飴乃寂


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イチノがダイニングを出ていった気配を感じて息をつき、夕飯だったはずの料理を冷蔵庫に入れる。


ダイニングのソファに戻って目を閉じれば、意識がふわりと浮くのを感じた。


目を開ければ、一面の白。


自分は私服のポロシャツとジーンズから、裾の長い着物姿へ変わっている。


特に何もせず突っ立って待っていると、何もなかった足元に、湖が一つ浮かび上がった。


四年前のあの時と同じだ。


湖を横目で見下ろし、後ろを振り返る。


あの時はボロ切れをまとっていた小さな少年らしき人影は成長し、白いワイシャツと黒いスラックス姿で現れた。


裸足で歩いてくる人物は少年の面影を残していたが、長い前髪で右半分を隠している。


二、三歩ほど手前で足を止めた少年が口許を緩めると、自分の目が相手を見定めるように細くなるのが分かった。



「お久しぶりです、と言った方が良いんですかね」


「ああ。全く音沙汰がないから、そろそろ死んだかと思ってたぜ」


「クフフフ。すみません、何分忙しかったもので」



というのも本当なんですが、と骸は続けた。



「この四年、あなたにコンタクトを取ろうにも、中々辿り着けずに苦戦していました。でも今夜はなんとなく上手くいく気がして、こうして散歩をしていたんです」


「へえ?今日はなんか良いことでもあったのか?」


「ええ。ほんの些細な出来事でしたが、久しぶりに楽しい時間を過ごしました」


「そりゃ良かったな」



肩をすくめる骸に上部だけ返事をし、本題に入るべく骸と正面から向き合う。



「単刀直入に聞く。お前は誰だ」


「………クフフフ。僕は六道骸です。それ以外の何だというのです?」



相手も相手で、俺の反応を予想していたのだろう。


どこか愉しそうに目を細めた骸を、ふざけるなと指さした。



「見りゃ一発で分かる。この四年で何があったか知らねぇが、月日の経験でひねくれるにしても、オーラが違いすぎる。体はあのガキのままみたいだが、中身はそっくり別人だ」



人差し指を顔から少し右に逸らし、言葉を続ける。



「その右目のせいか」


「…………一目でそこまで見抜くとは、さすがですね」



今度は賞賛の意味を込めて肩をすくめた骸は、おもむろに俺を見上げた。



「僕も、今だから分かることがあります。あなたは本当の神ではない。最も、僕は神の存在など信じていませんが」


「、」



骸の台詞につい、眉が動く。



「そう名乗っても不自然ではないほどの力を持った、ただの強力な幻覚。それがあなただ」


「……。………今は俺の話はいいだろうが」



本来の自分を取り戻したとはいえ、これは好ましくない話題だ。


返事を肯定ととったのか否定ととったのかは分からないが、骸は、いいでしょう。と髪を払って赤い眸を見せた。



「僕は四年前にこの眸を移植され、体に六道全ての冥界を廻った前世の記憶が刻まれた。しかしそのせいか、移植される以前の記憶が殆ど消えてしまったようです」



こいつもなのか。


本題に戻ったことに安堵しつつも、それが素直な感想だった。


思わず顔に手をあてるが、骸の話は続く。



「実は、あなたに会った日の事もうろ覚えなんです。それより前の記憶はありません。今だって、本当にあなたが存在していたことに驚いているくらいです」


「分かった、もういい」



これ以上聞くのは馬鹿馬鹿しい気がして、その場に胡座をかいて座る。


四年前のあの時に前世の記憶を持ち、他人の精神世界に干渉できた素質を考えれば、与えられた能力が試されたのも分かる気がした。


