〜プロローグ〜
このページは、旭が実際に体験したのを書いたものです。「人生山あり谷あり」…でも、実際には「崖あり奈落あり」で表した方が似合うかもしれません。
自ら体験したことを、詳細に文章で表した結果、大変長いページになりました。もし長すぎて見れないようでしたら、分割を検討します。
当サイトからリンクされている旭のブログに書いていない場面が多数を占めますので、日記を読んだという方も楽しめればと思います。



〜狂い始めた時〜
小学校・中学校と、問題は無かったわけではありませんでしたが、無事卒業をすることが出来、4月、めでたく希望の高校に入ることができました。
最初は順調でしたが、電車の中に居る時間が往復4時間で、50人近いクラスの中だったので常に圧迫感を感じていました。
その圧迫感が耐え切れず、学校に行ったふりをして、電車や駅で1日中時間をつぶして帰るという状態が続き…
推薦して下さった中学校の恩師や授業料を工面してくれた親に申し訳ないと思って、「転校したい」とは言えませんでした。
9月頃、精神的にも肉体的にも限界が来ていました。学校に行かなければならないというプレッシャーから、夜が眠れず…
10月はじめ、勇気を出して「転校をしたい」ということが出来ました。既に通学日数も単位もこれ以上休むと留年という危険な状態だったのです。
それから1週間ほど後、自宅から片道30分ほどの通信制高校に転入しました。そこは少人数で溶け込みやすい感じがしました。自ずと、同級生に話しかけたりするなど、新たな高校生活は順調にスタートしました。

〜順調のその先の苦しみ〜
転校してからは、順調に学校に通うことが出来ました。変わったといえば…少し気になる人が出現したことです。
どうして好きになったのかと言うと…顔がタイプだったからです。まずはコミュニケーションからと、メルアドを交換ししばらく様子見をしました。
しばらくしてから、チャンスを見つけ告白…しかし"君の事は後輩としか見れない"という返事でした。
その次の日、自殺しようと思い自販機でお酒を数本買い、それを一気に空にしました。しばらくすると、気を失い道路の真ん中で倒れていました。
数時間寝た後、入水自殺をしようと思い遠く離れた海岸を目指し原付で走り続け…頭が空っぽの状態でした。
途中で道に迷い、海までもう少しの所で限界を迎えました。自分で救急車を呼び、病院に搬送され…翌日、親に迎えに来てもらい帰りました。
体は治っても心は傷を負ったままで、悲しみに耐え切れず、学校から帰ってきては、毎日夜になるまで泣いて…
カッターで手を傷つける…いわゆるリストカットもしました。今でも左手はっきりと傷跡があります。
病院の精神科で見てもらい、薬を処方してもらいましたが、少し良くなる程度でした。

〜新しい出会い…あらたな傷〜
3月のある日、ある部からお誘いがあったので、入ったときのことです。その部の部長さんと話していると、優しい人だと思ったのです。初めて見かけたときから、少し気になってはいましたが、まさか話す機会が来るとは思いもしませんでした。
そのうちに、メールアドレスを交換し、色々話してみるとやはり優しくて…惹かれていきました。自分の事を知ってもらうために、今、病気にかかっている事も言いました。
…このとき、初めて性格で人を好きになりました。前まで好きな人を顔で選んでいました。しかし、日本テレビのある番組内で島田伸介氏が…
「顔で選ぶと別れやすいねん、若いときは美しさが100%やけど、年をとっていくにつれて80%、60%、40%って落ち行くわけやろ?だから、性格で選んだほうが持つわけや。」
と、発言をしていました。それに、自分の親は性格が合うという理由で結婚したと話を聞かされました。だから、両親は年をとった今でも関係は全く冷えていません、結婚から20年以上経ちますが、よく2人で笑っているときがあります。
当然、自分にも好きなタイプや嫌いなタイプはあります。ですが、こういうこともあり、顔で選ぶのではなく、性格で選ぶようになったのです。優しい人なら誰でもいいというわけではありませんが…
…でも、初めて話してから告白するまで短かったのかもしれません。正直、焦っていました。答えは「ごめんなさい」。ショックだったのか、言われた後のことは全く覚えていないです。
でも、告白した後も普通に接してくれて嬉しかったのです。相談も乗ってくれるといってくれて、家族からさえも煙たがられていて孤独感が強かったこの時期は、部長さんのおかげで生きていることが出来ていると言っても過言ではありませんでした。
その後、もう諦め切れずにもう1回告白をしました。案の定でしたが、もうこれで未練は無いと思いました。
…この頃は学校に行くのも辛く、登校してから15分もしないうちに早退なんてこともありました。心身共にもうボロボロで、少しだけ動いても極端に疲れ、趣味さえも楽しく感じなくなり、毎日泣いていました。
治るどころかひたすら死に向かっているようで、終わりの無いトンネルを歩いているようでした。孤独、焦燥、悲観…全てが悪い方向に進んでいたのです。

