幸せ崩し
□復讐の前置き
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振り向けば、その美声にふさわしい容貌の男が立っていた。滑らかそうな白肌、艶やかな唇、絡まることなく滑り落ちる長髪。男とは信じがたい美しさ。それは思わず呼吸を忘れるほど。
だけど何よりも心を奪われたのは、長い睫毛に縁取られた双眸だった。
『僕の敬愛している友は、美しい男なんだ。何よりも瞳が恐ろしいほど澄んでる』
何故かあの人の言葉を思い出した。
「泣かぬのか?」
もう1度問われ、我にかえる。
私はじっと目の前の男を見つめた。もしかしたら彼は“あの男”かもしれない、という気がしてならなかった。なのに、冷静な部分の私がそんなはずないでしょうと嘲笑う。だって私なんかに声をかける意味がないじゃない。
──同情?
馬鹿らしい。どんな理由にしろ、もしも彼が“あの男”ならば、私がこの状況を利用しない手はない。しかし全くの他人かもしれない。
それでも別に良かった。だから、首を傾げて不思議そうに問い返した。
「ええ。何故、そのようなことを訊かれるのですか?」
「いつもそこで立ち尽くしているから。それは誰かの墓だろう?」
「はい。貴方は……?」
「ただの通りすがりだ。朝の散歩道にここが含まれているんだ」
それはなんだかとても不自然な理由な気がしたし、至って普通の理由であるかのような気もした。考えれば考えるほど、彼が“あの男”なのかどうかわからなくなった。
それからというもの、毎朝ここへ来る度に彼と他愛のない話をするようになった。だけど、互いに名も身分も教えぬまま。
しゃくりしゃくりと彼が木の葉を踏みならしながら近付いてくるのを、小さな墓石を見つめながら待った。さくりでもくしゃりでもない、その間の音に何故か胸が切なくなった。
「だいぶ葉が落ちたな」
静かな声に振り向けば、男の足元が紅葉で埋め尽くされていた。まるで血の海に佇んでいるよう。
「どうして葉は枯れるのかしら?」
「それはきっと人間が老いるのと同じ理由だろう」
「じゃあきっと人の老い先なんて虚しいものね。力なく地に枯れ落ちて潰れていくとわかってるのだから」
「だけど最期にこんなにも美しく染まれるのなら、きっとどんな死だって受け入れられるのではないか」
詭弁だ。失笑しそうになったけど、そうせずに問う。
「本当にそうなのでしょうか……?」
「さぁな」
無責任な返事に呆気にとられると、彼は鮮やかに笑った。
「まだ死んだことも老いたこともないからわからぬ。ただの理想論だ」
私も笑った。ただの綺麗事ばかりを並べるような馬鹿ではないらしい。身なりからして貴族だろうけど──そう、現実もちゃんとわかってる人なのね。
そんなことを考えていると、不意に彼の手がこちらに伸びてきた。反射的にびくりと身を縮めてしまう。その手が頭に触れた。かと思うとすぐに引く。──紅葉を掴んでいた。
「取って下さったのですね。ありがとうございます」
彼は嬉しそうに微笑んだ。眩暈がする。一寸の下心もなく、純粋に好意を寄せてくれているのがわかった。暗い日々を過ごしてきた私には酷く眩しい。なおかつ、忌々しくて仕方がなかった。
「触れてもいいか?」
それは枯れ葉が落ちきった頃のこと。
唐突な言葉に驚き、彼を見る。すると私を慈しむような微笑があった。優しさに溢れた表情だったのに、どこか切なさを含んでいた。
「……はい」
恐る恐る、彼の手が私に伸びてくる。そして小鳥を撫でるような仕草で私の髪を梳いた。
不器用な人。
不思議と嫌悪感はなく、触れられた部分だけが妙に熱くなった。そんな自分に動揺した。
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