宝物部屋(戴き物小説)2

□殿様白浪
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 子の刻限、何かの気配を感じて、岬は起きた。もとより、深くは眠っていない。足音を忍ばせて、気配のした方に向かう。
 月の差し込む主の居室に、人影が、映っていた。
 更に、近付くと、相手も岬の気配を察したようだった。身を翻す様に、曲者だと判断する。岬はすぐに呼子を吹きながら、賊を追った。屋敷の間取りは知らせてある上、当主の居室は特に警戒もしていたのだ。誰かが近くにいるはずだった。
「待て」
岬は盗賊に続いて、屋根に上った。走りながらの為か呼子は届いていないらしい。もう一度吹き鳴らそうとするところを、足を止めた盗賊と目が合った。
「お前、なかなかやるな」
みすぼらしく、風采の上がらない小男くらい、たやすく引き離せると思っていた盗賊は、驚きの目で振り返った。月替わり当番、先月の来た町奉行の時には、これほど追い詰められることすらなかったものを。
「君を捕まえるのが僕の仕事だからね」
不意に声を上げ、盗賊が虚を突かれたところを狙って、岬は盗賊に飛びかかった。盗賊は思ったよりも体躯が大きい。自分の俊敏さを以ってすれば捕らえられる、との過信があったのは確かだった。
 そして、世に名だたる殿様白浪はそれを見逃さなかった。巨躯に似合わぬ素早さで岬をかわすと、逆に当て身を食らわして逃げるつもりだった。だが。
「こいつ…」
一瞬の隙をつく腕は互角だったらしい。自分の覆面に絡まった岬の紐に気付いて、解きにかかるが、びくともしない。
「ええいっ」
刀で切るには紐の長さが足りない。仕方なく、盗賊は岬を抱えて飛び降りた。

「岬はどこだよ?」
小次郎の言葉に、駆けつけて来た健が周囲を見渡した。人数を増やしたために、かえって人目についたらしく、志水の家人に咎められ、ようやく逃れて来た時には、呼子の音は途絶えていた。
「一人で奴を追って行ったのか?」
盗賊の姿も既にない。
「あの岬が簡単にやられるとは思えないが」
「こっちにもいないぜ」
周囲を見回っていた翼は、ふと気付いた。塀に布切れが引っかかっている。
「これは」
薄汚れた生地には見覚えがあった。岬が食い詰め浪人に変装するのに着ていた紙衣の生地。
「岬…」
呼子に応じて、捕り物提灯が動き回る中、松山は周囲の闇に目をこらした。

