小説:Bigeastation編31~

□36:Bigeastation 36.
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Bigeastation 36. 2007/12/2~8


 ジュンスがうざい。

 いや、まぁ、それはいつものことなんだけど。
 いつもみたいにウザイなら適当にあしらえばいいからいいんですけど。
 違うんですよね、なんか、こう…
 鬱陶しいっていうよりは、理解不能というか。

 まぁそれだって言ってしまえばいつものことなんですけど。

 「もう寝るの?」

 風呂から上がると、扉のすぐ向こうに彼は待ちかまえていて、ぼくにそう訊いた。

 もう、と言ってももう夜というより明け方に近い時間であり、明日も移動だ仕事だと詰め詰めのスケジュールが待ち受けているのであって、つまりぼくは正直もう寝たかった。

 この人は眠くないんだろうか。
 ていうか、寒くないの?

 「ヒョン、いつからここにいたんですか?冷えますよ、そんな薄着で」

 「もうちょっと起きてる?」

 …そうですね、先に無視したのはぼくのほうですもんね。
 純粋に心配した気持ちを流されても、文句は言えないですよね。

 こんなところで意地の張り合いをしてもしかたないし、とりあえず暖房の効いたリビングへ彼を連れていくために、ゆっくり廊下を歩き出す。

 「ちょっと、の基準にもよります。ゲームはしませんよ、ヒョンたちもう寝てるんですから」

 「じゃ、映画、とか。観よ」

 ぺたぺた裸足でフローリングを踏みながら、彼はぼくが着ているパジャマ代わりのシャツの裾を掴んでついてくる。

 最近、毎晩この調子だ。
 何か用があるというわけでもなく、特にすることがあるわけでもないのに、ふたりになるとなぜかこうしてぼくを引き留めたがる。
 最初はエッチでもせがまれているのかとちょっとドキドキしたけど、ふたりきりのときに一度(彼にしては)さりげなくキスを拒まれてからというもの、ますますその真意は謎に包まれた。

 ゲームはしない、と言っても、拗ねたりしつこくねだったりすることもなく。
 お茶を飲んだり、本を読んだり、別に何をするでもない時間をひたすらふたりで過ごすだけで。

 「何か観たいのがあるんですか?」

 首にかけたタオルで頭を拭きながら、リビングに入ってキッチンに立ち寄る。

 「チャンミンの、お薦めのやつ」

 相変わらずぼくのすぐ後ろに立って、ジュンスはぼそっとこたえる。

 うーん、そうか。
 つまり、別に映画が観たいわけじゃないんですよね。
 いったい何を望まれているんだろう?

 「明日はまた日本ですよ。そろそろ寝ないと仕事に響きます」

 「飛行機で寝れるじゃん。前の日あんまり寝ないほうがいいってユチョンも言ってたし」

 「…それ、乗れない人の話じゃありませんでした?」

 確か、こないだ録ったラジオでそういう話したような。
 ジュンスは待機だったと思うけど…
 そういえば、あの後くらいだろうか?
 この変な待ち伏せ作戦がはじまったのは。

 何か気に障るようなこと言ったっけ。
 もしかしてこれ、睡眠不足を誘発しようという陰湿ないやがらせ?
 いやいや、この人に限ってそんな知恵の要ること思いつかないって。
 大体、拗ねたり怒ったりしてもそこまで持続するほうじゃないし。

 名前も出さなかったつもりだったけどなぁ。
 まぁ、いなかったから静かだった、くらいのことは言ったかもしれない。
 でもそんなのしょっちゅう言ってるし、心当たりのうちにも入らないはず。(それはそれで我ながらどうかと思うけど)
 あの前後、他になんの話してたっけ…

 カップをふたつ並べて、冷蔵庫から出した牛乳を注ぎ、電子レンジにかける。
 ジュンスはぼくを逃がすものかと言わんばかりにキッチンの入り口に立ち塞がっている。

 …思い出せない。
 けど、きっと何か言ったんだろう。
 しょうがない、話し合うか。
 寝る時間は惜しいけど、愛には代えられませんよね。

 「ヒョン。持っていきますから、座ってて」

 「…ん」

 渋々ソファに向かう間も、彼はぼくから目を離さない。
 どうしても否めない居心地の悪さに身を晒しながら、キッチンの灯りを消してお盆ごとカップをローテーブルの上まで運んだ。

