二次創作

□パブロフの犬とシュレディンガーの猫
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「何かさー、よく分かんないのよ」

のんびりとした話し方で連勝は頭をガリガリと掻いた。
彼の広げているノートには、『パブロフの犬』そして『シュレディンガーの猫』とある。

「パブロフの犬っていうのは、結局条件反射って意味で良いわけ?」

「難しい問題ね。宿題か何か?」

「いや、授業中先生が何か言ってたんだけど、全然意味分かんなくてさー。でも何か気になる言葉っていうか、純粋な好奇心を掻き立てられる?っていうの?」

連勝の眼の前で、色白の美女が目を細めて考え込んでいる。
これだけなら非常に絵になる。その美女、野ばらはしばらく言葉を探すような素振りを見せて、ゆっくりと艶やかな唇を開いた。

「パブロフの犬の方が理解しやすい言葉ではあるけど、でもこの言葉もなかなか複雑よ。犬にベルを鳴らしながら餌を与えると、餌を与えなくてもベルを鳴らすだけでよだれを垂らすようになったという条件反射に良くつかわれる言葉ね」

「ああ、そんなこと言ってたかも」

「更に、ベルを鳴らすだけを続けると犬は段々反応が薄くなったの、これを『消去』というのよ」

「へー」

「そして、数日後再びベルを鳴らすと、犬は唾液を出すわ、これが『自発的回復』ね。ただの条件反射だけをみた実験ってわけじゃないのよ」

「実験動物にされた犬の話だったのか」

「シュレディンガーの猫だって実験用語よ。用語としてはこっちの方が理解するのが難しいわよ。量子力学と論理学の面で考える必要があるからね」

「簡単にいうと?」

「簡単には言えないわ。でも、そうね、AかBか決められないことをどちらか決めようとすると、パラドックスが起こるでしょう?大体そういう意味ね」

「わかんねーなぁ。猫にどんな実験したんだ」

「食い下がってくるわね。あたしもあまりよく分かっていないんだけど、蓋つきの箱に猫とラジウムとガイガーカウンターと青酸カリ発生装置をいれるの」

「が、ガオガイガー…?」

「ガイガーカウンター。放射線量計数機よ。簡単にいうと、青酸カリが箱の中に発生する確率が50%だとすると、猫の生存確率は生きている場合が50%、死んでいる場合が50%になるわよね」

「おお」

そこで、いったん野ばらは溜息を吐いて、悩ましげに眉間に皺を寄せて更に言葉を手繰るように思案して再び口を開く。

「ということは、猫が生きている状態と死んでいる状態が割合として1:1で折り重なっている状態で存在しているってことになるの」

「なるほど、わからん」

「聞く気ないわね、…あたしも話しててやっぱりよく分からなくなったわ。言葉があってるか分からないけど、半分死んでいて半分生きているってことね」

野ばらは目の前にあるティーカップを優雅な手つきで口元に運ぶ。
伏せられた睫毛と小さく鳴る喉。連勝はその様子をぼんやりと眺めていた。

「野ばらは、猫って感じだよなぁ」

ふと思ったことをそのまま口にすると、彼女は嫌そうに顔をしかめた。

「気持ち悪いこと言わないで。凍らせるわよ」

「すいません」

「あんたまさかあたしに長い講釈させておいて、今の一言を言いたかっただけじゃないでしょうね」

「ま…まさかぁ」

やけに鋭い視線を向けてくる野ばらに、愛想笑いで応対する。

「あんたは犬って感じよね」

目を伏せて素っ気なく呟かれた言葉に、意外に思いながら連勝は苦笑した。

「なになに、可愛いってこと?」

「めげないし、馬鹿忠実ってこと」

ふと、本当にふと思い立って、連勝は野ばらのティーカップに手を伸ばした。

「あ、ちょっと…」

繊細な装飾のティーカップには、10分の3くらいの紅茶が残っていた。それをひと思いにくっと飲み干す。

「…何してんのよ」

「何となく、飲みたくなった?」

ごごごごごごご、と不穏な擬音が聞こえてくるようなオーラを纏った野ばらがこちらを睨んでいる。
連勝はその視線から逃れるようにノートに目を向ける。

(生きてるか死んでるか分からない猫か…)

しかし、何故か連勝の頭の中では、猫は生きていないイメージが浮かんだ。
生存確率50%なのに、何故か死の匂いの強いこの言葉に、野ばらは冷めた口振りでこう綴った。

「そもそも、本当にその箱の中に猫がいるのかも、開けるまでは分からないわよね」

そうして、艶めかしい唇は綺麗な弓形を模った。
その色香に当てられながら、連勝は再び喉の渇きを覚える。

(パブロフの犬、ね。俺はダメかも。何度も欲求煽られたら涎垂らして我慢だけって、厳しいわ)

自嘲めいた笑いを堪えた連勝は、立ちあがって喉の渇きを潤すべく冷蔵庫へと足を伸ばした。
その背中を見ながら、野ばらはゆっくりとティーカップへ指を伸ばした。
つ、とその縁を人差し指で辿る。
一周したところで指を離して、そのまま自分の唇をなぞった。

そのことに、背を向けていた連勝は気付くことはなかった。

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