短編

□ドアと中学生事件
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 朝、目が覚めると8時だった。時計を見つめての第一声。え、うっそ、大学遅刻する。いつもならとっくに家を出ている時間。遅刻は確定的。いや、自転車を全力で漕げばなんとかなる、かもしれない。

 取り敢えずは髪も化粧も学校に着いてから、ということにして、大慌てで普段着に着替える。あぁ、もう。どうしてアラーム鳴らなかったんだろう。バタバタ煩く音を立てながらケータイとサイフをショルダーバッグに放り込み、アパートの鍵を握る。朝ごはんはこの際我慢することにした。パンプスに足を突っ込んで、玄関のドアを勢いよく開ける。


「ぶっ」


 ゴン、という鈍い音と変な声。極めつけは微妙な角度でそれ以上開かなかったドア。寝坊で軽い混乱を起こしていた頭が、スッと冷静になる。恐る恐るドアの向こうを覗くと、近所の雷門中のものらしきジャージを着たポニーテールの男の子が、頭を押さえて痛みに悶絶していた。


「わ!ごめんなさい!大丈夫!?」


 さっきとは違う意味で慌てて外に飛び出す。かなりの勢いで開けたドアが、彼にぶち当たったのはすぐに想像出来た。そういえば、ここの管理人さんにドアを開けるときは気を付けるように言われてたっけ、と今更のように思い出した。

 開けっぱなしのドアを閉め、顔をしかめている男の子の肩に触れる。よっぽど痛かったのか、プルプルと震えていた。


「頭打ったの?見せて」

「っ」


 そっと額に当てている手に触れると、思いの外すんなり顔を上げる。真っ白な肌に整った顔。目にはうっすらと涙が浮かんでいた。うっわ、めっちゃ美人!もう少しでそう言いかけ、慌てて口をつぐむ。流石にこの場面でそんなことを言えるほど私の神経は図太く出来ていない。気を反らせるために本来の目的である彼の額に視線を移した。

 随分強くぶつけてしまったようで、白い肌が赤くなっている。そりゃ、あんだけ鈍い音がしたんだから当たり前だろなぁ。一番心配だった裂傷は見当たらず、他にも外傷はない。


「ちょっと来て」


 通路にずっといるのは周りにも迷惑と思い、男の子の手を取りドアを開ける。彼は驚いたのか、は、と声を上げた。顔も良ければ声も良いのか、最近の中学生って。


「いいから入って。おでこ冷やす氷あげるから」


 ほとんど強引に引っ張り込み、玄関先に座らせる。ついさっき出ていった部屋に戻り、小さめのビニール袋に水と氷を入れ、青色のハンカチで包んだ。それを持って玄関に戻る。


「はい、これ」

「あ、ありがとう、ございます」


 差し出した氷を素直に受け取り、赤くなった額に当てる。あ、今気付いたけど。この子、この間2つ隣に越してきた子だ。名前、何だっけなぁ。すごくかっこいい名前だったと思うんだけど。


「うーん、腫れてはなさそうだけど…、一応病院に行った方がいいかな」

「えっ」


 私の言った言葉に、男の子がまた驚いた声を上げる。病院、嫌いなんだろうか。


「そこまでしてもらう訳には」


 あぁ、成る程。遠慮してるのか。けれど頭の怪我は遠慮するものじゃない。


「私がぶつけたんだもの。それくらい面倒見させてよ。あー、えーっと、剣城くん…だっけ?」


 そうだ、剣城くんだ。やっとこさ彼の名前を思い出し、手を打つ。彼は眉間にシワを寄せていたが、どう対応するべきか分からないといった様子だった。


「でも俺、今から部活なんですけど」

「部活?この時間から?君、学校は?」

「は?」


 あ、あれ。なんか、すっごく話が食い違ってるような。ポカンと私を見上げてくる彼に、ポカンと彼を見下ろす私。ちょっと話を整理しようか。


「部活って?」

「サッカー部」

「何時から?」

「9時から」

「学校は?」

「えっと、日曜だから休みです」

「………にちようび?」

「そうです、けど」


 あぁ、それで目覚ましが鳴らなかったわけ。納得、納得。じゃなくて、日曜日ってことは、大学は休み。なのに寝惚けた上に中学生に怪我させるとか、私って本当に馬鹿だ。


「…ごめんなさい」

「い、いや、別に。…あー、俺そろそろ行きます」

「病院、本当に行かなくても大丈夫?」

「これくらい平気です」

「もし後々気分が悪くなったら連絡してね。あ、あと。そのハンカチあげるから持っていっても構わないよ。いらなかったら捨ててくれていいから」

「じゃあ、お借りしていきます」


 立ち上がって一度頭を下げると、彼は玄関を出ていった。


「(返さなくていいって言ったのになぁ)」


 その後ろ姿を見送り、私はくすくすと笑う。最近の中学生は、意外に礼儀正しいらしい。




ドアと中学生事件



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