宝物部屋(戴き物小説)2

□恩返し成立
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 罠にかかった自分を助けてくれた人を、源三ははっきり覚えていた。
「大丈夫?ほら、動いちゃ駄目だよ。じっとして、ね?」
優しい微笑みで、足に布を巻きつけて、血を止めてくれた。
「もう、捕まらないようにね」
きれいな声で、見送ってくれた人の笑顔がまぶしくて、一目散に走った。

「考え直した方が良いぞ」
大きくなったから恩返しに行く決心をした源三に、キツネの光が忠告に来た。
「お前の力じゃ、ニンゲンなんかすぐに壊れるぞ。恩返しと思うなら、近づかないことだ」
源三は引っ込めることのできない爪を見た。確かに、これでは近付けない。クマと違い、人里近くに住むキツネの意見はもっともだった。
「まあ、どうしても気がすまないって言うなら、畑仕事でも手伝ってやることだ。それなら、大丈夫だろ」

 昼に、畑の側に現れた人影に、岬は驚いた様子だった。
「君は、誰?」
近付いて来た岬に、源三は嬉しくなった。今まで、光からはニンゲンに近寄るなと言われていた。ニンゲンとは一緒にいられない。自分達の知らない道具で、やり返してくる、と。それが、今の自分はちゃんとニンゲンに見えるらしい。
「俺は源三」
ずっとお礼が言いたかった。時々遠くから見るこの人は、いつも一人で淋しそうにしていた。
「僕は岬」

 そのまま黙ってしまった源三を、岬は家に泊めてくれた。初めて食べるニンゲンの食べ物は熱くて、源三は舌を火傷してしまったが、それでも美味しかった。
「どこから来たの?」とも岬は聞かない。その代わりに、岬がどうしてこんな山奥で一人暮らしているのかは聞けない。静かな目は、自分の正体も知っていそうだ、と若林は思う。
「岬、明日から俺も畑仕事手伝うよ」
源三の言葉に、岬は頷いた。その笑顔は記憶の中にあるのと同じで、源三は顔をほころばせた。
「助かるよ。ありがとう」

 それから二人は一緒にいる。畑仕事で日焼けしない訳もないのに、抜けるように白い岬の首筋などを見ると、時に自分の何かが爆発しそうになることを若林は感じる。それでも、触れてはいけない、という決まりだけは守っていた。
「岬」
否、守らざるを得なかった、という方が正しい。大事な岬を壊す訳にはいかない。ニンゲンの手にはクマと違って、鋭い爪はない。それでも、源三の腕の力ではただでさえ折れそうに細い岬の身体は壊れてしまう。
 源三が自分の手を見た時だった。
 大きな物音がした。
「岬っ!」
慌てて駆けつけた源三の見たものは、崩れた家と、その下敷きになっている岬だった。

 目の前が真っ白になる気がした。数日前の地震で、柱が脆くなっていたに違いない。
「駄目だよ、来ちゃ。君まで巻き込みたくないもの」
岬のかすれた声を聞いた時、源三は岬に駆け寄った。柱をどかそうとしたが、もっと力が必要らしい。
 …本来の自分の姿ならば。岬は驚くかもしれない。岬とはもう一緒にいられなくなる。
 それでも、岬にはずっと笑っていて欲しかった。
「今助けるぞ!」
クマの姿に戻った源三は、屋根を粉砕すると、岬を首尾よく救い出した。

 助かった岬の背中には血がにじんでいた。掴んだ時に、爪で傷つけたらしいと源三は思った。白い背中に刻まれた大きく紅い傷は、すぐには消えそうにない。やっぱり、自分が触れてはいけなかった。
 薬を塗りながら、源三は知らず唇を噛む。
「…ごめん」
きれいな肌に痛々しい傷をつけた。ニンゲンの手で触るのも、まだ怖い。
「ううん大丈夫。助けに来てくれて、ありがとう」
背中に薬を塗っていた源三の手を捕まえて、岬は言った。温かい手を自分の手で包む。
「嬉しかった」
岬は見たはずだった。それで、すぐにでも山に帰るつもりだった。しかし、岬の手を振り解くことはできそうにない。
「俺が怖くないのか」
他の動物でも、源三を恐れるものは多い。まして、ニンゲンは光が言うように、恐怖し嫌悪するだろう。
「助けてくれたのに?怖くないよ」
岬はきっとそうだろう。ニンゲンが仕掛けた罠から助け出してくれた。
「俺はお前を壊してしまう」
声が震えるのを源三は自覚していた。正体を知られた今さえ、岬に触れたくて仕方がない。それはいけないと分かっていても、心が止まらない。
「ううん。今だって、ちゃんと抱いてくれてる」
背中の傷に薬を塗っている姿勢のまま、手をとられるままに、気がつけば腕に岬を抱いていたらしい。
「だから、ずっと一緒にいてね」
見上げてくる岬を更に抱きしめたくなって、源三は少し困った顔をした。



(おしまい)
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