〜誰かに相談をしたい…〜
部長さんとのメールのやりとりは、段々と遠ざかっていきました。本当は遠ざかりたくなかった。でも人の人生まで踏みにじっているより、このまま自分が死んだほうがいいかなって思いました。
でも、本当は死ぬのは恐かった。だから、誰かに助けてほしい…。そう思って、あるメル友募集サイトに投稿しました。「鬱病患者です。寂しくて相談相手がほしいので、どなたかおねがいします。」
当日に1人、メールが来ましたが、自分の症状の酷さに驚いて返信が来なくなりました…。翌日の夜、また1人からメールが来ました「○○です。暇なときにメールをしてください。」
その日は、出かけていたので、翌日の夕方にメールを入れました。「メールありがとうございます。自己紹介をお願いします。」…名前はAさん、隣の県に住んでいる一つ年下の女性でした。
「趣味は?」「部活はどこに入っているの?」…お互いの病気、辛い経験なども話し合いました。しかし、仲良くなってからすぐに修学旅行に行く予定があったのです。
修学旅行の行き先はグアム。当然、日本の携帯の電波は通じません。4日間我慢をするしかありません。
修学旅行の最終日、お土産にネックレスやお守りを買っていくことにしました。家族の分、友達の分…そしてAさんの分も買っていくことにしました。直感的に、買った方がいいと思ったのです。自分でも不思議に感じました。
帰ってきて、Aさんの事が心配だったのでAさんに一番にメールしました。でも、元気でなによりでした。

〜この気持ちって、何だろう?〜
帰ってきて数日後、写メを交換したいとAさんが言ったのです。自分は「顔は自信が無いよ」と言うと「顔は気にしないよ」と言ってくれました。
交換してから話が移り、いじめなど辛い経験があったことも話してくれました。「何か悩みがあったら相談に乗るよ」と言ってくれました。
この頃も、少しですが、部長さんともメールをしていて、励まされたりしました。Aさんからも励まされて、嬉しかったです。でも…罪悪感を感じるようになって来るようになります。
「この前告白したばかりなのに、Aさんとメールしてもいいのかな?」って…。この時、親身になって話を聞いてくれるAさんにも好意を抱いていました…
これって浮気なのかなって一人で悩んで…どうすればいいか悩んでいました。部長さんを傷つけることになるかもしれないって思い…
そのまま、決断できないまま時が過ぎていきました。ある日、自殺しようと思って、部長さんとAさんの2人に携帯で遺書を…動脈を切ったら送ろうと思い書きました。
何時間か頑張りましたが、やはり駄目でした…2人に自殺しようとしたとメールを送ったら驚かれました。怒られたり同情されたり…半分嬉しく半分複雑な思いでした…

