バザール2

□懺悔
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「岬に受け取ってほしい物がある。」
今にも正座しかねないような神妙な顔で、若林くんは僕を見る。
「…何を?」
「何も聞かずに、受け取ってくれないか?」
若林くんは頑に答えない。
…何だろう?
幾度目かになるハンブルクへの逢瀬。
前回、若林くんの家に来た時に、僕達は他の誰にも言えない秘密を作ってしまった。
それは、若林くんに求められるままに、肌を合わせてしまった事。
僕にとっての初恋で、もちろんこんな事は未経験で、でも僕はずっと若林くんが好きだったから、何をされても後悔はしていない。だけど。
翌朝目覚めた時から、若林くんは今まで通り優しくて、でもその瞳に今まで見せた事のない苦渋を滲ませる。
気付かない振りをしていたけど、僕は人の感情を読み間違えたりなんかしない。
若林くんは後悔してる。あの夜を。
「何かは教えてくれないの?」
「聞いたら、岬が受け取らないかもしれないから。」
若林くんは僕を見つめる。
暗い影はそのままに。
正直だね。
それは、慰謝料とか、手切れ金とか、口留め料とか?
「…それ、いくら?」
「いや、岬それは」
若林くんは驚いた顔をして、一瞬視線を泳がせる。
君は、本当に正直だ。
「ううん、やっぱり言わなくていいよ。」
僕は微笑んで遮った。
それなのに。
「…5万。」
スルリと、本当に具体的な金額が僕の耳に忍び込んできて、呼吸が出来なくなる。
「…5万じゃ、ダメか?」
ダメ?
ダメって何が?
君が望むなら、身体ごと。
君が別れを望むなら、痕跡を残さずに綺麗に。
「…それが、僕の値段?」
「そういうつもりじゃ、ない。」
「いらないよ。何にも。」
「岬、」
あの夜、恋に浮かれた僕に煽られるように、若林くんは性急に僕を求めてきた。
そして初めての行為で血を流してしまった僕に、若林くんは何度も何度も謝罪してきた。
謝らなくていいのに。
若林くんは、謝るような事なんて何もしてないのに。
そんなに謝られたら、まるで。
「岬、俺は」
「あの時の事、後悔してるの?」
微笑んでいるのが苦しくて堪らなくなって、そう切り出した。
「………」
「僕はしてないよ。」
精一杯まっすぐに若林くんを見つめる。
だけど、見つめ返す若林くんの視線は、悲しくなるくらい暗かった。
「…俺は、してる。もうしない。あんな事は。」
「………」
「すまなかった。」
「………」
何かを言いたいのに言葉にならない。ただ若林くんの顔を見つめていた。
君が望むなら、身体ごと。
それから、視線を落として小さく「うん」と頷いた。
「…だから、岬、受け取ってくれないか?」
長い沈黙の後、また始まりの会話に戻って、若林くんが酷く静かな声を出す。
もう結論は出ているのに。こんな問答してるだけ時間の無駄だ。
君が別れを望むなら。
「……うん。」
さよならの予感に震えながら、僕はただ言われた通りに目を閉じて手を差し出した。
その手に紙幣の入った封筒が載せられる事はなく。
明らかに違う感触に思わず目を見開く。
「若林く」
「ごめん。岬。これからは、もっと大切にするから。」
不意に抱き寄せられて、耳元で囁かれる。
驚く僕の左手の薬指には、酷くシンプルな銀色の指輪が光っていた。



END
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