飴乃寂
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£イタリア旅行記£
「ちゃおっス」
他に人がいないから遠慮なくぼんやりしていたので、返答に少し時間を要した。
「…………こんにちは、リボーンちゃん。また遊びに来てたの?」
放課後の図書室。そこで本を貸出す受付カウンターに座っていたら、どこからともなく目の前に赤ん坊が現れた。
いつもなら多少なりとも驚くのだろうが、感覚がマヒしている今は、気の利いたリアクションも取れない。
「ここんとこお前、元気ねーな」
「体はいたって健康よ」
お昼を食べた後の五時限目は、欲求に従って今日も居眠っていたのだし。
「コンタクトつける気力もねーのにか?」
「イメチェンよ」
たまには楽して眼鏡をしてきたっていいじゃない。
というか私、普段はコンタクトだと言っていたっけか。
いや急に眼鏡をかけて登校してきたら、目が悪くなったのか元々悪かったかのどちらかだ。
もちろんコンタクト用の目薬は持ち歩いているから、どこかで彼はそれを見かけただけなのかもしれない。
というか、
「心ここにあらずってとこだな」
「……あなた何しに来たの?図書室に用事がないなら帰ってもらえないかしら」
今は誰かとお喋りする気分ではないのだ。
図書委員としての仕事中だが、利用する生徒が全くいないので、今は自分の貸し切り状態。
カウンターに伏せて会話を拒絶するも、小さな来客は帰る気がないらしい。
ふとコーヒーの香りが、鼻腔をくすぐった。堂々とコーヒーブレイクときたか。
「お前ホントにイチノ以外に友達いねーんだな」
「ゔっ」
こいつ、人の痛いところのど真ん中をグサリと……。
「京子達も心配してたぞ。イチノが緊急入院してから、めっきり落ち込んでるってな」
「……」
「何度遊びに誘っても断られるし、笑ってるところを見るのも少なくなったし」
「…………」
「お前にとって、あいつらはあくまでもイチノの友達であって、お前とは直接関係ないやつらってことか?」
「違う!!それは違う!!」
反射的に顔を上げると、某コーヒーショップのコップを片手に持ったリボーンちゃんがいた。
上蓋を外しているから、熱すぎる中身を冷やしているらしい。
そのリボーンちゃんは、いつものポーカーフェイスでこちらを見ている。
その大きな瞳と目が合うと、自分の心の中など全て見透かされているような気がした。
俯き、その目を視界の外に追いやる。
「そんなことないわ……まだ上手く馴染めないけど、みんな気の良い友達よ」
いつもキラキラした笑顔を振りまいている京子ちゃんや、他校のハルちゃん。
花ちゃんとは図書室でもよく会うし、沢田達もなんだかんだで一緒にいる。
わいわい皆で盛り上がるような会話は自分からできないけれど、大切な友達だ。
けど。
カウンターに両肘をつき、俗にいうゲンドウポーズをとる。
「親しくなりすぎると、いつ際どい下ネタやホモネタを口走ってしまうか、それがあまりにも怖くて怖くて……」
「…………」
口走ったが最後。あんなに優しいクラスメイト達も、流石にドン引きして二度と口をきいてくれなくなるかもしれない。
そうなったら同志であるイチノちゃんが復活してきても、私と彼らの溝は埋まらない。
今度こそ、ぼっち確定だ。
「っていうか私が皆の前に出られないわ。こんな不純で不浄な腐れ野郎が、あんなピュアな子達に近づこうとする時点で、おこがましい行為だったのよ……!!」
眼鏡の下に手を滑り込ませて顔を覆い、自分の圧倒的思考を占める薔薇の世界を思い出す。
ああ友達と妄想、どっちをとるか。
悩むまでもない。私の友達は一生画面の向こう側から出てこないのだから、一生引き込もってパソコンにかじりつくしかない。
ジーザス!!!!!
「お前の爪のあかを、イチノにも飲ませてやりてーな」
「絶対悪化するから止めてちょうだい!!あの子は神ネタの宝庫なのに、私のせいで駄作になるわ!!」
「前言撤回だ。やっぱりお前ももう手遅れだったな」
頭を抱えて最悪な未来を想像する私に、褒められたのか貶されたのか分からないツッコミがとぶ。
「要はあいつに喋って消化したいことが多すぎて、人前で失言しないよう無口に徹してるんだな」
「そうよもうチャットじゃなくて生身の人間のリアクションがないと、スッキリしなくなっちゃったのよ……」
彼女が転校してくる前までは、自分のはけ口はインターネットだけだったが、直接的な会話がいかにキーを打つ面倒がなくて楽か、楽しいか。そして相手の顔を見ることで、ネットで蔓延る嘘偽りがなくて安心できるか。
それらと諸々の味をしめてしまった今じゃ、文字だけのやり取りではいくらやっても消化不良なのだ。
更にわざわざ書き込むほどではない些細なことも、今のメンツでは気楽に話せない。
「おまけにいつも一番に賛同して手伝ってくれるイチノちゃんがいないから、創作のモチベーションも上がらないし……」
来月の原稿、締切前に間に合うだろうか。
数ヵ月ぶりの!一人作業で!!本当に!!!入稿してコスプレ衣装まで用意できるだろうか!!?!!?
