たんぺんもの


□人生色々です…
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「ごめん、帰ってきたところで悪いけど頭痛薬買ってきてくれない?」
綺麗に口紅を塗った唇がそういった。マスカラも目のふちが真っ黒にふちどられているのも、頬がやたら赤いのも僕のためじゃない。
けれど僕は笑ってうんという。
その女性として美しいと言われる顔も身体も僕のためじゃない。
僕はようやく落ち着ける書斎に入れると思っていた気持ちにふんぎりをつけ、またコートを羽織ると近くの店に車を走らせた。
冷気がむきだしの肌をさす。店に入ると身体が弛緩する。
「いらっしゃい、きっちり一週間だね。」
店主の軽い声に苦笑する。
「うちのは偏頭痛がひどいみたいでね。」
年上だろう店主は夜も更けてくるというのにかわらず清潔そうな雰囲気を微塵も崩してない。ぱん、音と共に紙袋がカウンターにおかれる。
視線をやれば店の名前が入った小さな袋。
「用意がいい」
「お客さんが帰るのが見えたからね。」
冗談混じりに言われると苦笑するしかない。
「奥さんのかい?」
突っ込んだ質問だ。
スーツで着の身着のまま、また外出してきたとなれば予測するのはたやすいだろうが何だか気まずい。
財布を取り出して金をカウンターに置く。
「まあね」
短い返答をする。冷ややかな声色を入れたのは話しはこれまでとしたかったからだ。しかしこれを店主は汲み取ってはくれなかったようだ。
「不仲じゃないけどあまり性関係、うまくいってないみたいだね。」
「は?」
「解消したくない?」
何をいいだすのかと僕は目を向いた。
「意味がわからない。」
それだけ言い捨て、店から出ようとした。
が。
僕の手が店主に掴まれる。振りほどこうと力をいれるが振りほどこうにもほどけない。二度、三度と、最後には本気であがらう。
手首に痛みが走る。両手を使うが何をしても無理だった。身の危険を感じる。
引っ越して来て三ヶ月。毎週通っていた個人商店。普通の店だったはずだ。
人の良さそうな四十代半ばの店主。
穏やかな口ぶりが、この店の優しい雰囲気を作っていると思っていた。その店主が全く違う顔をしている。
「何するんだ!はなせ!」
「やはり、才能もあるみたいだね。」
「はなせ!やめろ」
微動だにせず、店主は掴んだ僕の手をぐっとカウンターの中へ力任せに引き込んだ。体重、68キロはある長身に入る僕をあっさりと体ごとだ。
腕と手首に痛みが走る。カウンターの内側はひどく狭かった。その中にほうり込まれる感触を覚悟する。歯を食いしばった僕は違う感触に目をひらく。
「…………。」
見えるのは、小さな卵と高価そうな手触りのよい純白の布地。そして豪華な広い部屋にコスプレとしかいいようがない独特な姿形をしたたくさんの人間たちがかしづいているところだ。僕は理解できるはずもない。
場違いすぎるスーツにコート、革靴の僕。さっきまで薬屋にいたはずだ。
呆然とする僕に小さな、赤い女の子が声をかけてきた。
「おハツにおメニかかリマス。∀Å@のアカラでス。まずハこれヲノンでクダさい」
おかしな日本語だ。いや、文法は間違いないが喋り方があきらかにおかしい。ぽかんとする僕に差し出したのは実体があるようでない白いかたまり。
不審なもの。
受け取らずに女の子を見ると無表情だ。
「ここ…薬屋?」
まずは疑問をぶつけてみる。答えない。
「……なにこれ?」
次の疑問をいってみる。答えない。
「〆≠£★∴≧ゝ÷…おハツにおメニかかリマス。∀Å@のアカラでス。まずハこれヲノンでクダさい」
またそう言われる。
どうやら飲まないと話しが進まないらしい。そしておかしな単語がまざっている。聞いたことがない。
どうなってる。僕には何がなんだかさっぱりだ。混乱して整理しようと頭を働かせるがさっぱりだ。
固まっている僕に周囲にいるコスプレした人間がまた聞いたことがない言葉で話しというよりざわめきたっている。
女の子がそれを宥めようとどうやら声を張り上げたようだ。それはわかった。
身の危険を感じた。ここは薬屋じゃない。日本でもない。何なんだ。
情けないが30にもなって怯え、身をすくませた。手元にある卵がころころと、布を滑って僕の股ぐらに入った。
同時に周囲が突然、咆哮をあげた。いきなりの事だ。僕は焦って卵をほうり出そうとしたが卵が手の中で音をたてて割れ始めた。
「え、え、え。」
戸惑っている間に卵が割れ、中身が掌に触れたその瞬間。僕は気を失った。



