飴乃寂
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£Love_is.....U£
「思ったよりずっと元気そうだね。何かいいことでもあった?」
日付が変わって夜。
無遠慮に「閉店」と掲げたドアを開けて入ってきた男は、そう言ってにっこり笑った。
その頬には、帰国前にはなかった痣がある。
もう以前の彼ではないことは、一目瞭然だった。
「君こそこの場所は教えてないのに、よく分かったね」
「ふふ、君も酷いね。僕のこともはじめから知ってたのに、知らないフリしちゃってさ」
店内は窓から射し込む月の光で照らされているだけだが、ソファに座ったお互いの顔を見るには十分だ。
靴を脱いでソファの上で体育座りしたまま、先に口を開いた。
「この前は助かったよ。あれが前知識ない時の助言だったら、もっと嬉しいんだけど」
「骸君のこと?記憶を得たのはあの後だから、素直に感謝してくれていいよ」
「そっか。じゃあ、ありがとう」
「どういたしまして♪」
会話もどこか感情からは切り離されていて、白々しいことこの上ない。
上辺だけ撫でる言葉が獄寺との不快なギャップを感じて、いつも勝手に飛び出ててくる言葉は一つもなかった。
これからどうなるのか、どうするのか。実はまだ決めていない。
白蘭と、どう付き合っていくのかも。
「分かってると思うけど、マーレリングを取りに来たんだ」
「目の前のテーブルに置いてあるでしょ」
「うん。君が譲ってくれるのは知ってたけど、君はこれからどうするの?」
「………。…………ボクは、これからどうなるの?」
アルコバレーノのように、呪いを誰かに引き継いだら死んでしまうのだろうか。
アリアさんから譲り受けた時から、重荷に感じていたマーレリングだ。
自分より器用に使いこなしそうな相手がいるなら喜んで譲りたいが、そこで自分の人生も終わってしまうなら、抵抗がある。
「ボンゴレリングのように世代に受け継がれていくのと違って、君みたいなパラレルワールドの人間が、僕にリングを運んでくる。今回はチェルベッロを通すことなく、僕が直接貰いに来たけどね。
君の心配事も、なんとなく分かるよ。リングを譲渡すればトリップ能力も失われるけど――――君の場合、それは死ぬことと同義だ。トリップ云々の前に、君の体は長生きするようにできてないから。元々帰る世界があった君は、一生こちら側にいる必要はなかったんだからね」
やはり、そうなのか。
「………………あのね、イチノちゃん」
何も言えずに俯くボクを諭すように、白蘭の声色は優しい。
「僕が生きてる君とこうして話せる世界は、ここだけなんだ。もうここにしかないんだよ」
「え……」
「もちろんはじめから君が存在しない世界もあるけど、あとはお兄さんを追うように死んでしまう。二人が一緒に生きてる世界も、どちらか片方だけが生き残ってる世界も、一つもないんだ。これって凄いことなんだよ」
数えきれない程のパラレルワールドを知っている人間からすれば、何もないゼロという確率は、世界の数分の一となる。
つまり、奇跡的で貴重な世界だ。
「だから僕は、この世界では、君の意見を尊重したい。君は、どうしたい?」
分かりやすいようにゆっくり区切りながら話すこの白蘭が、世界の征服者などと、誰が信じられようか。
足をおろして膝に手を置き、居住まいを正す。
すうと息を吸うと、白蘭もこちらに意識を向けるのが分かった。
白蘭の話を聞いている間に、やりたいことが一つ思い浮かんだから、それを噛まないように、ゆっくり口にする。
「君が知っている、陸のことを教えて。陸は、どんな人なの?」
驚いたように目を見開く白蘭に、笑ってみせる。
「君にしか、こんなこと聞けないから。君が知ってること、全部教えてほしい」
眉を寄せるなんて、白蘭らしくない。
何か、不都合なことでもあるのだろうか。
「君はリング、必要ないの?」
「リングだって棚の奥に放置されるより、使ってもらった方が嬉しいさ」
「死にたいの?」
「白蘭」
いさめるように、名前を呼ぶ。
「ボクは陸の為に、この世界に来たんだよ。でも陸のことを知りたいのは、ボクの為」
陸は――――骸は、それを必要としていないから、その分の陸を知ることは、二度とないけれど。
それ以外の、今まで通りすぎてきた世界の陸達を、知りたい。
でないと今までのボクだって、成仏できずにこの場に至るのかもしれないじゃないか。
「死にたくないよ。まだやりたいことだって沢山ある。だけど、それはこの世界でやらないと意味がないんだ。別の世界に行ってまで、生きたいとは思えないんだよ」
「でも、僕は違う!」
「!」
白蘭が立ち上がった拍子に、ソファが大きな音を立てて床を擦った。
「僕なら、ずっと君の傍にいてあげられる。君の記憶だってちゃんとある。どの世界に行っても、君の隣にいる。君を、絶対に一人にはしない」
「びゃ」
「君だって分かるでしょ?どこを見ても、見覚えのある景色と人間。初対面のやつが本当はどう思ってるかだって、みんな分かっちゃうんだ。どいつが嘘つきで、正直者で……」
ソファの背もたれに白蘭が手をつき、距離を狭める。
ああ前にも、こんなことがあった。
その時の白蘭も、ケガを隠すボクを心配してくれていたんだっけ。