 そのまま一旦身を翻そうとすると、がしっと手首を掴まれる。

 「どこ行くの?」

 なんですか、その眼差しは。
 ぼく、浮気でも疑われてるんですかね?
 ないない、有り得ないから。
 頭どーかしてるぜってくらいあなた一筋ですから。

 「膝掛けを持ってこようと思って。寒いでしょう、そんな格好じゃ」

 「寒くない。平気。座って」

 そう言い張るジュンスの態度は頑なで、反抗期の子どものよう。

 平気って、もう12月ですよ?
 なんでそんな薄着でいられるのか、理解に苦しみます。
 ま、なんとかは風邪引かないとか、よく…

 「それは、ぼくに暖めてほしいから、ってことですか?」

 導かれるまま彼のとなりに腰を下ろして、その細い体を抱きしめようと腕をまわす。

 ふわり、同じシャンプーの匂い。
 不思議なほどこの手に馴染む柔らかな感触。

 ぎゅっと包み込もうとしたその瞬間、彼はいやがるように身を捩って、ぼくの胸を両手で押し返した。

 「あ…」

 生ぬるい熱を孕んだ空気に溶ける、枯れた声。
 その姿勢のままみつめ合って、気まずい沈黙が通りすぎるのを待つ。

 なぜこの人のほうが泣きそうな目をしてるんだ。
 キスどころか抱きしめることさえ拒まれて、泣きたいのはぼくのほうじゃないのか?
 どうして逃げたがるの。
 どうして?

 「あ、あれ観ようよ。こないだほら、日本のラジオで紹介してたやつ。なんだっけ、ラブ…」

 「ラブアクチュアリー?」

 「そうそう。ぼく観たことないんだよね、ユチョンに18禁とかってとめられてさ。クリスマスも近いし、たまには…」

 「ジュンス」

 言葉に紛れて目を逸らそうとする彼の肩を掴み、自分のほうを向かせる。

 怯えるような視線を返されて、余計にジリジリするような苛立ちが込み上げた。

 「ホントに観たいんですか、恋愛映画なんて。ぼくとふたりで?堪えられるんですか?」

 ぼくは堪えられない。
 こんな気持ちのまま、手も繋がずにただ黙って観るだけなんて、何が楽しいというのか。

 抱きしめたいのに。
 キスがしたいのに。
 あなたにふれられないのなら、どんな愛に満ちたワンシーンも感動を損なってしまうのに。

 「チャン…」

 「言いたいことがあるなら言えばいい。誤魔化すなんてらしくないじゃないですか。はっきり言ってこんなの時間の無駄ですし、何を考えてるのかわからない人相手に気を遣ったり我慢したりするの、きらいなんです」

 心の底から迸るままに喉を抜ける言葉と、無意識に彼を痛めつけるように皮膚を圧迫する指先。
 呼吸のたびに強張ったその背中が震えることにも、気づかないわけにはいかない。

 だけどぼくだって傷つくんですよ、ジュンス。
 あなたのこたえを待つのが苦痛なときだってあるんですよ?

 「黙ってないで、気に食わないことがあるなら怒ってくださいよ。理由もなく拒絶されるのが気持ちいいことじゃないことくらい、わかるでしょう?ぼくの何が不満なの?さわるのさえいやがられるようなこと、何かしました?」

 しまった、と思ったときには、遅かった。
 後悔って得てしてそういうものだ。
 わかっていても、起こるまでそれを留めることができない。

 くちびるを震わせて俯いた彼のタンクトップに、ポタポタと染みができていく。

 ああ、もう、最低。
 感情的になって泣かせるとか、なんておとなげない…
 それにしても、泣く?
 そこまで厳しいこと言いました?

 確かにぼくの言いかたも悪かったけど、悔しかったら言い返してくれればいいのに。
 彼女じゃないでしょ、彼氏でしょ?
 もうすぐ21歳の成人男性でしょ?
 ぼくのヒョンで、先輩で、カリスマなんでしょう?

