宝物部屋(戴き物小説)2

□恩返し不成立
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「この手ぬぐいをどなたがご存知ないですか」
「おや、あんた、見かけない顔じゃな」
唐突に声をかけた女に、男は息を呑んだ。見たこともない美しい女に興味を抱くものの、その手ぬぐいが男を引き戻す。
「私は岬と申します。それで」
「それは、あちらのお屋敷の、源三様のもんだな」
また、か。お屋敷の源三様の不行状はこの辺りでは広く知られていた。色をひさぐ尼などを次々と屋敷に引っ張りこむ、とは聞いていたが。あんなにきれいな女まで。男は遠ざかり行く後ろ姿を見送った。

「源三様に会いに参りました」
岬は戸を叩いた。下女が出て来て、相手を見るなり、踵を返す。
「源三様、またどこぞのおなごが来とります」
下女の言いように、岬はいたたまれずにため息をついた。

 先日、罠にかかったところを、助けられた。
「きれいな鶴なのに。可哀相に」
血のにじむ足に、手ぬぐいを巻かれながら、その足以上に、胸が苦しい。
「ほら、もう気をつけろよ」
山の我が家に向かいながら、心は一つの決意をしていた。

「駄目だよ。岬くんだって、昔の、おつうさんの話を知ってるよね」
翼の言葉に、岬は深く頷いた。おつうは人に恩返しに訪れ、傷つけられて帰って来た。それから、おつうは鳥のくせに光るものを憎んだ。
「大丈夫。布を一枚織ったらすぐに戻って来るよ」
岬は、女の姿になった。この姿ならば、受け入れてくれるのではないか。そして、あの優しい目で見つめてもらえるのではないか。淡い期待が胸に灯り、暖める。

「お前は誰だ」
見知らぬ女が来ている、と言われ源三は姿を現した。確かに見知らぬ女ではあるが、その潤んだような瞳は何故か懐かしい。
「私は岬です。あなたの妻になりに来ました」
おかしなことを言う女だ、と源三は相手をしげしげと見返す。この辺りの大名主の家である。確かに源三の嫁の座を狙う女も多い。しかし、直接にそう言われたこともなかった。そして何より。
 雪のような肌に、柳のような腰。見たことのない美しさだと源三は思った。見飽きそうもない上、その目は何故かくも優しいのか。
「分かった。来い」
「うん」
嬉しそうに微笑む岬に、源三が振り返った。笑うといっそう印象が強くなる不思議な、眼差し。一目でとりこになるということがこの世にもあるらしい、と源三は思った。そして、自分をとりこにしてしまう相手にこの世で会えた。

 織機の場所を尋ねるまでもなく、唇を奪われた。困惑する間もなく、腕をとられ、抱きすくめられてから、岬は自分の過ちに気づいた。
「別に、色を売りに来た訳じゃないんだけど」
下女から不快な物言いを聞いた気がする。しかし、源三は眉を少し動かしただけで手を止めようともしない。すっかり帯も解かれた岬ははだけた着物の前を押さえる。
「身の回りの世話をさせて欲しくて、あの」
「そういうのは他の者がする。お前は俺の側で笑っていれば良い」
働かせるなんてとんでもない。きれいな着物を着せて、その白い指が傷つかないように、ただ慈しんで。源三はそれができる分限者である。
「俺の嫁になるって言ったのはお前だろ」
岬は逆らいかけて、諦めた。機を織らなければ正体はばれない。そして、ずっと一緒にいられるだろう。
「…じゃあ、それで」
仕方なく頷いたはずが、慰めるように降る接吻に、心も解けていく。
「岬、お前が来てくれて嬉しい」
囁かれる言葉に、恩返しに来た甲斐があったと知り、岬は頬を染めた。

 かくして、恩返しは数十年にわたってしまうのであるが、二人は一生幸せだった。



(おわり)
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