宝物部屋(戴き物小説)2

□殿様白浪
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 岬は、足音を聞いていた。握り飯を与えられて以来、どれほどの時間が過ぎたのかも分からぬまま、少しでも目隠しがずれはしないかと動いた。その甲斐あって、光が感じられるようになった今、どうやら昼らしいことは感じたものの、目を凝らしてもその先は分からない。
 そして、足音。志水に謝らせたいという賊の意志には共感するものの、世間を騒がせることをよしとは思わない。
 近付く気配を警戒して、岬は身を固くした。賊は岬の前を通り過ぎ、戸をがたがたと鳴らした。部屋が明るくなり、男の影を岬は見た。
「お前」
その影が近付いてくる。そして、岬の目隠しを取った。目隠しはずらしていたものの、急に光が目に飛び込み、眩しくて目を開けられない。目を逸らす岬の顔を両手で掴み、男は外した目隠しで岬の顔を拭った。
「やはり、そうか」
男の言葉の意味が分からず、岬は目を開けた。光に慣れてきた目で、ようやく男の顔が分かった。何度か、本郷の店で見かけた客。名は知らないが、主や翼とは知った仲の様子だった。
 そして、岬は思い出した。志水にからまれた時、この客もいた。そして、主が志水に突き飛ばされた時、助け起こしたのはこの男だった。自分たちが志水を取り押さえなければ、この男がそれをしたかも知れない。
「お前…」
何故それを忘れていたのか。白波殿様は神出鬼没、そんな些細な事件も耳に入っているだろうと過信してしまっていたのか。 言いかけた岬の顎に手をかけて、男の顔が近付く。
「もっと早くに気付くべきだった。こんなところに閉じ込めたりはしなかったのに」
男の言葉の意味を岬が解するよりも早く、唇が近付いてきた。顔に塗った煤も拭い去られたと悟り、岬は身じろぎするが、縛られて身動きもかなわない。
「…っ」
唇に歯を立てられた男が血のにじんだ唇を押さえる。あの店で何度か見かけて気にはなっていたものの、いつも忙しそうで声をかける暇もなかった。
 そしてあの日、志水が声をかけるのを目の当たりにし、続く騒動でそれどころではなくなった。どうやら町奉行の配下らしい、と悟り、岬という名前を調べたのが先日。
 志水が来るか確かめに出向いた本郷の店で、志水に扮していたのは学問所で一緒だった三杉だった。
 まさか取引に応じるとは思わなかったが、そこまで詐術を用いられるとも考え付かなかった。腹立ちざまに見た隣にいた侍が先日岬と共にいた男と知って、自分の捕らえたのが岬だと分かった。
 それならば。ただで帰すのも惜しい。まだ薄汚れているが、一目惚れした明眸皓歯は見紛うはずもない。
「取引は流れた。お前を返す訳には行かなくなった」
男の口調に、ただならぬ迫力を感じ、岬は身体をこわばらせた。
 まだ少年だった頃に、見知らぬ男達にさらわれた。あの時は小次郎と松山が気付き、助け出してくれた。しかし今は。
「分かった。好きにすれば良い。ただ、一つ教えて。どうして盗みなんか」
この男は見知らぬ相手ではない。翼が挨拶を交わしていたことを知っている。そして、話して分からぬ相手でもないはずだった。自分の追って来た白波殿様は義賊だ。
「そうたいした理由はない。ただ、侍に生まれながら、自分を鍛えもせず、身分に安穏として下の者を苛める輩が許せぬだけだ」
特に旗本などは、目付の胸先三寸で片付けられることも多く、次男三男ともなると、家を継ぐこともできぬからと、不品行の者が多い。
 外様である陸奥磐内藩は五十万石と大藩である代わりに、幕府の要職には就けない。三男ながら、正室の子として生を受け、跡継ぎとして、他の生き方など知らず、幼い頃から家を背負うことを義務付けられた若林にとって、そのような旗本の不行状の子息を懲らしめるのは、いつしか願望となり、快楽となった。
「だから、お前を見た時は、息が止まるかと思った」
小柄な身体で志水を引き倒した腕前に、その後ざわつく店の客を笑顔で収めて、立ち去った鮮やかさ。噂を聞けば、全日道場の四天王の一人だという。
「それにしたって、盗みは感心できない。この前の島田家では切り餅二つで五十両だったね」
二十五両の包みをその形から切り餅、と呼ぶ。十両盗めば死罪の定めから見ても、五十両の盗みは立派な大罪だった。
 そう話している内に恐怖が和らいでいくのを感じ、岬は語気を強めた。自分はあの時の子供ではない。町奉行所の同心で、相手は不倶戴天の盗賊。怖気づいている時ではない。
「まさか。俺が盗んだのは島田家の家宝、大権現の書だぜ。それを大目付をごまかす為、老中に五十両付け届けしたのは、島田家の連中だ」
どうやらこの盗賊の素性は市井の輩ではない。殿様白浪のあだ名は伊達ではなく、かなりの大身らしい、と察した岬は一言なりとも聞き逃すまいと気を引き締めた。
「じゃあ、その前の浜名家も」
「そうだ。浜名家では当主の髻を切ってやった。おかげで奴さん急病で出て来れなくなった、と長男に家督を譲って、不肖のせがれと寺にこもってるぜ」
浜名家の当主は斬られて怪我をしたと言っていたのだが。可笑しそうに言う若林に、岬はつられて笑いかけて、思いとどまった。
「それで何か変わったの」
岬の言葉に、若林は顔を上げた。低く作っていた時とは違い、高いが凛とした声が響く。
「だから、俺はお前が好きだよ。こんな時でも俺を諭そうとするんだから」
笑顔で重ねられる唇は優しく、岬は抗いはしたものの、歯は立てずにいた。
「分かったよ。お前と敵同士というのも切ないから、これっきり盗人はやめておく」
微笑む若林に、岬は目を見開いた。落ち着いて見ると、風格があるだけではない。整っているがあくまで男らしい容貌は、その辺の役者も裸足で逃げ出すのではないか。笑うと更に男前が際立つ。
「君の話が本当なら、追うのも莫迦莫迦しいもの。折角男前なんだから、可愛い娘でも見つけて」
岬の言葉を遮って、更に口付けが施される。細い頸を掴んで、逃げることを許さない手に、岬は呻いた。
「可愛いお前を見つけたから、他は要らない。今度は俺がお前を追う番だ」
唇を離すや否や耳打ちして、若林は立ち上がった。周囲に人の気配がする。
「じゃあ、またな」
若林が裏口を開けると、そこには小次郎と健が立っていた。いつもの十手ではなく、木刀を上段に構える小次郎と、身構える健。
「もう来てたか」
若林は不敵に笑うと、刀を抜いた。八相に構えると、向かってくる小次郎の刀を受けた。初手を受けると、強引力で押し返し、そのまま塀を越えた。
「畜生、裏だったか」
表の方から戸を開けた松山が悔しげに言った。とはいえ、岬の縄を解き、一番に無事な顔を見ることができたのは喜ばしい。
「岬、大丈夫だったか」
きつく縛られているが、それ以外おかしな様子はない。松山の問いかけに岬は深く頷くと、頭を下げた。
「ごめんね、松山。僕が頼りないばかりに心配をかけて」
松山がいつもの心配をしてくれているのは明らかだった。縄を解く前に着物の裾を見た松山に、感謝しながらも恥ずかしくなる。
「構わないさ。それより岬、お奉行から話があるらしい」

