飴乃寂
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笑顔で出ていったフゥ太に手を振った後、はあ、と長いため息をつく。
一昨日からずっとフゥ太に気を使わせっぱなしの、励まされっぱなしだ。
幼い子があんなに頑張っているのに、自分ときたら。
ピロロンッ
「…………パソコン?」
リビングに戻ると、隅に置いてあるパソコンのディスプレイがついていた。
自分は電源を入れた覚えがないので、ジンが使っていたのだろうか。
気力の出ない体を動かしてパソコン前の椅子に座ると、メールが届いたようだった。
送信者と宛名を確認して、フォルダを開く。
¨やっほージン君!大家さんに連絡して、そっちのライフラインは使えるようにしてもらっといたから、好きなだけ使うといいよ。
イチノちゃん、元気になったら連絡ちょうだいね¨
ジンが白蘭にどこまで事情を話したか分からないが、自分が意気消沈していることは通じているのか、察したのか、白蘭にまで心配をかけているらしい。
パソコンの前に腕を組んで伏せ、メールを開いたままのディスプレイを見つめる。
「…………ねえ白蘭、兄ちゃんにフラれちゃったよ。パラレルワールドの能力も、死ぬ気の炎も全部、兄ちゃんに会う為だったと思ったのに……だから、こんな体でも我慢できたし、頑張ったのに…………違ったみたいだ……」
地球を模した頭をしているキャラクターのアイコンが、両手の上げ下げを繰り返して万歳している。
「ボクは何の為に、この世界に来たのかな。この世界で、これから何をすればいいのかな」
もちろん返事なんて、ない。
椅子をジリジリ後ろに下げ、体をできる限り最大限に潰す。
「………ここんところ、嫌なことばかり考えるんだ。今まで絶対に考えないようにしてたことばっかり」
悪夢に負けず、好きに明るく生きてやろうと決めた生活も、今では板について、日常へと変えられたのに。
「君はいつ、マーレリングを取りに来るかな…………やっぱりマーレリングは、ボクの手には負えないや」
知識もキズも、湯水のように与えられるだけ与えられて、肥大化した¨自分¨という個体は。
どれだけ必死に両手ですくい取っても、指から零れ落ちていくから。
「リングを譲渡したら、マーレリングホルダーも…………死んじゃうのかな」
アルコバレーノの呪いのように。
「ならもうトリップもしないだろうね。精神的不死も、終わり」
もうどこにもいかなくて良いのなら、このまま目を閉じて眠ってしまいたい。
夢の中でも何でもいいから、本当に安らげる時間が、恋しい。
「本当にそこで、おしまい」
目を閉じてブラックライトを遮断すると、またメールの受信を知らせる音が鳴った。
ゆっくり顔を上げてみれば、宛名が自分の名前になっている。
マウスを動かしてメールを開けば、短い文章があった。
¨何か話したいことがあるなら、いつでも何でも連絡して。
生活が一段落したら、すぐにそっちに行くから。
僕は、君の味方だよ¨
ああ、なんということだ。
「…………君はどこにいても、心強いね」
緩くなってしまった涙腺から、じわりと涙が浮かぶ。
いい加減に、立ち直らなければ。
泣くのを止めて、元気にならなければ。
だけど、あと一歩。
踏み出すために背を押してくれるひと押しが、ほしい。
コツ
コツン
目を閉じたままでも、傍に二人、誰かがいる気配が分かった。
室内で聞こえた靴音が、その場から動く様子はない。
「マーレリングを使わないのですか」
感情のない、ただ正誤だけを求める義務的な声だ。
「トリップすれば、あなたの寿命はリセットされます」
「この世界の滞在時間は、終わりに近づいてきています」
「それを過ぎたら、あなたの身が持ちません」
うるさいな。
「定められた寿命が短いあなたが生き続ける方法は、平行世界を渡り続けることだけ」
そんなこと、もう気づいている。
最初のトリップの後からずっと、自分の寿命が短い設定になってるだなんて。
第一次トリップの後遺症で、だ。
アリアさんは自分の為でも、娘の為でもなく。
ボク自身の為に、リングを渡してくれていたのだ。
『思い出したい時は――――生きたい時は、このリングを使って』
生きていいのよと、言ってくれていたのだ。
「リングなんか使わない。ボクにはこの世界だけあればいい。他の世界なんていらない」
目をつむったまま言えば、相手がお互いの顔を伺うような、少しの沈黙があった。
「…………能力を自覚されると、拒むのですね」
「我々は、警告に来ただけ。ご決断は、ご自由に」
ああもちろん、自由にするさ。
ここは、ボクの――――世界だ。