夢見鳥1

□第十六夜
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外なんかに出なければよかったと、彼はすぐに後悔した。

冷たい夜風が無情にも彼を撫でた。
ティアラを乗せた糸のように細い金髪が揺れる。

彼の、ベルの視線の先には雪がいた。
またあの男、ジョーカーと一緒だ。
楽しげに語らう2人の影が1つに重なった。

抑えきれない苛立ちが、彼の中で沸き起こった。



。*'゚'*。*゚'゚*。*'゚'*。。*'゚'*。*゚'゚*。*'゚'*。。*'゚'*。*゚'゚*。*'゚'*。



鏡を見つめながら、彼女は溜息をついた。
指で唇をなぞれば、気のせいか熱を持っているように感じる。
昨夜のことを思い出すと、嬉しさと同時に何故か溜息が出た。


(キス、されたんだよね…)


もう時計の短針は一周回ったというのに、昨夜のことはつい先ほどのように思える。

食事が終わり、店を2人で出た。
屋敷につき、部屋に戻ろうとする雪にジョーカーは優しく口付けを落とした。

全く望んでいないわけではなかった。
それでも、また胸が痛んだ。


(ダメ…私はジョーカーを受け入れるって決めたんだよ)


強く唇を噛み締める。
今頃になってスクアーロへの想いを自覚した。
今になってはもう少し、もう少し早ければと悔やむばかりだった。


「スクアーロ様…」


ジョーカーとのことを喜びたい気持ちと、スクアーロへの想いが胸の中で戦っている。
そう簡単にどちらも諦めることなんてできない。


(…久しぶりに、トランプでもやりに行こうかな)


ずっと1人で塞ぎこんでいたって何も変わらない。
こんなときだからこそ、数少ない友人と呼べる彼らと話がしたかった。


「ベルたち、居るかなぁ…」


今更行って受け入れてもらえるかなんて分からない。
それでも、心を許せる人たちと話がしたかった。

そっと談話室の戸を開く。
ガランとしていて誰もいなかった。


(そんな都合よくいるわけ無いよね)


期待なんてしていた自分に笑えてくる。
テーブルの近くの棚には1セットのトランプがある。
ベルが買ってくれたトランプだ。
ここで笑っていた日々が遠い昔のようにさえ思えてきた。
あれからまだ、一ヶ月も過ぎていないと言うのに。


ただ1人の人間を求めた結果がこれだ。

気が付いたら側にいたのはただ1人だけで、大事なひとたちは皆側にはいなかった。

大事な友も、

ようやく気付いた恋い慕う人も。


「スクアーロ様…」


焦がれる思いを伝えることはもうできない。
そんな想いを持つことさえ本当は許されないというのに。


(ザンザスにも、頼れないしね…)


兄のような彼のことも、自分が突き放した。
今更助けを求めるなんてできやしない。
ましてや、恋の相談などできるわけがない。

全て、自分が迷いきちんと選ばなかった結果だ。
もっと早く自分の本音と向かい合っていれば、こんなことにはならなかったはずだ。
本当に自分にとって大事な人物が誰か、もっと考えていれば…

