□憂、燦々
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海は好きだ。だって青いし。
ナルシストのサイコパスと名高いカラ松は、ただそれだけの理由で海が好きだった。自分と同じ色。もちろん海だけではなく空も好きだった。理由は青いから。だから、今にも雨が降りそうな曇天や、夜の闇に染まった真っ暗な空はあまり好きではなかった。青くないから。カラ松は至極単純な男であった。

だから、カラ松は目の前に広がる光景をとてもではないが綺麗だとは思わなかった。


「うっひょー!めっちゃ寒いね!」

周りには自分たち以外誰もいない。時刻を考えればそれは当たり前で、カラ松にとってもこんな深夜に海にいることは不本意でしかなかった。辺りは闇におおわれ、よせては返る波の音と、場違いなほど明るい弟の声以外は何も聞こえない。顔をうちつける冷たい風とともに、潮の匂いが鼻をくすぐった。ぶるり、と背を震わせて、海に来るのだったら言ってくれればもっと着込んできたのに、と思った。眠気はあまりの寒さにとっくにどこかへいってしまっていた。寒い寒いと騒ぐ十四松は、普段着ている黄色のパーカーに半ズボン姿で、見ている方が寒々しく感じる。

「なぁブラザー。漆黒の闇の中この俺を導くように歩むその」
「カラ松兄さん鼻水!」
「え?ああ…」

浜辺になにやら文字を書いていた十四松は脱ぎ捨ててあったスリッパを拾い上げカラ松に近寄ると、やっぱ寒いよねーと、その長い袖でカラ松の顔をごしごしと擦った。鼻水がつくだろうと思ったが、十四松は気にする素振りさえ見せない。

「すまない、十四松」
「全然イイっすよ!」
「それで、十四松。おまえ、」
「カラ松兄さん、これ持ってて!」

話を聞く気がないらしい十四松は、カラ松の言葉を遮ってずい、とスリッパを押し付けた。思わず受け取ったスリッパは、砂の上に放置されていたおかげで、小さな砂のつぶが至るところに付着していた。答える気がないと判断したカラ松は仕方なく少し離れた砂の上へと腰を落ち着ける。その様子をみた十四松は満足そうな笑みを浮かべ、先程までいた場所へと戻り、また熱心に砂へ文字を書き始めた。

それからどれほどたったか。大して時間はたっていないのかもしれない。手持ち無沙汰になったカラ松はただ黒いだけの海を見つめることにも飽きてしまって、ゆっくりと十四松に近づいた。十四松は砂の上に文字を書き、波にさらわれ消えてしまった様子を見てまた手を動かす。波のおかげで十四松の書いた文字の痕跡は残っていない。

「十四松」
「あいあい!」

名を呼べば振り返らないままに返事をする。

「何を書いてるんだ?」
「遺書!」
「…………え?」
「だから遺書だよにーさん!」

いつもと変わらない口調で物騒なことを口走る十四松を、カラ松は訝しげに見つめた。

「何で遺書を書いてるんだ?」
「そりゃ今から死ぬからでっせ!」
「今からか、何で?」
「んー、何でも!」

書く手を緩めない十四松を見ながら特に理由がないのに死ぬなんて、もったいないことをするな、とぼんやり思った。生きていれば、まだ見ぬカラ松ガール達に会えるかもしれないが、死んだらそれまでだ。何も無い。
カラ松は十四松が分からなかった。

「しいていうなら、死にたくなったから!」
「死にたくなったのか?」
「うん。…………よっし!」

がばり、しゃがんでいたその黄色が勢いよく立ち上がる。

「書き終わったから、そろそろ死ぬね!」
「書き終わったって、誰に?全部消えてしまっただろう」
「んーとね、母さんと父さんと、兄さん達とトド松だよ!あとデカパン博士とか一松兄さんの友達とか、聖沢庄之助とか!読んでほしくないから消えちゃっていいんだー」
「でも俺達が読めなかったら遺書にならないぞ」
「うーん…あ!じゃあじゃあじゃあ!僕が死んだ後に挨拶しにくるよ!ね!」

振り返った十四松は恐ろしいほどいつも通りだ。ここで引き止めるカラ松の方がおかしいような気さえする。行ってきマッスル!という大声とともに暗い海へと足を踏み出した十四松をカラ松は慌てて引き止めた。
ぴしゃっと十四松の足に跳ねた海水の冷たさに体のしんまで凍りそうだと思った。

「何すか兄さん!」
「まあ待て十四松。何でお前が死にたいのか知らないが、死んだら十四松ガールズ達に会えなくなってしまうぞ?」
「そっかー十四松ガールズかー…うーん、でも死にたいんすよ」
「それは困ったな…」

それは困った。
カラ松は考えた。
いつも底抜けに明るくて、意外と交友関係も広く、毎日を楽しそうに生きている五男が死にたくなったから死ぬという。あの十四松が死にたくなった、というのが驚きだが(あの十四松だからこそそんな考えに至ったのかもしれないが)、カラ松たち六つ子にとって十四松に死なれてしまっては困るのだ。六つ子の良心であり、天使のような存在である十四松が死ぬとなっては一松やトド松が後追いしかねない。というか確実にするだろう。そしてその自殺の場に居合わせながら止めなかったとバレればカラ松の身も無事では済まないだろう。そもそもカラ松にとっても十四松は可愛い弟であり、愛しい存在である。十四松がいなくなったら、みんな悲しむ。

「とりあえず今日はやめないかブラザー」
「えーせっかくここまで来たのにー?」
「フッ…今日はまだ来る日ではない…おまえの命を落とす雫が暗黒の地だか」
「えっ?!」
「…どうせならもっと海の色が綺麗な日にした方がいいんじゃないか?」
「もっと綺麗な日?」
「青の方が綺麗だろ?」

カラ松は最もらしく笑った。いつものようなかっこつけたような笑い方ではなく、目元がふっと弛むような優しい笑みだった。十四松はカラ松のこの笑みに滅法弱かった。

「うーん………カラ松兄さんが言うなら…」
「というか、できたら死ぬのはやめよう」
「ええ!?じゃあ僕が死にたくなったらどうすればいいの?」
「ええ………」

カラ松はまた困ってしまった。
十四松はどうしても死にたいらしい。
こう言い合っている間も頬をなでる潮風は冷たく、満ち始めている海水が靴の中にまで入ってきていて冷たい。こうしている間にもこごえて死にそうだ、とカラ松は思う。吐き出した息が白い。春になりかけてるとはいえ、深夜の海が寒くないわけがない。
正直布団が恋しかった。

「じゃあこうしよう十四松。お前が死にたくなったら俺に言ってくれ」
「え?」
「お前が死にたくなったら俺がおまえと心中ごっこしてやろう。それでいいかブラザー?」
「カラ松兄さんと一緒に死ぬの?」
「本当には死なないさ。考えてもみろ、本当に死んだら1回しか死ねないんだぞ?そしたらごっこで我慢して何回も死んだ方がよくないか?」
「確かに!」

カラ松は自分でも何を言っているのかよくわからなかったが、死にたがりの五男はそれで納得したらしかった。もういい加減足の感覚がない。裸足のままの十四松はきっと自分よりも冷たいんだろうな、帰ったらみんなを起こさないように風呂に入ろう、とカラ松は密かに決心していた。

死ぬことを諦めた十四松はやべーさみいね!と盛大なくしゃみをしながら砂浜をかけていった。カラ松はというと、びしょぬれになった靴が気持ち悪いと感じながらもようやく布団に戻れると思うと、どこかへいってきた眠気が戻ってくるのだった。


それが十四松の初めての自殺だった。

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