novel

□薄紅の蕾がほころぶ時
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 立春過ぎて、旧暦上で春を迎えたこの頃。まだまだ寒さ厳しい外気は、身を刺すような冷たさを纏いながら、我が物顔で風となって舞い踊る。ショールを羽織って庭に降り立てば、庭をぐるりと囲むように聳える緑樹は、葉を落として沈黙を固く守り、どこか物寂しさと侘しさが周囲に漂う。いやしかし、母が植えた梅の木だけには、早春を告げるかの如く、木芽がいくつも認められた。この分だと、近々にも薄紅色の蕾が見られるかもしれない。
家に戻って、徐ろに娘の部屋を覗けば、まだ夜着のままであった。数着の洋服と着物を前にして腕を組み、うんうん唸っていた。
 

「しえみ、何やってんだい。今日は友達と出掛けるんだろう。遅刻しちまうよ。」

「わかってるよ、わかってるんだけど〜〜、どれを着ようか悩んでるの・・・。」


真っ赤な顔をしたり、かと思えば項垂れたりして、朝から忙しい子だと思う。再度悩み出した娘から視線を外せば、鏡台には見慣れない化粧道具がいくつか、朝日に照らされて存在感を誇張しているかのように置かれていた。正直、驚いてしまった。以前の娘は、化粧や衣服には一切興を示すこともなく、一日中母の遺した庭にかじりつき、外界との接触を極度に避けていた子だった。それも、ある日を境にして終わりを告げ、外に飛び出していったけれど。その証拠が、着物だけでは無く、服も着るようになったこと。聞けば、祓魔塾の友達にコーディネートしてもらったらしい。


「うん、これにしようっ!!」


娘がベッドの上に広げていた服から、幾つか選び出して着替え始めた。夜着の帯をほどいて、袖に腕を通す。着替え終われば、教えたこともない化粧を、鏡に向かいながら施し始めた。これもまた、友達に聞いたのだろう。まだまだ、本格的な化粧とはいかないようだけれど、明るすぎない紅をさして、自然体を強調させる。段取り悪く不器用に化粧をしているが、その眼差しは真剣そのもの。柘植櫛に梳られる髪は、肩口よりも下まで伸びていた。


「髪がだいぶ伸びたようだね。それとも、伸ばしているのかい?」

「・・・うん。」


身形を整えた娘が、頬を染めてこちらを向く。 赤いリボンの細工とレースが施されたカチューシャは、金髪の中でよく映えていた。母親が言うのもアレなのだが、娘は以前に増して、とても綺麗になっていた。それも、身の内からも輝いているようだ。


「可愛いじゃないか。でも、今まで髪を伸ばそうとはしなかったのに、いきなり髪を伸ばそうだなんて。どうしたんだい?」

「・・・伸ばしたほうが、可愛いって。」

「友達が言ったのかい?」

「友達、というか・・・・。」


娘が、髪をくるくると指先で弄びながら言葉を詰まらせる。頬は先程よりも増して紅く染まり、口許は微笑を浮かべていた。この時、悟った。固い蕾が、ゆっくりとほころび始めていることを。何故こんなにも、娘が綺麗になり輝いているのか。母親だからこそ、いや、何よりも同じ女だからこそ分かる娘の変化。
その時、店の方から少年の低い声が聞こえた。


「おはようございま〜す。しえみ、いるかぁ?遅えから迎えに来たんだけど。」


聞き覚えのあるその声は、奥村の若先生の双子の兄のもの。彼の声が聞こえた途端、あからさまに娘の身体が大きく飛び上がった。頬だけだった赤みは顔全体までに及び、耳まで赤い。赤面症とは言え、何とも分かりやすい反応だと思う。


「え?!り、燐?!!えーっと、えーっと、どうしよう・・・・。」

「ほら、早くおし。しえみの想い人がお待ちかねだよ。」

「っ!!べ、べつに燐は・・・。」

「おや。あたしゃ、若先生の兄さんがそうだとは言ってないよ。」

「お、お母さんっ!!」


真っ赤になって怒鳴る娘の髪を、宥めながら最後にもう少しだけ、手を加えた。店先まで娘を見送りに出る。若先生の兄さんは、娘を見るなり驚いたように目を丸めた。


「おぉ〜。しえみ、その服すっげぇ可愛いじゃん。似合ってる。」

「ほんと?」

「あぁ。髪も伸ばしたほうがいいって言ったけど、大正解だったみてーだな。」


カチューシャ、可愛いなと、頬を染めてニカリと笑う少年の言葉に、娘が嬉しそうに笑った。若く初々しい二人に、覚えず笑みが零れた。そして、娘が抱いている恋心にも。


「奥村の若先生の兄さんは、確か燐君って言ったねぇ。ほんとに態々すまないね。あたしが言うのも何だけどさ、この子、ちょっと鈍くさいところがあるさね。よろしく頼むよ。」

「はい。俺に任せておいてくださいっ!!」

「ははっ。なかなか頼もしいじゃないか。」


自信満々に応える少年は、ニカリと笑った後、娘と一緒に出掛けていった。出掛け先は、遊園地らしい。塾の友達全員で遊ぶとか。出掛ける際、自宅の鉄門を開けた燐君は、娘を先に通して後から自分が出ていった。この少年は、女性への配慮を心得ていると見た。出掛ける寸前に、こちらへの会釈も忘れてはいない。亡くなられた藤本先生の教えが余程良かったのだろう。兄弟揃って律儀だ。
どんどん遠ざかる娘の姿は、あどなさを残しつつも、もう女のそれになりつつある。燐君に見せる笑顔は、家では今まで見たこともなく、そしてハッとするほどに美しかった。母親の知らぬ一面を見せるようになった娘は、もう子どもではなくなっていく。 それは嬉しいようで、どこか切なく、心寂しいものを覚える。


「困ったね、全く・・・。」


胸の内を誤魔化すように、つい、そんな言葉が零れた。


数日後、また庭に降りて梅の木を見てみると、固い木芽は薄紅色の蕾となって、もうふっくらと膨らみ始めていた。 そのうちにもきっと、梅の良い馨が庭先に溢れるだろう。それに釣られてやってくる春告鳥の姿が目に浮かぶ。


『燐、見て。梅の花が咲いてる。』

『おっ。ほんとだ。どうりで、良い香りがすると思ったぜ。』


薄紅の蕾がほころぶ時に、青い目をした春告鳥の姿が。



fin

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