だが後遺症で記憶は上書きされ、陸の時の、イチノと共にいた時の記憶は全くないと。



「じゃあ逆に、お前は何を覚えている?」


「そうですね…………」



骸は慎重に言葉を選んでいるのか、腕を組んで顎に手をあてた。



「神と名乗るあなたに出会い………人に会いたいと願ったのは覚えています。ボンゴレ、並盛……あとは、この二つの単語くらいです」


「もうなんなんだお前ら。二人して脳ミソ同じ所が弱いんじゃねぇのか」



双子らしく、な!全く嬉しくない。



「誰と比べられているのかは分かりませんが、心外ですね。それよりあなたは、目当ての少女を見つけたんですか?」



骸のその言葉で、こいつが今日会ったイチノがその少女だと気づいてないことは明白だった。


骸の顔色を伺いながら、ゆっくり口を開く。



「名前は覚えてないのか?」


「確か、リンと。どう書くのかは分かりませんが」


「こうだ」



宙に漢字を書くと、指の動きに合わせて黒い線が浮かび上がった。


文字を書き切ってからふっと息を吹きかけると、それはたちまち消えて元の何もない宙に戻る。



「…………彼の名は?」


「ん?」


「この体に在った、彼の名は?」


「お前、」



ふと自分の胸に手をあてた骸に、覚えていないのか、と続く言葉は飲み込んだ。


先程と同じように宙に文字を書き、消す。



「陸だ。そう呼ばれていた」


「陸…………陸、ですか」



骸は確認するように、自分の中に取り込むように、何度も呟いた。


胸にあてた手で拳を作った骸を見計らってから、話を続ける。



「…………ちなみに臨は今、諸事情で品臣イチノと名乗ってる」


「…………品臣……イチノ……?」



案の定聞き覚えがあったらしく、骸の目が驚きに見開いた。


しかしすぐに平静を取り戻し、表情から感情は読めなくなる。



「…………そうだったんですか」


「今日会ったろ」


「分かってて聞くなんて、あなたも人が悪いですね。諸事情とは?」



骸は俺から少し離れて湖の傍で片胡座で座ったので、顔が完全に髪に隠れてしまった。


お互い背を向けあったまま、会話を続ける。



「お前と似たり寄ったりだ」


「おやおや、彼女も記憶を失ったんですか?」


「少し特殊な世界にいてな。トリップの反動が大きすぎた」


「特殊な世界……?彼女はこの世界の人間ではないのですか?」



「本」の内容も、この様子では記憶にないらしい。



「ああ、異世界人だ。パラレルワールドってのは知ってるか?」


「決して交わることのない、もう一つの世界のことですね」


「そうだ。そしてあいつがいた世界では、ボンゴレ十代目が主人公の漫画が存在していた」


「………どういうことですか?」


「六道骸を含め、陸も臨も、会う前からボンゴレの存在と……未来を知ってたってことだ。あいつらから見れば、ここは漫画の世界だからな」


「………なるほど。だから僕は、マフィア界では有名なボンゴレの名の他に、日本の並盛という地名を知っていたんですね」



考えるように間を空けた骸の反応を察するに、漫画の有無は疑ってないらしい。



「パラレルワールドと言っても、三次元から二次元という、次元を越えたトリップ………なかなかどうして、規模の大きい話ですね」


「まあな。そして次元を越えた最初のトリップで、あいつのいた世界が潰れた。その弾みなのか、あいつは次々と他のパラレルワールドにトリップを繰り返し………俺がなんとか捕まえた時には、膨大なパラレルワールドの記憶に混乱していたってわけだ」



