新作部屋
□君は強がり
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ここ一週間ほど、職場は実に平和だった。それというのも太子がやってきていないからだ。
仕事中だろうが休憩中であろうがこちらの都合などお構いなしに押しかけてきた彼は今、けっこうな忙しさ…らしい。それは僕の方も同じで、急ぎの仕事やら他の部署から回ってきた仕事で手一杯だった。一日中書類とにらめっこし、帰りも遅い日々が続いていた。
太子の顔さえ見れない日々はどこか新鮮で、そして違和感だらけだった。あの人と会う前に戻っただけだというのに、何故なんだろうか。
いつも隣で色々な話を聞かせてくれる彼は、どうしているのだろう。仕事が溜まりすぎて監禁されているかもしれない。ご飯はちゃんと食べているんだろうか。
心配になって休憩がてら執務室の近くまで様子を見に行くことにした。向かう途中の廊下で、太子と僕より冠位の高い役人たち数人が話しているところを見つけた。
太子はジャージではなくきちんとした正装を纏い、普段の彼からは想像もできない真剣な顔だった。
(……邪魔しちゃいけないな)
ひとまず顔を見れただけでも良しとしようと、僕はその場を離れた。
それから月をまたいだけれど、一向に太子は僕の前に姿を現さなかった。ほとんど毎日会っていたのが嘘みたいだった。
(どうして会いに来ないんだろう)
まだ忙しいのかな。僕に会いたくない理由でもあるだろうか。もしかして僕のことを嫌いになったとか…。いや、やめよう。分からないことを考えたって仕方ない。
三週間目。次第に心がしおれていき、鬱々とした気持ちを隠すのが難しくなってきた頃、僕は竹中さんに会いに行った。
「こんにちは、竹中さん」
「やあ、イナフ。今日はどうしたんだい?」
「あの…最近太子に会いました?」
「いいや、来ていないよ。よっぽど忙しいんだろうね」
「そうですか…」
気づかれない程度にため息をついた。
「さみしいのかい、イナフ?」
「そんなわけないでしょう。むしろせいせいしてますよ、あの人は人の都合なんかお構いなしに来るから」
「自分をごまかさない方がいい。今のイナフの顔にはしっかりと『さみしい』と書いてあるよ」
見透かされた気分だった。心のどこかに穴がぽっかりと空いたような感覚を抱えながら、僕は家に帰った。
無意識のうちに夕飯の支度をしていて、はっと我に返ったらカレーが鍋いっぱいに煮込まれていた。太子がいつもおかわりするものだから、多めに作るのが暗黙の了解になっていた。
「…どうしよう」
一人ごちて、使い道は後で考えようと思った。ご飯を食べ、お風呂に入り、布団に潜り込む。今まで数え切れないほど繰り返してきた日常だ。だけど無性に虚しいのはどうしてだろう。決定的な何かが足りない、脳はそう答えを出してはいたが、僕はそれに気づかないフリをした。
布団の中は、体温がひとつ足りなかった。
とうとう一ヶ月会えずじまいだった。何度も執務室の近くまで足を運んだけれど、タイミングがことごとく合わずにそのまま帰ってくるばかり。そのうちに足が遠のいてしまった。
後ろ向きな考えばかりが僕の頭を支配して、黒い雲に覆われた空のように心はどんよりしていた。
(…本当に会いたくなくなったのかな。だって、好きなら会いにくるはずなのに、何もなくても勝手に来るような人だったのに)
鬱屈した気持ちが固まって、ため息を重くさせるようだった。
仕事はとっくに終わっていた。だけど太子のいない家に帰る気にはなれなくて、こうしてうだうだと時間を潰しているのだ。
(……待ってたって来るはずないのに、なんでこんなことしてるんだ僕は。さみしいなんて思ってないはずなのに)
一人ぼっちだって平気だ、僕はもう大人なんだから。好きな人がそばにいないくらいで弱気になってちゃ情けない。
(…でも、僕は……)
ばたばたと廊下で誰かが走る音がした。もう時間も遅いのに誰なんだろう。
「……妹子っ!!」
息を切らした太子が僕の仕事部屋に飛び込んでくるのを、僕はどこか別の世界で起こっていることのように見つめていた。
「良かったぁー…まだいてくれた」
「……」
「ごめんな、ずっと仕事が立て込んでたんだけど、やっとまとまったお休みもらえたから」
「…………」
「お、怒ってる…?」
「……やろう」
「へ?」
「この大馬鹿野郎!!なんで会いに来てくれなかったんですか、なんで!」
「ごめん…忙しいと妹子とゆっくり会ったりできないからたくさん会える時間作りたくて…」
慌てる太子の胸ぐらを掴み、一方的にまくしたてる。
「ふざけんな!僕がどれだけアンタに会いたかったと思ってんだ!必要じゃない時ばっかり来るくせに、肝心な時には来てくれないんですか!?僕はアンタがいないとさみしいんですから…っ」
涙がこぼれたせいで言葉が途中でつっかえた。もっと怒鳴ってやりたいが嗚咽のせいでまったく言葉になりゃしない。
「…さみしかったんですよ、ほんとにっ…!分かってんのかこのあほー…」
「ごめんな、まさかそんなに寂しがらせてるとは思ってなくて…妹子はちょっと会わなくても大丈夫って勝手に思ってた。でも、やっぱり寂しかったんだな」
「太子のバカ野郎、しんでください、このロクデナシ」
「うう、久しぶりの罵倒は堪えるぞ妹子…」
「……でも、大好きです…」
「お前、そのセリフは反則…」
ずっとさみしい思いをしていたせいか、何も躊躇わずに太子に抱きついた。たった一ヶ月離れていただけなのに、もう数十年も離れていたみたいだった。
「もう、さみしいなんて思わせないでください…」
「うん…ごめんな妹子、寂しくさせないって約束するよ」
「破ったら承知しませんからね」
「分かってるよ。さ、もう遅いから帰ろうか」
「……嫌です」
「妹子?」
「太子の部屋に、行っちゃいけませんか」
言葉の裏に隠された意味を、どうか読み取ってほしい。離れていた分安心させてほしいって――
「…誘ってんの?」
「いちいち確認しないでください、ばか」
だってどう転んだって素直に言えそうにないから。
太子の私室へ移動するなり僕は太子に口づけを仕掛けた。一瞬だけ僕が優位に立つけれど、舌を入れられたことで容易く主導権はひっくり返った。
久しぶりのキス。頭の芯がゆるりとした痺れに侵されていく。閉められた戸に背中を押しつけられ、縋りつくように太子の首に腕を回した。
もっと太子が欲しくて一層舌を絡める。唾液が溢れ口の端を伝い、歓喜の涙が頬を滑り落ちた。
「…ちゅーだけじゃ足りないよね、妹子」
耳朶に唇を寄せて囁かれると、ずしりと腰に重い熱が溜まる。
「はい…」
「お布団行こっか。私が満足するまで付き合ってもらうからね…」