Dream3

□危険区域につき
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「…どうしたというのだ?一体…」


怪訝な顔でこちらを見るハチクさんに返す言葉もないわたしは、苦笑いを浮かべたまま立ち尽くしていた。初秋の夕暮れ時のこと。

なぜわたしがセッカシティの沼のほとりで、体のあちこちを泥で汚して、腕にマッギョを抱いているのかというと―そもそもの事の起こりは本当に幼稚な思いつきだった。

ハチクさんは寡黙で冷静で、感情をあまり表に出さない人だ。言うなればミステリアス。わたしのような好奇心旺盛な人種にとっては、実に興味をそそられるタイプである。そこにほのかな好意も加わって、行き着いたのは「いつもと違うハチクさんを見てみたい」という何とも安易な考えだった。
では、その願望をかなえるために何をすべきか?―ここからだ。稚拙なドッキリ計画が始まったのは。

セッカといえば湿地、湿地といえばマッギョ、マッギョといえばトラップ。マッギョさえ手に入ればどうにでもできる。マッギョ万歳。こんなに簡単に手筈が整っていいものかと一時は恐怖すら感じたものだが、まさかそれそのことが大誤算だなんて浮かれたわたしに気付けるはずもなかった。

マッギョが捕まらない。
出てくるのはチョボマキばかり、時々違うポケモンだと思えばガマガルだったり、運良くマッギョを見つけてもわたしの手持ちがうっかり倒してしまったり。
そんなこんなで、気が付けばかなりの時間が経っていた。
泥まみれのびしょ濡れの、くたくたな体で力任せに投げたボールがクリティカルヒット。ようやく一匹捕獲に成功し、冒頭に至る。
できればこんなときに会いたくなかった。これは乙女心以前の問題だと思う。


「お出かけ、いえ、お帰りですか」


長い長い間の末に、ひねり出した一言がこれだった。まるで会話のキャッチボールができない子のようだ。


「そんな事よりも、きみのその格好は…何かあったのか?」


姿のみならず態度までみっともないわたし。それなのに、ハチクさんは自分のことなどどうでもいいというように、わたしを気遣ってくれた。情けないけれど、嬉しくてたまらない。


「マッギョを、捕まえるのに、少し苦戦してしまいまして」


ただ、この先どうしたらいいのか余計に分からなくなった。ハチクさんの真摯な瞳に嘘や誤魔化しを映させたくはない。でも、ありのままを伝えて呆れられるのも嫌。
腕の中のマッギョは、時々嘲笑うような表情を見せた。


「そうか。難しいようならわたしが手を貸してもよかったのだが…
いや、それでは君のためにならないな」


馬鹿だ、わたしは。くだらない好奇心と下心で、こんな優しい人を裏切るような行為に走るところだった。大体、わたしなんかが思いつく単純な策にハチクさんが引っ掛かるわけないじゃない。本当に馬鹿。


「ごめんなさい」


口から押し出した瞬間に、風で掻き消されてしまいそうな小さな声。それでも、彼には届いている。腕に込めた力からマッギョにも。
この子は、あとでそっと逃がしてあげよう。わたしのそばに置いておかれるのは可哀想だ。

心の中での後悔と反省に集中していたのか、それがいたく突然のことに思えた。髪や顔を布で拭かれる、少し懐かしいあの感じ。自分の身に起きた事態を知って、あわてて制止にかかる。


「だ、だめですよ!着物、汚れてしまいます!」

「しかし、何もせずにいるのは失礼だろう」

「これは自業自得ですから!」


ハチクさんの耳がぴくりと反応したように見えた。離れていく彼の左袖には乾きはじめた泥がついていて、ひどく目立つ。


「ごめんなさい。それと、ありがとうございます。」


今度ははっきりと口にすることができた。
浅はかでごめんなさい。優しくしてくれてありがとうございます。
これは偽りじゃない、本当の気持ちだった。


「お転婆も、程々にな」


他の部分と違わず泥がついていたのであろう、鼻の頭を擦られると何だかすごく気恥ずかしい。


「はい…ハチクさんを見習います」


ずっと静かにしていたマッギョが動いたのはそのときだった。見れば、小さなヒレを必死に伸ばして腕や胸元の汚れたところに触れている。もしかして、マッギョもハチクさんを「見習って」いるのだろうか。


「マッギョ、ありがとう」

「…どうやら、このポケモンはきみを好いているようだ。大事にしてやってくれ」


そう言ったハチクさんは、今までに見たことがないくらい暖かく微笑んでいた。

誰を陥れるでもなく、傷つけるでもなく、欲しかったものを手にしたわたしは、ますます彼を好きになる。
もはやそれ≠ェ何のためだったのかさえ確かめる術はない。

















これでもハチクさんは精一杯愛を囁いてるんです。たぶん。
マッギョかわいいよマッギョ



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