「…ん」
意識を取り戻した岬は、少し目を開けた。目を凝らしても周囲は薄暗く、何も見えない。どうやら目隠しをされているらしかった。そして、更に自由まで奪われているらしい。
 岬は必死に身体を動かして、腹は痛むものの、自分がどこも怪我をしていないことを確かめた。同時に、自分を縛る縄が相当強固なことと、うまく縛られていることを確認した。相当動いたにも関わらず、緩みはするが、それ以上ではない縄に、岬はとりあえず静観することに決めた。
 相手は紛れもなく、殿様白浪に違いない。これまで手荒な真似をすることのなかった盗賊の良心に賭けるしかないのは、岬としては忸怩たる思いだった。
「…気がついたか」
静かな声がした。岬は声のした方に視線のみを向ける。噂通り、品格のある声に言葉から、侍らしいことが分かる。
「お前は誰だ」
低いがよく通る声が響き、思ったよりも広い家らしいことを知った。
「ここはどこだ」
岬は訊かれたことに対して質問で返した。同心の身元の分かるような物は何一つ身に着けてはいない。粗末な紙衣を更に汚し、数日間のうちに月代も伸びていた。
「あの腕前は只者じゃないな。おそらく、奉行所の犬、か」
呼子を持っていたことからある程度は察せるだろう。それでも、賊に捕らわれたとなれば、同心の名折れ、岬はいざという時は舌を噛み切る覚悟を決めていた。それでも、死中に活を見出す剣を学んできたからには、それまでは命を永らえる。目隠しの先、見えない向こうを岬は見据えた。
「そんなものだよ」
わざとぶっきらぼうに、極力低い声を出した岬に、賊歩み寄った。その足が畳に擦れる音だけで、相当の手練れと分かる。
「まあお前が何であろうと構わん。ただ、正体を知られる訳にはいかないからな。少々不自由だろうが、我慢しろ」
岬は唇を噛んだ。
 あの時、まさか自分が落とされるとは思わず、紐を繋げたのは失策だった。こんな無様なことはなかった。
 こうなったからには、身代金を要求されたりするのだろうか。まさかあの聡くも冷たい奉行が取引に応じるとは思えなかった。それくらいなら、自分くらい捨石にしてくれるだろう。
「おい」
無意識に唇を噛んでしまったのだろう、唇から血を滲ませた岬に気付き、賊は岬のおとがいに手をかけた。
「お前、舌を噛んだのか?」
口をこじ開けられる感触に、岬は顔を背けようとした。
「口の中は血も出ていないな」
頬や唇に触れた賊の手が不意に止まり、岬は身体をこわばらせた。男の硬い指先が顔に触れる感触は嫌な記憶を蘇らせる。
「…どうした?」
賊は、目の前で豹変した男を、思わず凝視した。先程触れた唇は柔らかく、頬の肌触りからすると、若いことが分かった。薄っぺらい紙衣や伸ばした月代はおそらく変装だろう。連れて帰った時も、小柄で子供のような身体だとは思ってはいたものの気にも留めなかった。
 それが、触れただけで、それまでの強気は一転、怯えるように身をすくませたのを見ると、少し気にかかった。
「俺はあの志水の餓鬼には頭を下げさせないと気がすまないだけだ。あいつが、あの時突き飛ばして怪我をさせたおやっさんに詫びるまで、お前が人質だ。安心しろ。何もしない」
気配が遠ざかるのを感じて、岬は息をついた。
 北町奉行の三杉は翌日、奉行所に投げ込まれた手紙を検分した。
「なるほど、この筆はいつもの殿様、らしい」
『男を一人預かっている、あの志水の次男が怪我をさせた店の主に詫びた後、返してやる』
今どきに珍しく、あまり崩さない筆跡に、白い紙。殿様白浪の名に違わぬ手紙だった。
「それで、志水家は何と?」
松山の問いかけに、三杉は黙って首を振る。志水の酷薄そうな顔を思い出して、松山はやっぱりと思った。賊に囚われているのは岬だと告げれば手を貸してくれるかも知れないが、岬は嫌がるだろう。あの時も、わざわざ変装して潜入したくらいだった。
「では、私が志水の次男に化けます」
松山の言葉に、三杉はまたも首を振った。幾ら冷静とはいえ、自分の部下を見捨てるほど、三杉は非情ではない。それよりも、賊との駆け引きに静かな闘志を燃やす奉行であった。
「君じゃ心もとない。僕が、その役をするよ」
次男とはいえ、旗本の子息ともなれば、そこそこの品格を必要とする。立ち居振る舞い、話し方。松山にそれが備わっていない訳ではないし、件の志水の次男の評判からすると、たいした男ではないのだろうが、それでも、この非常事態に松山に大役が務まるかは疑問だった。
「お奉行」
松山が見上げる三杉は白皙の顔を更に青ざめさせながら、静かに微笑む。
「大丈夫、僕が誰かに負けると思うかい」

 志水の暴れた店は、本郷にあり、松山や岬はよく通っていた。店の主は翼の親代わりであり、その日も三人で赴いたところを、酔った志水が岬に絡み出し、諌めた主を突き飛ばしたのである。そこで、松山と岬は志水を取り押さえたのだった。
「岬は触るのも嫌そうだったのに」
松山の言葉に翼も頷く。酔って、岬に酌をさせようとし、最も嫌がる言葉を吐いた志水。それでも岬は志水の家に潜入した。
 そして、目付から謹慎は言い渡されたものの、実質お咎めなしの志水を誅しようとする殿様白浪から守ろうとした。
「うん、絶対助けてあげようね」
本郷の店で、志水に扮した三杉が謝りに行く。そこをどこかで見ている殿様白浪を捕まえる。そのために、三杉の随身の松山が動けぬ分、翼と小次郎たちが遠くで見張る。
「ああ」
小次郎が深く頷いた。