パラレルワールドであったことは大体思い出してるようだが、今も元の世界の記憶は少ない。陸に関してはさっぱりだ。



「自分の名前も臨ってしか覚えていなかったが、適当に苗字をつけるのが嫌だからって、名前も全部変えたんだ」



そこで言葉を切ると、クフフフフと独特な笑い声が聞こえた。



「人探しを依頼した陸の記憶は消え、世界を渡ってきた探し人も、記憶の混濁で陸を覚えていない。嘆かわしい話ですね」



全くだ。依頼をした肝心の陸はこれだし、あんなに会いたがってた妹も、陸のことを思い出せずじまい。


こんなにやる瀬ない話があるだろうか。



「……彼女と陸の関係は、兄妹で合っていますか?」


「ああ、双子だ。お前が兄で、あいつが妹。多分、仲が良かったんだろうな」


「……でしょうね。少なくとも、生まれ変わってでも会いたいと思うほどに」



そこで会話が途切れ、静寂が訪れた。


相変わらずこの空間に、相手以外の生き物の気配はない。


小さく息をつき、目を閉じる。



「あいつにはお前のことも、ここにくる前に全部話した……、あとはお前達次第だ」



お前が陸と知って嬉しそうだった。と伝えていいものか迷って、結局伝えなかった。


すると、そうですか。と、興味があるようなないような返事がきた。


また沈黙を置いてから、骸が喋る。



「…………彼女は、元の世界に帰りたがっているんですか?」



それが意外な言葉だったので思わず骸の方を見たが、骸は湖を見たまま、微動だにしない。


こいつはこいつなりに、イチノを気にかけているということなのか。


顔を何もない真っ正面に戻し、骸を視界から消す。



「さあな。言ってもどうしようもないと思ってるのか、言えないだけで元の世界を恋しがってるのかは、知らねぇよ」



外の生活だけ見てると、めちゃくちゃエンジョイしてるしな。


と続けて肩をすくめると、ぷっと小さく吹き出す音が聞こえて、慌てて後ろを振り返る。



「ええ。とても楽しそうに話していました」



控え目にだが、笑ってる骸の顔が見えた。


どうやら、覚えてるいないはともかく、骸は相手を嫌っていないらしい。


なんだか少し安堵して、胡座をかいたまま骸の方へ体を反転させた。



「お前には言っとくが、あいつは今、トリップする前には持ち得なかった、触れた水を操る能力を――――死ぬ気の炎を持っている。トリップしたことで体に異変をきしているのは明らかだから、他にも何かありそうで、目が離せねぇ」


「それは、能力の悪用を恐れてのことですか?」



骸から笑顔が消え、目に相手への嫌悪のような、警戒する鋭い光を宿した。


警戒するなというように肩をすくめ、両手を自分の体の後ろについてだらけた格好をとる。



「違う。少なくともあいつは自分の力を悪用してどうこうしようなんざ、これっぽっちも考えてねぇだろうよ」



パラレルワールドの知識だって、美男美女と仲良くなる為にフル活用しているくらいだ。


水を操る能力だって、ちょっとした手品として相手の気を引く程度にしか使わないだろう。


まだ短い付き合いだが、そう断言できるくらいには、相手のことを知っているつもりだ。



「本人がああだから周りにもそんな事考えてるやつはいないだろうし。何せ今回の依頼は異例続きだから、不安が拭えないってだけだ」


「………覚えておきましょう」



納得したわけではなさそうだが、骸はまたポーカーフェイスに戻った。


相手が立ち上がったことで、この話し合いも終わる空気が流れる。


俺も立ち上がり、斜に構えた骸を正面から見下ろした。



「とにもかくにも、再会したなら俺の仕事は終わった。あとはお前らが今後どうするか、二人で決めろ」


「ええ、そうします。…………そういえば」


「あん?」


「あなたの名は?まさか、神とは呼べないので」


「てめぇ……」



踵を返しかけたところで骸の足が止まり、瞬きを一つ。


相手の真意は分からないが、痙攣する眉を抑えてへっと笑った。



「今はジンって呼ばれてるぜ?」



神様なら神(ジン)でいいだろ。という、超安易な考えで決められた名前だ。



「ではジン。依頼ご苦労様でした」



すぐにザァッと風が切るような音がしたかと思えば、目の前の湖と人影は消え。



もう一度瞬きした時には、俺は見慣れたダイニングのソファに座っていた。



「…………なんて、伝えりゃいいかな……」



パラレルワールド絡みで、ようやく嬉しそうな顔が見れたというのに。




 
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