後方でドアが広く音がした。
雪は息を呑んで振り向く。


「ベル…」

「………」

「久しぶり…でもないか」


同じ屋敷にいるんだもんね、と空笑いをする。
見られたのではないかと不安を抱きながら目じりの涙をこっそりと拭った。


「久しぶりにトランプでもしようよ。2人だと何がいいかな?」

「………」

「トランプがいやなら、チェスでもやろうよ」


部屋に現れたベルは無言のままその場に突っ立っている。
怒っていないわけがないと分かっていながら彼女は問いかけた。


「ベル、怒ってる?」

「別に」


やはり返ってくる答えは不機嫌そうだった。
友でもある上司の約束を放り出し、私欲に現を抜かしていたのだから当たり前の結果だ。


「最近ベルたちに会いに行かないのは悪いと思ってるよ。だけど…」

「王子よりも、アイツのほうが大事だって言うんだろ」


冷たく突き放すようなその声には殺気さえもこもっていた。
雪は必死に否定の言葉を探す。


「そんなことないよ!勿論、ジョーカーは大事だけど、ベルたちのことだって…」


言い終えるよりも先に、何かが頬を掠めていった。
黒髪が何本かハラハラと床に落ちる。


「ベ、ル…?」


部屋中に満ちているさっきは間違いなく彼女の前に立っている人物のもの。
そして、雪の頬を掠めていったナイフも間違いなく彼のものだった。
彼は、本気で苛立っていた。


「なんで、王子じゃないわけ」

「なに言って…」

「王子だけが特別じゃないとか、冗談だろ」


狂気が部屋中に満ちていた。
常人ならば、それだけで意識を失ってしまうような恐ろしいまでの狂気が。


「ベル、ちょっと落ち着い…」

「王子なんだから、特別に決まってるだろ」

「特別、特別ってさっきからどうしたの?ねぇ、ベル!?」


怯えたように後ずさる雪の足に激痛が走った。
ナイフが突き刺さった足から生温かい血が流れ出していた。


「なんで、王子じゃなくて、あんな奴なわけ?」

「ベル…っ!やめてよ、ね…?」


震える声で懇願しても、答えは返ってこない。
恐怖で手が震える。
目の前に立つベルは、今までのベルとはまるで別人のようだった。
それがさらに恐怖を増幅させた。
ナイフを引き抜こうととすると今度は手を狙ってナイフが飛んできた。


「…ッッ!?」


かろうじで腕に刺さるのは避けたがナイフは隊服の袖を貫通し雪を壁に押さえつけた。
恐怖のあまり涙で滲んだ瞳でベルを見る。
彼は数本のナイフを手に持ったままこちらを見据えている。


殺される


そう直感が警報を鳴らしていた。
とっさに手が太もものホルスターに伸ばされる。


「来ないでっ!!!」


カタカタと震える手で拳銃をベルに向ける。
嫌な静寂が部屋を包み込む。
引き金を軽く絞ったまま言葉を繰り返す。


「来ないで…」


手だけではなく、声が、足が恐怖で震えている。
ベルは身動きすることもなくこちらを見ていた。


「………」


ベルは何も言わずに彼女に背を向けた。
彼の姿が見えなくなると雪は床にへたんと座り込んでしまった。
ガシャン、と拳銃が落ちる。
自分の手を見て血がにじむほどにつよくを握り締めた。


(私、なんてことしたんだ)


瞳にたまっていた涙が耐え切れず頬に流れた。
涙は止まることなく落ち続ける。
ナイフの突き刺さったままの足から血が溢れている。


(ベルに、銃を向けるなんて…)


スクアーロに拒絶された日、どれだけ自分が傷ついたか忘れた日はなかった。
それを知っていながら、自分は同じことをベルにしたのだ。

自分の命を守るためとはいえ、他の方法だってあったはずだ。
それなのに、彼の気持ちを考えることなく銃を向けたのだ。


(私、最悪だ…!!)


「雪、様?」


ジョーカーの声が後ろから聞こえた。
答えることもできずに背を向けていると、肩を掴まされ振り向かされる。
銀灰色の瞳が鋭くこちらを見ていた。


「なにか、あったんですね」

「これはその」


優しくて暖かい腕に体を包まれる。
涙がまた溢れてきた。


「何も言わなくていいです。その代わり、俺の胸で泣きたいだけ泣いてください」

「っ…ジョーカー…!!」


声が枯れるまで泣き続けた。
その間ジョーカーは何も言わずに雪に胸を貸してくれていた。



。*'゚'*。*゚'゚*。*'゚'*。。*'゚'*。*゚'゚*。*'゚'*。。*'゚'*。*゚'゚*。*'゚'*。



どうも気分が晴れないので、スクアーロは部屋の外に出ていた。
最近ずっとこうだ、と胸のなかで呟く。
そう、あのジョーカーという男が現れたときからだ。


「やぁ、スクアーロじゃないかい」

「あァ!?…チッ、おめぇか」


マーモンが失礼だと呟きながら口をへの字に曲げた。
それから意味ありげに静かに言った。


「僕じゃなくて、誰に会うことを期待してたんだい?」

「そんなんじゃねぇ!!」


一瞬、何故か雪の姿が脳裏に浮かんだ。
しかしそれを掻き消すようにスクアーロは声を荒らげた。
マーモンは対照的に至って静かに彼を見ていた。


「あの男…ジョーカーとか言ったね。彼がきてから変だよ」

「………」

「君だけじゃない。雪もベルも」


スクアーロは来た道を引き返すようにマーモンに背を向けた。
マーモンはそのまま言葉を続けた。


「いいのかい。このままで」


スクアーロはそれに答えることもなく逃げるように歩いていった。
マーモンは口を強く引き締めたままそれを見届けた。

スクアーロはイライラと足音をたてながら進んでいった。
さらに苛立ちが募っていく。


(意味がわかんねぇ…)


ジョーカーの意図が、

こんなに自分がむしゃくしゃしている理由が、

全て意味がわかない。


イライラと髪を掻き揚げ廊下の角を曲がるとベルと鉢合わせた。


「う゛お゛ぉい…」


ぶつかってきたベルは何も言わずにスクアーロと反対の方向に歩いていってしまった。
どう見てもいつもと様子が違うようだ。
意味が分からないことばかりだ。

と、目の端にジョーカーの姿が映った。
彼は開いている扉の中に入っていく。
気になって中を見て後悔した。


(なんで、こんなにいらつくんだよ…!!)


