宝物部屋(戴き物小説)2

□殿様白浪
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「松山、もう帰ろうよ。君、お奉行に呼ばれてるだろ」
岬は柳眉を逆立てる。男二人して武家屋敷のすぐ側、防火用の水桶の陰に隠れているのも滑稽で、岬は声を潜めて言った。
「もう、ちょっとだけ」
最近奉行のお声掛かりで、定廻り同心の松山と岬は、最近江戸を騒がす盗賊の捜索にまわされていた。
 評判の悪い大名や旗本の屋敷のみを襲い、殺しも火付けもしないこの義賊に、かわら版屋が付けたあだ名が”殿様白浪”であった。
 覆面をしてはいるものの、物腰や声に品があり、手口も所業もおおらかなことから、その名を選んだという。
「昨日、ここの旗本の次男が騒動を起こしたのが揉み消されただろ。前も同じような時に、投げ文があったのを覚えているか」
「そうだね、投げ文の後、屋敷に忍び込まれて、切り餅二つ持って行かれたんだったよね」
昨日酔って暴れる志水家の次男を取り押さえたのはこの二人だった。大事にならぬよう、裏で手が回されたことに憤った松山としては、せめて殿様白浪が食いついてはくれないかと、あらぬ方向に望みの綱を託していた。
 これまでの事例からいくと、投げ文があっても武家屋敷の体面を守るため、奉行所に声がかかることはない。いざ賊が逃げる段になって、見廻り組が気付くがどうにもならない、ということが続いていた。
 その投げ文を押さえられれば、盗みの予測が立てやすくなる。
「…って、あれ」
岬の指差した方向を見て、松山は素早く体勢を立て直した。旗本屋敷の勝手口の側に、貸本屋が立っている。
 この太平の世では、武家屋敷でも貸本を読む女子供も珍しくはない。だが、それならばすんなりと中に入れて貰える筈が、追い返されたのはどうやら新顔だったせいだろう。貸本屋にも縄張りがあるし、お得意を取られるぬよう、付け届けも欠かさない。
 それを承知の上でこの時期に現れた貸本屋に、岬も立て膝になって、刀に手をやる。
「怪しい、な」
「うん。多分間違いないよ。僕が後をつけるから、松山は先に戻って奉行に報告して」
立ち上がった岬に、松山は頷いた。黙っていれば、童顔の岬は同心はおろか、奉行所勤めの侍には見えない。誰にも警戒されぬ見かけを利用して、人の跡をつける技は岬の十八番だった。
「分かった。気をつけてな」
「うん。ありがとう」
幼く頼りなく見えても、岬は通う剣術の道場では免許皆伝の腕前である。それでも、松山は心配そうに声をかけ、その心配がいつものように杞憂で終わることを祈らずにはいられない。
「一応、日向の親分に声をかけておくか」
松山は岬を見送ったその足で、すぐ近くの煮売り屋日向屋に向かった。安く酒と肴を出すこの店の味は絶品で、松山と岬は非番の日にはよくおでん目当てに足を運んでいた。
「親分は」
奥から出て来た妹のお直に松山は尋ねた。日向の親分こと小次郎は、この店を営む傍ら、岬家の私的な配下である岡っ引と二足の草鞋を履いている。
 小次郎の父も腕の良い岡っ引だったが、岬の父と共に、関わった事件で帰らぬ人となり、二人の息子達はそれぞれ跡を継いで、悪を許さぬ男になった。
「そうか、いないならまた手伝ってほしいと伝えておいてくれ」
お直に伝言を頼むと、松山は一旦奉行所に戻った。
「松山くん、遅かったじゃないか」
「お奉行」
北町奉行三杉武蔵守は、知に過ぎて冷たい視線を配下の同心に向ける。三杉から見ても、松山は爽やかな容姿に快活な言動の好男子ではあるが、任務に徹するというよりは、まだ甘さが目立つ。慎重な岬と組になっているのは、天の配剤といえた。
「すみません。例の屋敷を張り込んでいたところ、動きがあったもんですから」
松山の報告に、奉行は顎に指を当てて、考えるそぶりを見せた。
「分かった。何かあったら先に報告したまえ」
幼い頃から神童として知られ、若いながらも、切れ者と評判の奉行だが、余りに冷淡過ぎて、松山にはどうも馴染めないでいた。それだけに、岬の意見を取り入れて、殿様白浪の探索に力を入れて良いと言われた時は驚いたものであった。

 一方、貸本屋を追って出た岬は、町外れの蕎麦屋に入った男に続いて、店に入った。ちょうど時分どきで、怪しまれることもない。
「渡して来たで。森はん」
「ありがとう、これは礼だ」
「そんなんええですって。それよりこれからもあんじょう頼みます」
衝立の向こうから漏れ聞こえる声から、森と呼ばれた侍が頼み主なのは明らかだった。
 岬はそのまま、森という侍の跡を尾けた。森は武家屋敷の多い方向に向かっていた。次第に距離を開けているので、気付かれるようなことはないはずだった。
「きゃあ」
不意に絹を裂くような悲鳴が響き、岬は身を隠した。前方で町娘が三人のならず者に絡まれているのが見える。岬の見守る中、森はのこのこ声をかけ、返り討ちに遭い始めた。
 岬はため息をつきながら、娘を庇う森の前に立った。
「何だ、餓鬼の出る幕じゃねえぞ」
ならず者の怒声をものともせず、涼しい顔で二人を仕留めると、岬は最後の一人に対峙した。
「女みたいな顔をしやがって。これが見えねえのか」
男が刀を抜くのを見て、岬の瞳に影が差す。こういう類の者はいつも同じ、だ。
「良いよ。僕も抜かせてもらうから」
事もなげに男を倒すと、岬は急いでその場を去った。森が頭を下げるものの、顔は見られる、目立つ、で尾行は失敗だった。

