飴乃寂
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「思ったよりずっと元気そうだね。何かいいことでもあった?」
世界が変わって、夜。
無遠慮に「閉店」と掲げたドアを開けて入ってきた男は、そう言ってにっこり笑った。
その頬には、帰国前にはなかった痣がある。
もう以前の彼ではないことは、一目瞭然だった。
「君こそこの場所は教えてないのに、よく分かったね」
「ふふ、君も酷いね。僕のこともはじめから知ってたのに、知らないフリしちゃってさ」
店内は窓から射し込む月の光で照らされているだけだが、ソファに座ったお互いの顔を見るには十分だ。
靴を脱いでソファの上で体育座りしたまま、先に口を開いた。
「この前は助かったよ。あれが前知識ない時の助言だったら、もっと嬉しいんだけど」
「骸君のこと?記憶を得たのはあの後だから、素直に感謝してくれていいよ」
「そっか。じゃあ、ありがとう」
「どういたしまして♪」
会話もどこか感情からは切り離されていて、白々しいことこの上ない。
上辺だけ撫でる言葉が獄寺との不快なギャップを感じて、いつも勝手に飛び出てくる言葉は一つもなかった。
これからどうなるのか、どうするのか。実はまだ決めていない。
白蘭と、どう付き合っていくのかも。
「世界ってさ、一つの柱みたいなものだと思うんだ。その柱がどの方角から見えるかで、その世界は全くの別物に見える。だから誰もその世界が何角形なのか、どんな形をしているのか、誰にも分からないんだ」
僕達以外は、ね。と続けて笑った相手の真意を受け取りかねて、小さく眉を寄せた。
「………何がいいたいんだい?」
「僕達は皆と違って、好きな角度から世界を見る、知ることができるんだ」
「、うん?」
「たとえば君から見た世界は、陸の願いによってトリップしたが、その世界に陸はいなかった。だから次々とトリップを繰り返して、途中で合流したジン君に手を引かれ、この世界に来た。その時に身についた能力も短命も、陸に会う為に仕方のないことだった。こんな感じ」
「…………事実を述べられてるだけなのに、トゲを感じるのはどうしてだろうね。なら君から見た世界はどうなんだい?」
話が長くなりそうだとソファに座ったままポットを手繰り寄せ、紅茶をマグカップに注いで口をつける。
唐突に現れたと思えば、唐突に始まった話。
まあ何となく虫の知らせを受け、マーレリング片手に待っていた自分も自分なのだが。
「出だしと、ジン君に導かれてってところは一緒だよ。でも内容は………違う」
正面に座る白蘭は、膝を使って頬杖をついて笑う。
目を細める様がまさにラスボスの風格で少し怖いが、待っていたからには黙って続きを促す。
しかしその些細な決意は、呆気なく消え去った。
「君がトリップを繰り返していたのは、意図的に殺されてたからさ。それもボンゴレに、ね」
「は!?」
「君、陸と死別した後は遠い田舎の実家に預けられてたんでしょ?そのパターンがほとんどだ。まるで、誰かから隠されてたみたいじゃない?」
「は?ちょっとま……話が突拍子すぎる!!」
「だから君は、両手に炎を灯して戦う。沢田綱吉君や、ボンゴレプリーモのように」
「!!」
「ボス候補として殺されたんだよ。二人いっぺんに殺すはずが……………陸が君を庇って、一度目は失敗。まあその後君も死んじゃうわけだけど」
思わず自分の両手を見たが、もちろん今は死ぬ気の炎を灯しているわけではないので、何の変鉄もないただの手だ。
おかしい。これは何かがおかしいぞ?
