新作部屋

□君を泣かせる方法
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私がいつものように仕事をサボって人気のない書庫の片隅でうたた寝をしていると、大量の書物を抱えた妹子が入ってきた。


「ふぁ…あれ、妹子どしたの」


欠伸混じりに問いかけると、妹子は私を一瞥して答えた。


「返してくるように頼まれたんです」


「誰に」


「上司からです。仕事が立て込んでると言って押しつけられました」


「これ全部か?随分ひどい奴だな」


「…別にどうってことありませんよ」


「そう?」


「とりあえずサボってるだけならさっさと出ていってください、邪魔なので」


「ちぇ、つれないの」


唇を尖らせ手伝ってやろうと書物を手に取ろうとする。


「余計なことしないでください」


きつめの声音で言われれば従うしかない。こうなった妹子はこれ以上怒らせると後が面倒くさいからな、経験的に。


「はいはい、出ていけばいいんだろ」


戸を閉める瞬間に見えたのは背伸びした後ろ姿。今日もまた、あの子は無理をしている。


妹子は端から見ても分かりやすいほどに嫌がらせを受けていた。あの若さで五位という立場につき、遣隋使に抜擢されたんだから妬みの対象にならないはずがない。


実際あいつの陰口は嫌でも耳に入ってくる。地方豪族風情が出しゃばるなとか、賢しいだけの小僧とか。果ては私に取り入ってるなんて噂もある。


あーあ、バカバカしい。あの子がそんなことするはずないじゃないか。妹子は頑張ってるだけなのに。陰口叩いてるお前らよりもずっと優秀だというのに、どうしてあの子ばかりが損してるんだろ。


どんなに嫌がらせされたって、傷ついたって、妹子は泣かない。一度たりとも見たことがない。弱音も愚痴も言ったことがないのだ。


だから、私は思う。ほんのちょっとだけでもいいからあの子を楽にしてあげられないだろうかと。


泣かないあの子を、泣かせてあげたい。強いあの子が折れてしまわないように。



「やっほー妹子、遊べこら…って、なに隠してるんだ?」


「…何も」


視線を床に向ければ、破れた紙が落ちていた。拾い上げてみるとそれは書類の一部のようで、几帳面に書かれた字は妹子のものだった。


「妹子、これ…破いたのか?それとも破かれたのか?」


「………」


その沈黙で私は後者だと確信した。


「こんなことする奴は分かってるのか?」


「僕をやっかむ人なんていっぱいいるから分かりません。それに、こんな小さい嫌がらせなんていちいち相手にしてたらキリがないですよ。気にしないでください、たまにあることですから」


「たまに、って…お前」


日常茶飯事だというのか、これが。こんな故意に傷つけるような真似が、そうだと?


「悔しくないの?」


「それは、そうです。でも悔しがっている暇があったらやった奴を見返すために努力するまでです」


この子は強い子だと思う。だけど、どこか危なっかしい。例えるならそう、野に咲く名も知らぬ花。風や雨に打たれても、しゃんとそこに立っている。しかし幾度も踏みにじられれば立てはしない。


「…?」


ずたずたの書類の中に、違う色を見つける。いや、色じゃない、あれは葉だ。気まぐれに探しては妹子に見せていたあの四つ葉。


「これ…」


「……すみません、栞にして取っておいたんですがそれも破られてしまいました」


少し申し訳なさそうに、悲しそうに顔を歪める妹子。


「ま、また持ってくるよ」


「いえ…また破られてしまうでしょうから。そうなったら四つ葉が可哀想です」


可哀想、なんて。それは妹子の方じゃないのか。きっと大事にしていたであろう栞が破られても、不自然なくらい感情を出さないお前の方がずっと可哀想だろう。


「……泣いてもいいんだぞ、お前」


「泣けば許されるとでも?冗談じゃありませんよ、馬鹿にしてるんですか?」


まっすぐな光を灯すその瞳は僅かに揺れている。膝の上の手は微かに震えていて、強がっていることは一目瞭然だ。


「僕に優しくしないでください」


そう言い放つ妹子の語尾は小さく揺れていて、もうこの子の心は傷だらけなのかもしれないと思った。


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