〜迷い…のその先〜
最後まで迷いましたが、7月の半ばのある日、自分は思い切って言いました。「Aさんの優しいところが好きなんだ。Aさんと付き合いたい」って…
返事は…「私も好きだよ…。付き合ってもいいよ」。嬉しかったです。心の支えになってくれる人が居ると思うと…それだけで心配が無くなっていくようなきがします。
それからしばらくして、初めて会うことになりました。自分が先に集合場所に着いたのですが、いつ来るか分からず、恥ずかしいのでずっと下を向いていました。
会った瞬間は覚えていません…前後は覚えているのですが、やはり緊張していたからなのでしょうか。
まずは、2人で話しながら百貨店に行き、買い物をしました…やはり初対面で緊張をしていたので、同じところをぐるぐる周っていたりもしていましたが、ベンチが空いていたので休憩することになりました。
飼い犬や学校のことなどを話して、駅へと帰りました。帰り際にグアムで買ったネックレスをあげて…

〜もらった手紙〜
8月半ば、何度か会い、緊張も解けてきたこの頃、手紙をあげました。今となっては手紙の原本も捨ててしまい、内容が思い出せませんが、感謝の手紙だったことは覚えています。
帰ってから、彼女からメールが…「手紙を読んで泣いちゃった」…嬉しくて泣いちゃったのかな?手紙をあげて泣かせちゃったのは初めてでした。正直、驚きましたが、嬉しい気持ちもありました。
8月も終わりにさしかかった頃、彼女がお返しの手紙をくれました。すごく気になったけど、家に帰ってからのお楽しみと言うことで、その場では開きませんでした。
しかし、どうしても気になって、帰りの電車の中でたまらず見たのです。
「自殺したいって言われたときは涙が出てきたんだ…。何も出来なくてごめん。私は旭さんと出会えて本当に幸せだから。辛かったらメールや電話をして。私と一緒に生きてほしい…」
…涙が止まりませんでした。電車の車内にはもちろん他にも人が居ましたが、号泣です。多分、周りの人は見ていたでしょう。でも、抑えることは出来ませんでした。そのくらい感動したのです。

〜部活の悩み〜
それからすぐ、夏休みが終わりました。夏休みが終わったと同時に彼女は林間学校に行きます。学校の行事だから、もちろん携帯も使えません。
でも、自分は毎日送りました。独り言みたいだけど…送らないと寂しくて…これが届くのは、彼女が家に帰ったあとだけど、それでもいいって思い…。
終わった後の初めてのメールは、帰りのバスの車内からでした。「会いたい」という話になると「私も会いたい。辛いことが多いから」と言いました…
彼女も悩みがないというわけではありませんでした。この頃、所属する部の人間関係の悩みがあったのです。「私、部活やめたい…」でも、彼女は続けたい気持ちもあります。自分は、できるだけアドバイスをしました。
「難しい問題だけど、部長さんに頼るのもどうかな?部活をやめるのもひとつの手だけど、後悔するかもしれないから正解とは言えない…。でも、アドバイスは出来るから、どんどん相談してね…」
…精一杯のアドバイスをしたつもりでした。もし彼女と同じ学校に通っていたら、直接交渉もしたかったけど、これが限界でした。
この頃、手紙を貰いました。
「私のことを助けてくれてありがとう。私も結婚を考えているんだ。旭さんが居なかったら、私は一人になっていたかもしれない…私は弱い人間だけど、旭さんの力になってあげたいって思っているから…」
自分は最初から結婚願望が強かったのですが、彼女は最初は結婚には消極的でした。でも、恋をしたら気持ちも変わるのも当たり前だと思います。