 もどかしさを抑えて息を吐いただけで、びくん、と怖がるように跳ねる体。
 乱暴に肩を掴んでいた手を離し、首からタオルを取って彼に差し出した。

 ジュンスは鼻を啜りながらそれを受け取って、真っ白な綿の布のなかに顔を埋める。
 濡れた髪が直接項に当たると、風呂上がりの温い肌がみるみる冷えていく。

 頭、乾かしてこようかな。
 この時期に風邪引いたりしたら死にかねないし。

 どうせ今は涙を拭いてあげることもできないんだし…

 「チャンミ…、チャンミン!やだっ」

 やりきれない思いを抱えたまま立ち上がった体を、後ろからぐいっと引き寄せられる。
 
 振り返って見下ろすと、濡れて充血した瞳がぼくをみつめてゆらゆら揺れた。

 「ごめ…、行かないで。呆れないで。違うから、ぼく…ごめん。ごめん」

 言ってる本人をも混乱させそうな言葉の切れ端と、ぼくの腰に絡みついてくる白くて細くて艶かしい腕。

 なんの説明もなくひとりで苦しむ彼の目が、声が、きりきりと切なく心を掻いた。

 わかってる。
 今のは、ぼくが悪い。
 全面的にぼくが悪い。
 全然優しくなかった。
 弟としても恋人としても失格だった。

 だけど、これはあまりにもひどい仕打ちじゃないですか、ジュンス…
 あなたが泣くとき、抱きしめることも許してもらえないなんて。

 ぼくは他に慰める方法を知らないのに。
 理解したいという思いさえ空まわってるのに。
 怯えさせることしかできないなら、これ以上どうしろって言うんです。
 言葉も、指先も、あなたを傷つけることしかできないなら…
 
 「ジュンス。放して」

 彼はその細い目尻からぼろぼろ涙を零しながら、一生懸命首を横に振る。

 「やだ。行かないでよチャンミン、怒らないで。謝るから、ちゃんと言うから、お願い…」

 ジュンスは過呼吸のように何度も喉をつまらせる。
 ぼくは、その髪を撫でることもできない無力な手で、皺の寄ったシャツからそっと彼の指を解かせた。

 「ヒョン、落ちついて。大丈夫だから。怒ってるわけじゃないんです、ただ…」

 ただ、こうやってあなたを失うんじゃないかって。
 そう思ったらすごく、怖くなって。
 こんなことで失うわけないのに、バカみたい。
 柄にもなく、動揺してしまった。

 「ちょっと、らしくなかったですね。きつく当たってすいません」

 情けない笑みを漏らしながらダイニングへ歩いていって、椅子に置いてある自分のおおきな鞄を開ける。
 そのなかからブランケットを抜き出し、不安そうな瞳を向ける彼にもう一度近寄って、剥き出しのそのまるい肩を覆った。

 「お互いちょっと頭冷やしましょう。髪を乾かしてきます。すぐ戻ります」

 うまくほほえみかけられたかどうか、わからない。
 ぼくはそれ以上何も言わずに、涙をとめることができない彼に背を向けて、暖房の温度を二度上げてから、静かに部屋を出た。

 廊下は寒くて、ひたすら静寂に満ちている。
 先に寝静まったヒョンたちを起こして助けを求めるわけにもいかない。
 浴室に入り、ドライヤーのスイッチを入れてから、人知れず深い溜め息を漏らした。

 泣くほど思いつめてるとは思わなかった。
 ずっとひとりで抱え込んでたの?
 いったいいつからなのだろう?
 この何日かぼくをそばに置きたがったのは、何かを伝えようとしてたから?

 これまで呑気だ能天気だと散々彼を揶揄してきたけど、自分のほうがよっぽど鈍いんじゃないか。
 ジュンスのことをちゃんと見ようとしていなかったんじゃないか。
 なんの憂いもない今の関係に、甘えていたのかもしれない。
 月光の如く当たり前に降りそそぐしあわせに酔っていたのかも。

 結局ぼくは、誰よりも子どもだ。
 ユノならきっと、おかしいと思えば最初から悩みを訊いていただろう。
 ジェジュンなら、泣かせたりしないで向こうから言い出すまで辛抱強く待っただろう。
 ユチョンなら、何も言われなくても余すことなく理解して、ぜんぶ包んであげられるんだろう。
 だけど、ぼくは…ぼくには………

 ………あ。
 そうだ、ユチョンといえば。

 あのラジオの収録の後、彼に何か意味不明なことを言われた気がする。
 あれは確かジュンスのことだった。
 なんの話だったっけ…えーっと、あの日は。
 去年のクリスマス、映画の紹介、飛行機、ヒーロー、それから…

 本気にしたかもね、もしかして。
 ちゃんとフォローしときなよ?

 ドライヤーを切って、乾いた髪を混ぜる。
 鏡に映った寝不足の瞳がもの問いたげにこちらを見る。
 
 本気にした?
 何を?

 
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