを取ってルーを入れるとスパイスの良い香りが漂った。あとは、これを煮込むだけだ。鍋をかき混ぜる清水の隣で中を覗き込んでいたひかりに、空閑さん、と武田が声をかける。

「テーブルの準備も粗方終わりましたし、皆を呼んできてもらえますか?」
「はーい」

今は皆寝泊まりする部屋で寛いでいるはずだ。ひかりと清水に指示を出していた武田は手際良く自分の担当分も進めていた。カレーの辛味を和らげると言いながら大量のりんごをすりおろしていたし、明らかに普段から料理をする人間の動きだった。先生の奥さんになる人は幸せだなあ、と考えながらギシギシと鳴る階段を上がる。襖の前で呼びかけると、足音がして襖が開いた。

「皆ーご飯できたよー」
「おう、サンキュ」

顔を覗かせた澤村が礼を述べた傍から部員達はどやどやと出ていった。余程お腹をすかせていたのだろう、行動が早い。一番最後に残った月島と山口を見て、ひかりはあることに気がついた。

「…あれ?菅原くんと日向くんは?」
「あいつら、買い物行くって出ていったんだが…」

先程の部員達の中に、菅原と日向の顔が見当たらなかった。澤村が頭の後ろを掻き、まだ帰ってこないな、と苦笑する。買い物って、この短時間でどこまで行ったのだろうか。この辺りで店と呼べるものは坂ノ下商店くらいだ。合宿所に着いてからそんなに経っていないのにな、と考えながら澤村東峰と共に階段を降りる。月島と山口が後ろに続いた。

「お、今日はカレーだな」

すん、と鼻を鳴らして澤村が言う。食欲をそそる香りが廊下まで漂っていた。

「正解!…あ、先生があんまり辛くないようにしてくれたから大丈夫だよ、蛍ちゃん!」

ひかりが月島を振り返って笑顔を見せると、月島は眉を寄せた。味見をしたりんご入りのカレーはサッパリしていてとても美味しかった。

「…余計なこと言わないでよ」

月島は心底迷惑そうな顔をしてひかりに冷たい視線を寄越す。ツッキーは、と言いかけた山口を煩いと一蹴する。月島は辛いの苦手なのかあ、と東峰が掘り下げようとしたところで玄関の扉がガララと音を立てた。

「悪い!遅くなった!」

それぞれビニール袋を下げた菅原と日向が戻ってきた。

「大丈夫だよ、ご飯できたとこだから」
「良かったー!間に合ったー!」

日向がほっと胸を撫で下ろす。

「買えたのか?」

靴を脱ぐ2人に澤村が訊ねると、それぞれ袋からテーピングテープとサポーターを覗かせた。なるほど、スポーツ用品店なら徒歩で行くには少し遠い。バスで商店街の方まで行ってきたのだろう。くんくんと辺りに充満する香りを嗅いだ日向が、この匂いはもしやカレー!?と食堂へ走っていく。元気な日向の後ろ姿を目で追い、3年生は微笑ましいものを見るように笑っている。

「ひかり、」

同級生達のやりとりを眺めていたひかりに後ろから声がかかる。

「合宿終わったら、店行くから」
「へ?…ああうん、いいけど」

振り返ると月島が顔だけをこちらに向けていた。

「どうしたの?いつもはフラッと来るのに」
「別に、おばさんのショートケーキ食べたくなっただけ…ひかりのじゃなくて」
「えっ…やっぱりこの間の美味しくなかった?」

辛辣な言葉に不安が押し寄せたひかりは、踵を返す月島を追う。具体的な改善点を、と迫るが月島は自分で考えなよ、と軽くあしらいながら廊下を進んでいく。その様子を菅原がじっと見ていたことに、ひかりは気付かなかった。



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