嫌な予感がして咄嗟に白蘭を否定できるものを脳内で探そうとした時、それを許さないとばかりに、白蘭の声が響いた。
「知らないとは言わせないよ」
ギクリ、と理由も分からないのに体が強ばる。
どうしてだか、白蘭の声を聞きたくない。
俯いて床を見下ろすも、声は淡々と続けた。
「僕は唯一、あの病室で君と会ってるんだから」
言うな。その先は言うな。
震える手で耳を塞ごうとしたが、その前にするりと、呪詛が鼓膜を打った。
「ね?綱吉君のいとこの、沢田臨ちゃん」
その一言が、合図だった。
バンッと、脳内で乱雑に本が開く。
一気に流れ込んでくるパラレルワールドの意識、景色。
この世界に来てからも、悪夢に見たことだってある。
あの時裸眼でぼやけた視界で見た、白銀の男。
どうしてか、思い出せない顔をしていた。あのあといくら記憶を漁っても、分からなかった。
嗚呼、どうしてだったのだろう。
どうして、分からなかったのだろう。
今となっては、気づかない方が謎だ。
顔をあげれば、窓からさす月明かりの下で、男が笑っている。
雰囲気も、タトゥーも、目の前の彼と寸分違わず一致するというのに。
あれは、間違いなく。
「びゃく、らん……」
「あ、本当に覚えててくれたんだね。あの時の君はかなり衰弱してたから……君の話にもそれらしいものはなかったし、あの世界の存在自体、覚えてないかもって思ってたんだけど」
名前を紡げば、白蘭は笑みを深くした。
「ほらね。また、会えたでしょ?」
「待って。ボク、あの時……」
分かったところで、これは喜ばしい再会ではない。
ソファから立ち上がって後退ると、白蘭もゆっくり立ち上がった。
悲しそうに、少し眉を寄せて。
「……僕が怖い?」
「違うっ!!君は、あれは……君なりの、優しさだったと思うから………………でも、ボクは……」
あの世界で、自分でナイフを突き立てた胸元を抑える。
傷痕なんてないが、心臓が痛いくらいに、バクバクと大きく音を立てている。
あの時のように、心臓が、煩い。
あの時と…………、……同じ?
ヒュッと、呼吸が止まった。
「大丈夫。……あの世界と違って、今の君の心臓は急にやかましく吠えたり、縮こまってヘコんだりはしない」
乱れる息を整えようとしても、全身が変に強ばっていて、余計に息ができなくなる。
胸元を握る手に、誰かのあたたかい手が添えられた。
いつの間にか目の前にきた白蘭が、目尻を下げ、口許を緩めている。
安心して。とでも言うように。
「おまけにこの世界ではもう綱吉君の元に家庭教師がいるし、君がボス候補要員だったとしても、リング戦が終わった今じゃ、殺されたりはしない。
安全なんだよ。ボンゴレに殺されることがないなら、君は他の世界と違って長生きできるし、君は遠からずボンゴレの血をひいているから、死ぬ気の炎が使える。
でも目覚めたのは幸か不幸か、超直感ではなく、パラレルワールドの能力だった」
そういえば、白蘭とツナはよく似ていると、ユニは言っていたっけ。
同じ大空のトゥリニセッテを持つ者同士、能力の根本は似ているということなのだろうか。
「僕の方角から見た世界は、こんな感じ。君は本当は、短命なんかじゃないんだ」
そこでようやく、白蘭は口を閉じた。
話が一区切りついたところでたっぷり時間をかけ、息を整える。
その間ずっと、白蘭は背をさすっていてくれた。
「…………。……白蘭、人は誰だっていつ死ぬか分からない。ならそれまで悔いなく生きられれば、それで十分だ。少なくともボクは、そうやって生きてきた。こんな議論、する必要もないんだ」
「いいやある」
即答かよ。
「君は生きられる。君が生気を失えば、トリップする可能性は高くなる。短命かそうじゃないか、どう思うかだけで、君のこの世界での寿命も変わるんだ。君はトリップのコントロールができないけど、記憶が刺激されて感情が高ぶった時に、トリップする傾向がある。それが証拠」
「で、でもっ、ボクがボンゴレの血をひいてるわけ、ツナ君の親戚なわけない!!だってボクは、ボンゴレすら存在しない世界から来た!!」
「なら君のその力はなんなんだ!!」
「っ!」
握られた手首に痛みが走る。