 岬が奉行所に戻ろうとした時、自分を凝視する視線に気付き、はっと身をかわした。
「おい、俺だよ」
「小次郎、健」
塀に座っていた浅黒い肌の男こそ、日向の親分こと小次郎で、側の長身が子分の健であった。
「岬、俺達に用らしいな」
塀から飛び降り、口の端を上げて笑う小次郎に、岬は人懐っこい微笑みで応じる。
「うん。殿様白浪の手掛かりらしいのを見つけたんだけど。上方流れの貸本屋に心当たりないかな」
小次郎に続き、宙返りで降りてきた健は、自分より背の低い岬に鋭い視線を向けた。
「殿様白浪といえば、今売り出し中の義賊、人を傷付けもせず、女に悪さもしないと評判じゃないか。何故わざわざ」
健の憤りももっともだった。岬の下で手柄を立てたところで、岡っ引にとってさほど得になる訳ではない。ましてや、相手は人気の義賊。下手をしたら、日向の親分の折角の評判にまでけちがついてしまう。
「健、義賊なんてのはいねえんだよ。盗みをしようなんて輩はいつおかしくなっても不思議じゃねえ」
だから、今の内に。岬の思いを誰よりも知る小次郎の言葉には、子分の健としては従わざるを得ない。青ざめて見える岬の顔に、健は醒めた決意を感じた。

「ああ、森はんはな、志水家の家老の娘はんに懸想文を届けてくれ、ちゅうことやってん」
健の言葉通り、早田屋は金に弱かった。酒も入り、たやすく滑らかに口を割る早田屋を、小次郎親分は困ったように見た。
「森はんは、陸奥磐内藩のお人やねん。よお本も借りてくれる、一番のお得意ですわ」
森はんこと森崎が陸奥磐内藩五十万石の上屋敷に仕える侍であること、時々同様の手紙を他の藩士に頼まれることまで聞いた時点で、小次郎親分は役目をタケシに譲ることにした。
「これも修行ですね」
大役を任されたと信じ、早田屋の話に愛想良く付き合うタケシであった。

「なるほど、それは確かに白浪の手のようだね。策はあるのかい」
奉行の言葉に、岬は面映ゆそうに顔を伏せる。これも、小次郎が巻き返してくれてのことで、自分の功ではない。
「はい。俺があの屋敷に入り込もうと思います。外からは岬が見回りにあたります」
岬に代わって、松山が報告を締め括った。今問い詰めたところで、旗本側は口を割るわけもなく、また賊の手の者が入っていないとも限らない。
 襲撃がいつになるか分からない以上、内と外で見張りをする方が効き目がある。
「屋敷に入り込むのは、岬くんの方が良いのではないかい」
目をつぶって一考した奉行の言葉に、岬が顔を上げた。確かに、松山は腕は立つが、潜入には人を騙すことが必要になる。そして、松山にはその才が欠けていた。
「僕もそう言ったのですが」
岬は松山を振り返った。松山が自分を気遣う気持ちは分からないでもない。潜入先の志水家というのもその理由の一つである。
「いざという時には松山が助けてくれるよね」
自分が赴くことを決意した岬の台詞に、松山は反駁しようと思ったものの、使命感に燃える岬の表情には犯し難い気品があり、反論を許さない。まして奉行のお声掛かりもあって、松山は黙った。
「では、それで頼むよ」
奉行の言葉に、松山と岬は深く頷く。先月の南町奉行所は奉行所をあげて白浪召し捕りに取り組み、そしてなす術もなく失敗をした。北町の面目にかけて、同じく取り逃がす訳にはいかない。

 家に戻ると、父の遺した紙衣を身に着け、髪を結い崩す。顔や手足に煤をなすり、大刀を持ち変え、食い詰め浪人に姿をやつした岬は家を出た。
「これ、こんなところで何をしている」
旗本屋敷のすぐ前で、人寄せの口上を述べると、中から侍が駆け付けて来た。話し掛ける侍を険しい目で牽制すると、岬は懐紙を投げる。居合と共に刀を抜くと、懐紙は半分になって落ちた。
「腹が減ったからな。何か恵んではくれねえか」
小次郎の口調を真似した甲斐もあり、小兵ながらも剣の冴えは一流の岬に、相手が呑まれるのは必定だった。
 大名屋敷ならともかく、五千石の志水家中にそう腕が立つ者がいるとは思えない。
「ちょっとよろしいか」
屋敷の中に呼び込まれることは分かっていた。

 予想通り、予告の投げ文は届いていた。首尾よく志水家の用心棒に収まった岬は、食事に出る日向屋で松山や小次郎とつなぎをとりながら、襲撃を待った。松山と小次郎、健は武家屋敷の周辺の見廻りを始めた。
「そろそろ、動きがあってしかるべきじゃないか。奴はいつも一人、とのことだが、一応翼にも声をかけようと思っている」
松山の言葉に三人が頷く。外側の張り込みを増やして、確実に捕らえる必要がある。
「それにしても、岬、ひどい格好だな。翼誘うなら、小ましにして行けよ」
「小次郎、そうも言ってられないから、悪いけどそっちで声をかけて来てよ」
小次郎、松山、岬の三人に道場師範代の翼を加えた四人が全日道場の四天王と呼ばれていた。力の小次郎に粘りの松山、技の岬、迅さの翼とそれぞれの持ち味を生かした四人は、それでも仲は良い。健は刀は使わないが古来の武術を学んでおり、長身もあって、相当腕が立つ。その五人で賊を旗本屋敷に誘い込んだところで、見つけた者が呼子を吹き、一斉に取り掛かるという策を立てた。

そして数日が経った。
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