見たくなかった。
ジョーカーに雪が抱きしめられている姿なんて。
そんな風なことを思う自分に再度苛立ちが募っていった。


。*'゚'*。*゚'゚*。*'゚'*。。*'゚'*。*゚'゚*。*'゚'*。。*'゚'*。*゚'゚*。*'゚'*。



スクアーロとすれ違ったマーモンはそのままフワフワと廊下を進んでいた。
と、耳に嫌な音が聞こえてきた。
何かの割れる音や、破壊音。
マーモンはフワフワとその音のするほうへと飛んでいった。


「何してるんだい、ベル」

「………」


音の発信源である部屋では、ベルが立っていた。
窓は割れ、家具は壊れている。
様々な場所にナイフが突き刺さっている。
「こんなに壊して金の無駄じゃないか…」と呟くが、なにも答えは返ってこない。


「君がこんな風に暴れるなんて久々じゃないか」

「………」

「すくなくとも雪が来てからはこんなことはなかったね」


“雪”という言葉にベルがピクリと反応した。
その数瞬後、マーモンの横をナイフが掠めた。


「何があったんだい」

「…うるせーよ」


殺気がこもった声が静かな部屋に響いた。
割れた窓から冷たい風が入ってきて、月の光が粉々になったガラスの破片を冷たく照らしている。


「雪となにかあったのかい?」

「うるせーつってんじゃん」

「………」

「さっさと出てけよ」


ベルの態度によっぽど気を悪くしたのかマーモンは口元をいつも以上にへの字にした。
こっちは珍しくタダで気を遣ってやっているのに、と思いながら。
マーモンは来たときと同じようにフワフワと部屋を出て行った。
帰り際、ベルの呟きが耳に入った。


「王子は、悪くねーし…」


その声は、いつもの高飛車なものとは対極的に沈んでいた。
悲しみがこもったような声だった。
しかし彼は結局そのまま部屋を出た。


(スクアーロといい、ベルといい…)


見た目にはとても似合わないような疲れきった溜息を漏らす。
金のこと以外で彼が頭を悩ませる日が来るとは思いもよらなかった。


(面倒なことになりそうだね)


月を見上げながら空飛ぶ赤ん坊は廊下を自分の部屋へと飛んでいった。


。*'゚'*。*゚'゚*。*'゚'*。。*'゚'*。*゚'゚*。*'゚'*。。*'゚'*。*゚'゚*。*'゚'*。



マーモンが出て行った部屋でベルは一人立ち尽くしていた。
目に涙を溜めた辛そうな雪の表情が頭から離れようとしない。
それを思い出すたびに言いようのない嫌な気持ちが胸に溢れてくる。


(なんで、オレのことは拒絶すんだよ)


ジョーカーと居たときはあんなことはなかったのに、何故自分だけなのだろう。
何故、自分のことを拒否するんだろう。


(王子の手に入らないものとかあるわけねーじゃん…)


誰の物でもなく、自分だけの物であればいい。
いや、そうではなくては許せなかった。
しかし、本当に一番許せなかったのは自分自身だ。
無理矢理あんなことをして、雪を傷つけた。
それが許せなかった。
イライラしてきてナイフを一本カーテンに投げつける。


(一生、王子だけの側にいればいいのに)


殺してしまえば、他の誰にも取られない。
そう考えなかったと言えば嘘になる。

だが、できなかった。

あの笑顔が二度と見れなくなると気が付いた瞬間、手が止まってしまった。
我ながら自分らしくないと彼自身も分かってていた。


(意味不明…)


心がめちゃくちゃだ。
手に入れたいと言う欲望と、傷つけたくないという気持ちが葛藤している。
無造作にナイフを投げれば何かが壊れた音が聞こえる。
それでも気持ちは晴れない。


「雪…」


何故こんなに胸が苦しいのだろう。



Essere continuato…


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第十六夜終
仲がよかったあの日に戻りたい
 

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