宝物部屋(戴き物小説)2

□大人の男女で源岬
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「あの、どこかでお会いしました?」
ナンパしようと思っていた相手に、そう声をかけられ、若林源三は目を丸くした。

 時は午後6時、場所は新宿。飛ぶ鳥を落とす勢いの、世界の若林源三は、久しぶりに帰った故郷もそこそこに、新宿に出てきていた。一時期と雰囲気は変わったとはいえ、まだまだ世界の不夜城東京。遊びに来るにはもってこいの場所だ。これで、遊び相手さえいれば、文句はないのだが、東京在住の知り合い連中には断られ、仕方なく独りで飲みに行こうと思った矢先、だった。
 タクシーを降りて、三杉から教えられたバーに向かう道で、女性にすれ違った。手にしていた書類が、一枚落ちる。
「落としましたよ」
若林は足元に舞った書類を拾い上げて、渡そうとした手を止めた。拾おうとしてかがんでいた女性が顔を上げたのと、ちょうど目が合った。
「あ、ありがとうございます」
さらさらの髪をショートで切り揃え、白いコートをまとっている。可愛らしいのに凛としているたたずまいに、何故か興味をひかれた。
「よかったらお茶でも」
言いかけた先を越されて、女性の発した言葉に、若林は驚いた。そうだ。それを言いたかったんだ。

「へえ美咲さん、イラストレーターなんですか」
目指すバーは目の前だったため、とりあえずそこに入ることにした。酒は苦手だという美咲はウーロン茶を注文し、若林はロックにする。手を洗いに行った後、拾った書類が絵、だったことを話しているうちに、美咲はイラストレーターだと話した。絵本の仕事を主にしている、という。
「若林さんは、何をなさっているんですか?」
どうやら、目の前の女性は自分を知らないらしい。ブンデスリーグ初の日本人GKとして活躍、ジュニアユース、ワールドユースと世界大会にも参加、オリンピック予選にも参戦している自分を。日本の仲間からの情報だと、抱かれたいスポーツ選手部門で十位以内に入っているんだぞ。若林は悪戯っぽい顔になった。
「何をしているように見えますか?」
単なる好奇心だった。理知的なようで色っぽくて、でも可愛い雰囲気を残すこの美咲という女性が、自分のことをどう思っているか探る指標になる。
「そうですね…サラリーマンには見えませんね。うーん、ホストかコンサル系ってところかしら」
美咲の抱いている印象について、判断のつきかねる回答に、若林は苦笑いを浮かべた。何だ、それは。
「だって、お金があって、自分に自信のある人種、のように見えますよ」
あながち間違いとはいえない。美咲のなかなか鋭い指摘に、若林は更に苦笑した。
「残念。もう一回挑戦します?」
ただ、美咲と話すのは楽しい。振り回されているのに、どこか暖かいのは美咲の笑顔が明るいからかもしれない。
「良いんですか?」
何だか、子供に戻った気がした。小学生の頃、翼と意地を張り合っていた時代を何故か思い出して、若林は目を細めた。
「ええ。正解したら、ここは俺のおごり。でも、不正解だったら美咲さんの電話番号教えて下さいね」
「あら、私の電話番号って400円の価値なんですか?」
大きな瞳を見開いて、美咲の表情が動く。女性にとって、財産もあって地位もある若林は魅力的らしい。灯火の虫のように寄って来られるのは好きではなかった。ナンパ、をしたのも生まれて初めてだった。
「さあ、考えて」
若林の催促に、美咲の口元が緩む。微笑むといっそう優しく見える顔は、印象的なのに自己主張は強すぎない。
「俳優さん?こんなにかっこいい人なら、忘れないと思うんですけど…」
何気なく発せられた言葉に、若林は何だか嬉しくなる。かっこいい、素敵、既に聞き飽きているのに、美咲から聞くと、本心のような気がした。
「残念でした。他に何か思いつきますか?」
「いいえ、降参です」
若林は微笑むと、日本用の名刺を差し出した。親が嬉しがって作ってくれたのだが、仲間くらいにしか渡していない。
「サッカー選手、なんですか?」
ためらいがちに聞く美咲に頷いて、若林は手を差し出した。
「じゃあ、こっちも」
美咲はハンドバックから名刺入れを取り出した。再生紙の名刺には名前の他に、住所と電話番号が書かれていた。

「じゃあ、また連絡します」
それからしばらく話して、店を出ようとした時、後ろの席に座っていた女性二人組が若林に近づいて来た。
「あの…サッカーの若林選手ですよね?」
「ああ、そうだが」
美咲を長く待たせるのも気が引けた。早く切り上げようと、気のない返答をした若林に、女性達は話し出す。
「さっき、そちらの方にも聞いたんですけど、答えてくれなかったんで」
若林は美咲を振り返った。この女性達と美咲が話す機会といえば、自分が店に入ってすぐ、洗面所に立った時だけだった。
「知ってたのか?」
「教えてもらったんじゃ、フェアじゃないでしょう?」
ふわり、とした美咲の微笑みに酔いが増した気がして、若林は店を後にした。夜風が心地よく感じる。やはり、思ったよりは酔っていたらしい。
「じゃあ、これで」
続けて支払いを済ませた美咲が出て来た。さよなら、と振ろうとした手を捕まえて、若林は笑った。
「俺の負けの分は明日おごるから。送らせて」



(つづきません)
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