松風天馬に恋をする
□期待する
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あー、やってしまった。
コンクールに出す絵に没頭してしまった。気づいたら下校時間を過ぎていた。なんで誰も呼びに来てくれないかな。
…誰にも教室で描くと言ってないな。つまり自業自得じゃんか〜。
絵の具はどうしようか。いいや、明日朝早く来て片付けよう。今は帰らないと昇降口がしまっちゃう。
急いで階段を駆け下りる。バタバタと音を立ててしまったけど、もうこんな時間だし、誰もいないでしょ。最後の三段くらいを一気に飛び降りた。
息も切れ切れに昇降口に駆け込むと出入り口の扉にもたれていた松風が目を大きくさせて此方を見ていた。まさか、松風がいるなんて。
やってしまったv2…。
「わっ、みょうじ?凄い勢いでこっち来るなー、って思ってた!」
『あ、はは…』
満面の笑みを向けながらそう言ってくる松風。
なんでよりによって松風。なんで京ちゃんじゃないんだ。京ちゃんだったらなにがあってもこれが私だで笑い飛ばせたのに。
大事だから二回いう。なんでよりによって松風。
しかもなんでこんな所にいるんだろう。とっくに部活は終わってるはずだ。終わるところ見てたし。
…まさか、待っていてくれたとか?私を。いやいや、そんな訳ないだろ。待つ理由もないし。でもこんな時間に他の子いないよね…?
こんな状況でも淡い期待を抱いてしまう私は馬鹿だ。もう諦めるって決めたのに、ちょっとしたことで浮ついてしまいそうになる。
『…ねぇ、松風』
「ん?」
『誰、待ってたの?』
私の方が背が小さいから、彼を見上げる。松風はきょとん、と私を見てからやがて再び笑った。
「葵!」
『…っ――』
「委員会終わるまで待っててって言われてさ」
聞いてみれば当たり前の答え。私ほんと馬鹿じゃん。そうか、今日委員会だったっけ。それなら急がなくてもよかった。あんなバタバタ音立てて走らなくても、それを松風に聞かれることもなかったのに。
もう嫌になってくる。
恥ずかしさと虚しさで体温が上がり涙まで出そうになった。
松風の前では絶対泣きたくない。困らせたくない。
そうだアイスでも買って帰ろう。暑いし、こういう時は甘いものでも食べて落ち着かないと。
松風には悪いと思うけど涙を堪えるために下を向いて『じゃあ、私帰るね』と挨拶をして松風の横を通り過ぎる。
あーあ、こういう時、笑顔でまた明日!なんて言えたらいいんだろうけどなぁ。
ダメな女だな、私って。
すっと横切ってそれでさよなら。
それだけだと思っていたら驚いたことに松風に腕を捕まれた。私より大きな、見た目よりもがっしりとした手に心臓が跳ねる。
「待って!遅いし送ってくよ!」
『ぇ、いやいいよ。私にはアイスを買って帰る使命が…』
「アイス!?俺も食べたい!」
いやいや、食べたいじゃないよ。キミは空野さんを待ってるんでしょ。それに私と松風の家って確か反対側にあった気がするし。
それを伝えると松風は急に真剣な顔になって私を真っ直ぐと見つめた。
いつもの違う表情にがらにもなくかっこいい、と思ってしまい、心拍数が上がる。
「だって、心配なんだ」
『は、え…?』
「女の子がこんな時間に一人で帰るなんて」
女の子。松風は私を一人の女の子として見てくれてるんだ。それがどうしようもなく嬉しい気持ちと共に苦しい気持ちで一杯になった。
だって、松風。あなたには空野さんがいるじゃない。
「だからさ、葵が来るまで一緒に待ってくれないかな?」
だから、だなんて。そんな簡単なもんじゃないんだよ。松風と空野さんが並んで歩いてる所に私も入れって?私、笑えないよ。二人で一緒にいるところ笑って見ていられない。苦しいんだよ。
こんな気持ちキミには分からないだろうな。ううん。分からなくていい。あなたは幸せなんだから。それを壊したいんだなんて思わない。
だから、代わりに、これ以上私を惨めにしないで。
これ以上、優しくしないで。
『…離して』
「え、」
『松風なんて、だいっ嫌いだよ』
そう、嫌い。だいっ嫌い。
だから、もう終わり。来ないで。関わらないで。私を嫌いになって。
そうすれば、私も諦められるし、松風も空野さんがいる。
これで全て解決だ。
松風の手を振り払って背を向けて思い切り走る。文化部だから体力がなく、数百メートルも走ったら息が切れてしまった。歩きながら呼吸を整える。
はは、終わった。
これでいいんだ。私は間違っていない。悲しくなんてない。大丈夫、大丈夫。
頬を滑り落ちた冷たい物には気づかないふりをした。
「…なまえ?」
声をかけられて前を見る。
『…京、ちゃん……』
「なに、泣いてんだよ」
心配そうに駆け寄って来てくれた彼に私は声を上げて泣き出してしまった。
ごめんね京ちゃん迷惑かけて。
でも今だけは泣かせてください。
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