 岬が奉行所に顔を出したのは、それから一刻過ぎてからだった。一旦八丁堀の自家に戻り、身なりを整えた岬に、三杉は珍しく優しい笑顔でいたわった。
「岬くん、無事で何よりだ」
「お奉行、色々とお手間をおかけしました」
奉行の三杉が直々に志水に扮した話は道中松山から聞いていた。そして、三杉があの殿様の正体を知っていたことも。
「岬くん、若林殿は何か言っていたかい」
「もう盗人はやめるそうです」
岬は若林との会話をかいつまんで説明した。あくまで自分とのことは伏せ、悪事には身に覚えがないらしいという話を主にした。
「なるほど。多分、本当だと思うよ」
「僕も、そう思います」
三杉の言葉に、岬も同意する。嘘をついている、目ではなかった。軽い自嘲に聞こえてはいても、自分を見つめる眼差しは真剣だった。
「殿様白浪を追うな、と幕閣から言われててね。きっと裏があると思ったから、君達に殿様を追いかけてもらったんだよ」
三杉の言い様に岬は少なからず呆れたが、この奉行らしいと思い返した。そこまで上に逆らいながら、却って地位を高めているのも余人には真似のできない所業である。
「あの殿様は若林殿って本当に陸奥磐内藩の殿様でね。学問所で一緒に息巻いてたんだよ。この世の中を風通しよくしようって。でも、殿様には自藩の民を守る以上の仕事はないからね。僕が出世して、それをやりとげることにしたんだよ」
他ならぬこの奉行が言えば、そんなことすら実現しそうに聞こえる。微笑んだ岬に、三杉は膝を詰めた。
「僕も今度ばかりは目をつぶるよ。岬くんを返してくれたからね」
握られた手をどうして良いか分からずに下を向いた岬に、三杉は口元に笑みを刷く。彼の友とは昔から好みが似ていた。きっとこの笑顔にほだされたに違いない、と思う。
 それに目をつぶった方が得なこともある。狡兎死して走狗煮らる。単なる盗人ならともかく、脅威を無くしてしまうことは奉行の価値を下げかねないし、幕閣の弱みも握ったことは近い将来役に立つだろう。そして、陸奥磐内藩は大藩。恩は売っておくものだ。
 奉行の思惑など露知らず、岬は戸惑っていた。自分を追う、と言った若林。不思議と二人でいても怖くはなかった。そして、奇妙に優しい接吻。とはいえ、相手は大大名。盗人をやめるのならば、もう自分には関わりのない話だ。そう思い込もうとしていた。

 一方、陸奥磐内藩上屋敷では度々藩邸を抜け出した殿様が叱られていた。
「かわら版屋に聞きましたよ。またやったそうですね」
「森崎も、今度殿様の使いを引き受けたら承知しないぞ」
今度からは、外へ出る目的も異なる。あの同心を口説きに行くのだから、と殿様は明日からの予定を思い描いた。



(劇終)
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