「なのに人の心なんて、簡単に変わっちゃう。言葉も誰も、何も信用できない…………君だけなんだ。君だけが、僕と本当に心を共有してくれる」
同じ境遇や能力を持てば、悩みや思考が似ていても不思議ではない。
現に白蘭とは以前からとても気が合っていたし、嫌いではない。
でもボクの思考を奪ったのは、それ以上に予想外な言葉が飛び出してきたからだ。
「ねえ、僕を…………陸って呼んで。僕が、君の陸になるから」
は?と口にした息は、きちんと声になっていただろうか。
いつも悠々としている白蘭らしくない、苦悶の表情。
冗談で言っているようにも、ボクを仲間にしたいが為の演技をしているようにも見えないのだから、余計に困惑した。
「君達の関係は知ってるよ。どんな生活をしていたのか、どんな交友関係を築いていたか……全部、調べたから。僕が陸になれば、君がどの世界に行こうと陸がいる。君だってずっと、陸と一緒にいられるんだ」
必要だ。私の為に、あなたが必要だ。
私には、あなただけが必要だ。
白蘭はそれだけを、必死に説いているようだ。
『あなたが僕の望む答えをくれれば、これからも僕は、あなたの兄として振る舞いますよ?』
骸の声が、頭の中で反芻する。
どうして二人は、こんなことを言うのだろう。
目的は全く違うのに、方法は同じだ。
それだけ自分にとって陸という存在が大きいことは、否定しないけれど。
「…………どうして、骸と同じことを言うの?」
「え?」
「なんで君がそんなこと言うのか、理解できないよ……」
決してハイとは頷けない。
自分で分かっているのはそれだけで、そこに至るまでの自分の感情は、分からない。
骸のように、隠しもしない下心があるのとは違う。
あなたの為に変わりますと、一歩間違えれば相手を押し潰しそうな、重すぎる愛情に似た言葉達。
白蘭の腕を取って、ソファと白蘭の距離をあける。
裏切り者と簡単に罵れないのは、そこにボクへの思いやりも含んでいると、分かるから。
俯いて離した手は、またすぐにボクの二の腕を掴んだ。
反射的に上を向けば、必死に許しを乞うような、人間の顔がある。
「僕の傍にいるだけでいいんだよ!!マーレリングは君が持つべきだ!!だからずっと、僕の隣にいて。絶対に不自由させないし、退屈もさせない。だから……」
白蘭の声が、震えた。
「僕を、一人にしないで」
目尻から月の光に反射する何かが、自分の頬に落ちた。
――どこにもいかないで――
既視感……デジャヴだ。
いつか誰かにも―――同じようなことを―――こうして涙ながらに、訴えられた気がする。
その時自分は、どうしただろうか。
その後自分達は、どうなっただろうか。
チリッ
指先が熱くなるこの感覚は、死ぬ気の炎を出せるようになってからはすっかり慣れてしまった。
しかしそれが、答えでもあった。
目の前の顔に目尻を下げ、口端を上げる。
ボクと過ごした陸は、白蘭と同じことを言ったのだろう。
泣いて乞うから、ボクはきっと慰めた。
その後は死別して………あとは、ご覧の通り。
どうして陸のことを思い出そうとすると、発火するのか。
それは、死ぬ気で思い出さない為だ。思い出しそうになると、トリップして記憶もリセットするのだ。
もちろんその意味もあったのだろう。
だってボクだって、死にたくないから。
「白蘭」
「……イチノ、ちゃん?」
骸が、ボクの死ぬ気の炎は冷たいと言っていた。
冷たいが、心地いいと。
だから白蘭も、少しでも癒しを感じてくれれば。
真上にある顔に手を伸ばし、頬に残る涙が流れたあとを拭う。
白蘭はやはり、気の合うやつだ。
ボクと気が合うやつが陸と似ているだなんて、当然といえば当然か。
陸と合わないやつが、ボクと合うわけがないのだから。
「陸もきっと、泣いて待ってる」
「!」
「行かなきゃ」
死ぬ気の炎で人が死んでしまうのは、当たり前だ。
死にたくないのに、陸がいるというだけで、そちらを選べてしまうから。
死ぬ気の炎で死ぬことも、陸のことを思い出すこともできない今の自分の状況が、最初にどちらも選べなかった自分の答えだったのだろう。
そんな世界、不安定で脆いのも当然だ。
「イヤだ……」
「白蘭。ボクは元々、この世界にはいないはずだったんだよ」
「ちがう」
「マーレリングがあれば、君は大丈夫。必ず君を救ってくれる人がいる」
視界が白いのは、白蘭に抱きしめられたせいではなく、死ぬ気の炎が全身を包んでいるからだ。
無責任な話だが、彼はあの小さな彼女に任せよう。
自分は元来た道を戻るだけ。
これが不安定でも脆くもない、正しい世界の在り方だ。
「ジンの傍にいてやって。あいつも結構、寂しがり屋だから」
ゆっくりと、意識が遠退く。
白蘭がこちらを見て大きく口を動かしているが、聞こえない。
吹雪が強くなるように、視界が白く染まっていく。
不思議と、怖くはなかった。
チリチリと体が熱いのに、痛みも、体が欠ける苦痛もない。
むしろ、心地が良かった。
目を閉じれば、視界は反転して黒くなる。
瞼が二色を分かつほんの一瞬だけ、視界が灰色に染まった。
「良かった……」
消える前に、両想いになれて。
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