〜自分の誕生日〜
自分の中では大したことではなかったのですが、誕生日が近づいていました。彼女も誕生日を知っています。誕生日の日、朝に起きたとき、1通のメールが来ていました。
「誕生日おめでとう。…」…つい半年前は、もう誕生日には生きていないだろうって思っていました。彼女に会っていなければどうなってたのかはわかりません…辛かった1年でした。
その3日後、会えることになりました。この日も手紙を貰うことができました。今日は彼女の前で読むと決心していました。
「私は旭さんと会うまでは、泣いていたときもあったんだ。私のことをここまで愛してくれるなんて嬉しいよ。いつか幸せにしてあげるから、待っていてね…」
…その場で下を向き、涙を流しました。とても嬉しかったのです。この人と一緒に居たら幸せになれるんだって…確信しました。最高の誕生日プレゼントでした…。
11月の終わりごろ、一緒に東京タワーに行くことになりました。でも、入り口には長蛇の列…その日は喫茶店で話をすることになりました。
「次は、いつ会えるかわからないんだ。」彼女は言います。でも、この日の2日後は彼女も自分も休みなので、その日に会いたいといいました。
「ごめん、私、テストが近いからその日は休みたいの…。」仕方がないとは思いましたが、しばらく会えないという怖さから、彼女を最寄の駅まで送っている途中で、電車の中で泣いてしまいました…。
次の日、彼女からメールが来ました「ごめんね…悲しい思いをさせちゃって…私、明日会いたいよ…」。いつも、彼女に迷惑をかけてばかりです。でも、会えないと辛いんです…

〜そして現在〜
現在も、時々会っています。就職をしたら、会える暇がなくなるんじゃないかって、心配です。でも、日曜日だったら?いつでも会えそうです。
最近、”21日祈願”と言われる方法で、神様にお願いをしました。「彼女と、結婚できますように…」…まだ結婚をするには早いかもしれませんが、いつかは結婚できるようにと、21日連続で神社に祈願をしにいきました。
彼女は、恥ずかしい秘密から、家族以外には喋ったことのなかった秘密も…自分の全てを知っています。それでも、自分の事を愛してくれます。
今まで、助けてもらってばかりで何も恩返しが出来ませんでしたが、今度、アルバイトで稼いだお金で、指輪か時計を買ってあげたいと思います。
ちなみに、出会ってからもう6ヶ月以上経ちますが、自分の修学旅行と彼女の宿泊学習の時以外は、メールを欠かしたことはありません。
…修学旅行先のグアムでお土産に買ったボージョボー人形…”手足を縛って”という説明書きに従って縛り、現在も自分の部屋に飾ってあります。願いはかなったのでしょうか?
…同じグアムで買ったネックレス。今は会うたびに彼女の胸に光っているのが見えます。



〜エピローグ〜
執筆の開始は、10月の終わりごろでした。それから約2ヶ月かかりました。高校3年の冬と言うことから、時間があまり取れなくなり、執筆中断もありましたが、なんとか書き終えることが出来ました。
この話を書いている途中に、何度も涙が出ました。辛い記憶を思い出すこともあれば、嬉しい記憶を思い出し自然と涙が出てきたり…。
なぜ、この実話を執筆したのかと言うと、今、生きているのが辛くても、頑張ればいつかは幸せになれるって、他の辛い思いばかりしている人々に言いたかったからです。
でも、現実的に考えると、完全に幸せになるのには時間がかかると思います。それに、最初から完全な幸せをつかむわけではありません。
幸せと言う言葉の「幸」という字の中には、辛さと言う言葉の「辛」と言う字が入っています。たった棒線1本の差です。それを意味するものは「幸せの中にも辛さがある」という事なのです。
自分の場合、彼女が居てとても幸せですが、距離が離れていて、なかなか会えないのです。だから、寂しくて辛いときもあります。
「辛」と言う字は、書き順は違うと言えども「幸」になる途中の段階です。あと1本だけ棒線を付け足せば幸せをつかめるんです。
今の自分は、その途中なんだと思います。このまま頑張っていけば、完全な幸せをつかめるんです。自分の場合は、完全な幸せと言うのは「結婚」ですね。
今、こうして幸せについて書けるのも、自分の周りの人たちが助けてくれたからなのです。家族の存在、先生の存在、部長さんの存在、そして彼女の存在…どれか一つでも欠けていたら、もうダメだったかもしれません。
みなさんが居たからこそ、自分は生きてこられたのです。「ありがとう」…何度言っても足りないかもしれません…
感謝の気持ちを込めながら、これで執筆を終わりにします。執筆完了時の現状までを書きましたが、もしかしたらこの続きを書くかもしれません。お楽しみに…。


2007/12/21 執筆者:旭



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