「岬さんはあんなに強いのに、どうして皆さんあんなに心配されてるんですか」
探索のため、旅姿で潜む健に、農民に扮したタケシが尋ねる。
「岬は昔からあの通りの面だったから、衆道の連中に稚児扱いでな。襲われたこともあって、以来、修行の鬼らしい」
今では全日道場の岬をそれと知って襲う者などいない。それでも、今回の発端を思えば、岬の辛さも察せられる。
「親分も必死ですもんね」
日向屋はお直に任せきりで、小次郎親分は店に潜んでいるはずだった。
「だから、ぬかるなよ」
健の言葉に、タケシは黙って視線を強くした。

 どのような手段を使ったのか、志水の輿を借りた三杉は本郷の店に現れた。付き従う松山に主を呼びに行かせた三杉は頭を下げるふりをする。
「奉行様に言われて謝りに参った。酒の上でのこととはいえ、見苦しい真似をした。許せ」
三白眼の醜男である志水の次男とは似ても似つかぬ美男の奉行に微笑まれ、ひげ面の主は申し訳なさそうに頭を下げた。
 どこで殿様の手下が見ているとも限らない。見かけとは違い、必死の二人に、周囲に目をこらす松山。
「あそこの、屏風の向こうにいる武家は誰だ」
入り口近くの席に陣取った小次郎は、向かい合った翼に尋ねた。翼も声を潜めて応じる。
「あれは、この辺に住んでる源さんって侍だってさ。よく来る人だから、俺も顔は知ってる」
「じゃあ、関係ないな」
小次郎がそちらを振り返った時、その客は立ち上がった。店の主に声をかけ、勘定をした男は通り過ぎ様に松山に目を留めた。
「源さん、いつもありがとうな」
主がまだ足を引きずっている様子に目をやり、源さんと呼ばれた客は去って行った。それを見送った松山に、三杉が耳打ちする。
「松山くん、あの男を尾けてくれないか。あの男、確か…」
松山の合図に、小次郎が立ち上がって、表にいる健に指示を送った。


 健は小次郎の指示に従い、客を追った。上背があり、肩幅も広い男が、笠をかぶった後姿は遠目にもよく目立った。何の変哲もないようで、動きには隙がない。相当強い男、らしい。
 この近辺は大名屋敷も多いので、どこかの侍だろうと見当をつけ、健が後を尾ける内、門をくぐり、男が入ったのは古ぼけた寺の離れだった。
 確かに怪しい、と健は気配を殺して、周囲の様子を伺った。地味な服装ではあるが、仕立ても手入れも悪くない着物の男が昼日中に出入りするところでもない。
塀の破れ目から覗くと、寺には人のいる気配もある。そんなところを盗賊が根城にするものだろうか。古ぼけてはいるが、荒れてはおらず、無人とも思えぬ寺に不思議に思いながら、健はその場を去った。

 その頃、三杉は店の主に先程の客について質していた。
「あの客はよく来るのですか」
「お奉行、それは。あのお客をご存知、とおっしゃいましたが」
同じく声を潜めた松山の言葉に、三杉は表情を鋭くした。
「あの男、僕の見間違いでなければ、陸奥磐内藩の若林殿だよ。こんな所をうろつくのはおかしい」
三杉の声に含まれた暗い響きに、松山は背筋に冷たいものが走るのを感じた。陸奥磐内藩若林家はこの本郷に上屋敷を置く大大名で、先に殿様らしい手紙を投げ込ませたのも陸奥磐内藩の侍だった。この符号は、どういうことなのか。
「お奉行、どういうことなんですか」
それまで固唾を飲んで聞き入っていた翼が、三杉に詰め寄る。あの源さんはこの店で度々見かけた。確かに並々ならぬ風格はあったが、全日道場の師範代として数々の剣豪と渡り合ってきた翼からすれば、そう珍しくも感じず、酒を酌み交わしたこともあった。
「陸奥磐内藩が何か関係あるのは間違いないと思うよ」
「とりあえず、健に後を尾けさせた。その内戻って来るだろう」
懐手の小次郎の言葉に、なすすべもなく皆が従った。
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