間近にある白蘭の顔が、怖い。
「ユニは僕と綱吉君はよく似ているって言ったけど、ならその中間にいるのは君だよ。イチノ」
白蘭に名前を呼び捨てられたのは、初めてだ。
「海常臨、貝塚臨、冬間臨……寺田、笹本、飯岡、南本、灯月、佐東、鬼原―――まだまだあるよ。どの名前なら、納得できる?」
「びゃく……」
白蘭の、鬼気迫る表情が怖い。
こんなに恐怖を感じるのは、トリカブトの件以来だ。
「君、なんか変だ……君は、ボクに……どうしてほしいの…………ボクは、どうすれば……いいの……?」
白蘭には、マーレリングを寄越せと言われるんだとばかり思っていた。
そして自分を殺そうとするのか、仲間にしようとするのか。
それとも彼にとっての自分はただリングを譲ってくれる少し特殊なキャラクターというだけで、すっかり興味を失われるか、なんだかんだで変わらず関係が続くのか。
そう思っていたが、これは一体、どういうことだ。
「…………。……ボンゴレと、縁を切って。完全に」
「!!」
「君のボンゴレリングを砕いて。あとは僕が、奴らから君を隠すから」
数秒遅れて入ってきた言葉は、しかし理解し難い内容だった。
ボンゴレリングは確かに自分の指にはめられているが、体が先に理解することを拒絶し、硬直した首を無理やり横に振る。
「…………白蘭……君が、ボクを心配してくれているのは、分かるよ……?でも君……何か、隠してない……?ボクに言ってないこと、ない……?どうして急に、そんな事……」
おかしい。やはり、何かがおかしいのだ。
困惑した顔で白蘭を見るも、相手は無言を貫いている。
「隠してる事なんて、ないよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない。ホント」
「言ってくれないなら、絶対に頷かない」
「……。……分かったよ」
「、」
白蘭は数歩下がり、お互いに距離を取った。
安堵するよりも早く、ピリッと鋭い気配が肌を打つ。
「まあ僕が世界征服する事には変わりないし、できるだけ穏便に……話し合いで済ませたかったけど」
白蘭が下がったのと同じ歩数後退ると、俯き加減だった顔がゆっくり上がった。
「君が能力を自覚をしているのは、この世界だけ。つまりパラレルワールドのことを覚えているのも、この世界だけ……」
感情が見えない。
この表情をする時の人間は、
いつも、必ず、
「きっと今の君より無知な分、次の世界の君は、聞き分けがいいよね」
「!!」
笑うんだ。
パンッ
「っ……!」
「お願いだから、一度で死んでくれないかな」
「君、言ってることとやってることが違うよ!!」
「違わないよ。僕はいつだって、友達は大事にする」
「ここで死んだら、ボクはもう終わりだ!!トリップするまでもなく、寿命が尽きるんだよ!!」
「、」
迫る炎のつぶてを避けながら叫ぶと、一瞬だけ相手の手が止まった。
が、すぐに次の猛攻が襲う。
「それは、君がそう思い込んでるだけ♪」
「白蘭!!何の確信があってそんな……っ」
「君こそ、そう思ってる根拠は何?ただの勘?」
聞かれて、言葉が出かなかった。
何も言い返せないなど、図星を突かれたと言っているようなものだ。
「…………ああもうっ!!¨参る¨!!」
歯ぎしりをし、両手を握る。
炎を灯した拳を構えるも、相手は身構えることなく、悠々と余裕ぶっている。
「無駄だよ。僕は君を本気で殺す気だけど、そうじゃない君に戦うのは不利だ。さっさと負けを認めて死ぬか、僕の言うこと聞いてくれないかな」
「どっちもイヤだ!!」
「そんなに獄寺君と離れたくないの?」
「っ、そっそれもあるけど、それだけじゃない!!」
先日の優しい手が脳裏を霞めたが、こちらの焦りなど知ったことかと、白蘭は鼻をならす。
「ふうん、あっそ。まあ興味ないからどうでもいいけど」
しかしこの状況にこの台詞、カチンッと頭の中で音がしたのも、無理ないのではないのだろうか。
「こ、の……っ、分からず屋!!!」
「分からず屋は君だよ、イチノ」
こいつは絶対許さない。
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