「大体イチノちゃんも次回は一緒にコスしてくれるって約束してたじゃないぃーーーーっ!!!!!」
めっっっちゃくちゃ楽しみにしてたのに!!!!!!!
ダンッと行き場のない気持ちをカウンターに叩きつけても、事態はもちろん変わらない。
仕方ない。仕方がないことだと分かっている。
それなら元気になるまでいくらでも見舞いにだって行く。
イベントなら元気になってからいくらでも行けるのだから、それまでは新作をあたためて待てばいい。
なのに。
「イタリアの病院に入院って……イチノちゃん、本当に大丈夫なの?」
リボーンちゃんを見上げると、視界がうっすらと歪んだ。
こんなことを聞いたって、気休めでしかない。
日本ではどうにもならないから、彼女はわざわざ海の向こうへ運ばれたのだ。
大丈夫なわけがないと、頭では分かっている。
ただ趣味の話をしたい以上に、ひたすら彼女の身が心配で、もしものことがあったらと、怖いのだ。
見舞いにも行けないし通信機器でのやり取りもできないこの状況が、気が滅入るほど嫌なのだ。
ペチ
可愛らしい音がして、額に紅葉のような手が置かれた。
そこから伝わる子供体温があたたかくて、一気に涙腺が緩む。
「意識が戻らない理由は不明だが、身体的には何も問題ないって話だ。世の中には何日か眠るだけの病気もあるそうだから、イチノもそのうちケロッとした顔で目覚めるかもしんねーぞ」
「…………うん」
そうしたら彼女は、こちらの気も知らずに間の抜けた顔で言うのだろう。
「みんな揃って何してるの?」
「コスプレも甘いし、声に限っては似ても似つかないわ」
素人を考慮しても、どうからどう見ても――――というかカツラも制服もサイズすら合ってない―――雑すぎるイチノちゃんのコスプレと声真似をするリボーンちゃんを一蹴する。
でも彼はちっともめげずに、そのままの格好で感慨深そうに腕を組んだ。
「この俺にそこまで言えるやつもそういない。やっぱりお前は見所あるな」
「愛人の件はもうお断りしているはずだけど?」
それでもまあ、自分が三十路を過ぎても独り身だったら考える。と言ったけれど。
「ならまずは俺の故郷の事を知ってもらわないとな」
「…………」
この子の耳は壊れているのかしら?
某マヨラーの新撰組を真似る時の視線を送っても、リボーンちゃんは我関せずといった体で一枚の紙切れを出した。
「イタリア行きのチケットだ」
「えっ」
イタリアといえば、今イチノちゃんがいる所じゃないか。
そうか。リボーンちゃんもイタリアから来たのだと、いつか聞いた気がする。
「個人的に獄寺が帰国する用事があってな。ついでに俺の分のチケットも頼んでおいたんだが、あいにく急用ができてキャンセルしようと思ってたんだ」
「そ、そう、なの……」
動揺しすぎて、言葉が上手く出てこなかった。
何故彼は、急にこんな話を始めたのだろうか。
「だから行きは獄寺が一緒だし、空港に着けば迎えの車が来る。どこか行きたい所があるなら、そいつらに言えばどこでも連れてってくれると思うぞ」
「……」
ほん、とうに……どうして、だ、ろう……。
「帰りも獄寺と一緒になるとは限らないが、少なくとも誰かが空港までは送ってくれるだろ。泊まるところも確保済みだから、寝床の心配もしなくていい。一泊だけの短い旅路だけどな」
落ち着く為にとったゲンドウポーズのまま、体が震える。
「でもわた……」
「英語すらできないお前でも、ボンゴレ製の優秀な翻訳機があるし、向こうの奴らを連れて通訳に使ってもいいぞ。全員俺の手下だからな」
あとは獄寺を連れ回すって手もあるな。という声が耳を通る間も、顎の下にあった手は額へと移動する。
「いっ、いつ……」
「今夜だ」
その時キーンコーンとチャイムが鳴り、最終下校を告げる放送と音楽がかかる。
この音楽が鳴りやまぬうちに校門から出ないと、あの黒い委員長に制裁をくだされるという、生徒達には恐怖の音楽として有名だ。
つまり、図書委員の仕事も終わりの時間でもある。
バァンッ
力任せにカウンターを叩いて立ち上がる。
窓の鍵は確認してから触ってないから、開いている心配はない。
なのですぐさま、図書室の鍵を片手に出口へ猛ダッシュ。
「今夜は神回だから録画しながら絶対にリアタイで見ようと思ったのにいぃーーーっ!!!!!!!」
帰ったら留守録してチャットに顔を出せないことを連絡して、イタリアでネタに出来そうな行きたい所を調べてキャリーケース一杯の薄い本を別の場所に隠さなければ!!!
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