目が覚めたのは、腹に温かいものを感じたからだ。天井が高い。周りは変わらずあの部屋だが今回は女の子しかいない。体を起こそうとした時、腹から何か滑り落ちていく感覚があった。
目を落とすとそこにあるのは肌黒い小さな幼児だ。かわいい顔をしている。一歳くらいだろうか。頬に触れると甘えるようにすりつけてくる。愛らしさに頭を撫でる。
「さいさま。ご挨拶、省略の件、お許し下さいませ。私はさいさまの補佐、アカラでございます。」
声に振り向くと女の子が無表情にそう言っていた。言葉が完璧に日本語だ。驚いているとアカラが膝をおる。
「まずは御成婚、おめでとうございます。また魔物覚醒おめでとうございます。」
意味がわからない。僕は違う。魔物?成婚?人違いだ。ぽかんとアカラを見ていると小さなその手で僕を手招きした。
「え?」
「私は近づけません。陛下を起こすわけには参りません。一度委細を申しますのでこちらに。」
「あ、はい」
明らかに年下にしか見えないかわいらしい女の子にばか丁寧に言われ、僕はまだ甘えてくる幼児を布で包みアカラの方に飛びおりようと台座らしきところを蹴った。
「いけません!」
アカラが同時に叫んだが蹴った後だ。
着地した時、叫んだ理由がわかる。地鳴りのように床が震え、数瞬で床全面に細かいひび割れができた。僕の足元は減り込んでいる始末。服や革靴は破損したが皮膚になんの痛みもない。
アカラを驚いてみやる。どういうことかと。
「しんぱいいらん。」
背後から幼い声。
振り向けば幼児が起きている。小さな指が空を細かに動いたと同時に床は元の姿に戻った。
「おまえはここからまだでるな」
背中が引っ張られ、幼児がいる台座に引き戻される。ついていけない。どういう事だ。僕は今、夢を見てるのか。だいたい、ありえない。あまりの事態にまた頭が思考をすることをやめてしまった。
「陛下…お目ざめに…。申し訳ありません、まださいさまは事態をご存知ありません。」
「よいよい。ゆっくりはなせ。」
「ありがとうございます。ではさいさま、異例ではございますがこちらでお話させていただきます。」
呆然とする僕にアカラがそう言った。反応できずにいると幼児の手が僕の頭に触れる。途端、情報が一気に流れて来た。目を見開いて頭の中の情報を見ている感覚だ。
ここは魔界と言われる人間が暮らす世界の裏側で、人間と違い個人主義ではあるがいくつかの王国が乱立しており、どれもが軍国で人間をさらい食い荒らしながら抗争を続けている。
2万年程前に確立されたこの国は王である魔物が5000年に一度の転生の年を向かえ、転生を補佐するに当たる魔物は王のパートナーとなる魔物でなければ不可能、王が納得せねばいけないものの見つからず、困り果てたところへ王からのリクエストで何故か僕が呼ばれた。見事に僕は気に入られ、魔物へ転生させられたあげくに知らない間に王のパートナーになっていたらしい。
一気に理解し、目が覚めた。
「僕は…じゃあ…ここにいるしかない?」
「そういうはなしだ。」
眠そうに幼児がいうとアカラは拍子抜けしたようだ。
「ご自分でなさったのですか。」
そういうと、僕に視線を送りようやく笑みをみせる。
「湯殿はいつでもご用意できてます故、終わりましたらお声をおかけください」
「何が?」
「では失礼いたします」
問いに答える事なくアカラの姿が透き通り、消えた。もう驚かない。納得もいくはずないがどうしようもないこともわかった。
非現実的なこの状況が現実で、僕もわけがわからない力があるようだ。ため息しかでない。
二人きりになり、お互いに沈黙のまま数時間時が過ぎる。
考え過ぎて頭が痛い。部下のミスをカバーしてやろうと試行錯誤していた方がまだましだ。あいつ僕のフォローなしでうまくいけたためしがない。それに今は冷えたとはいえ妻も心配しているかもしれない。
会社も無断欠勤したし、出世に響きまくりだ。帰りたい。
これ以上混乱したくない。
深いため息をつく。
横の幼児が最高権力者ならもしかしたら助けてくれるかもしれない。ようやく光りを見出だし、僕は幼児を振り向くと幼児の真剣な眼差しとぶつかった。
「あ」
「おまえなまえは?」
つたない声に言おうとしていた言葉よりも先に違う言葉が出た。
「侘裕三。」
「ゆうぞうか。わしはタキワ。」
「小さいのによくしゃべれるな」
素直に感想が口をつく。
「なかみは15まん954さいだ。魔力がつよいぶんばんのうにきまっておろうが。だいたい、しょやがこれじゃかっこもつかん。」
「そんなもんなのか。強い分ねぇ。」
関心しているとタキワの小さい手が頬に触れる。温かい感触だ。くすぐったい。かわいい仕種に心に柔らかいものが広がる。
「いただく。」
「ん?」
問い返す瞬間。また何か急激に吸われたような、力が抜ける。座ることもできず僕は倒れ込んだ。
「何だこれ!」
力が入らない。指一本動かない。
僕の頬に触れた幼児は幼児じゃなくなっていた。傍らにいるのは12歳くらいの少年だ。浅黒い肌に、少し筋肉質な子供らしい体。顔付きはもう男の子といったところだ。ようやく理解した。
満足そうに笑む彼を見て、僕は怒鳴った。
「僕を食ったのか」
「まあそうだ」
「パートナーってのは餌か!」
「当たらずとも遠からずだな。もう少しだな。まあ、後一回食えば初夜でいいか。」
「僕は死ぬのか」
恐怖が宿る。この時間も何日たったかもわからない部屋で会話したのはアカラとタキワだけだ。信じられる根拠はないのだ。わけのわからない力だの世界だの。
理解はしても受け入れがたい。かといって戻れる保証もない。
恐怖を隠し睨みつけるとタキワは笑う。
「それはない。わしがさせないから安心して回復しろ」
言葉を信じられるはずもないまま、何かを食われたというのかねこそぎ持って行かれたためか全身の疲労にまぶたが重くなっていた。
この睡魔に勝てるはずもなく僕は深い眠りについた。



目を開くとぼんやりとタキワが見えた。空を見つめて微動だにしない。まだ体が動かない。筋肉痛か。スポーツが得意で筋肉はある程度キープしてきた筈だがこの筋肉痛はありえない。全身がひどい筋肉痛。
痛みを堪え、上半身を上げるとタキワの手が僕の手に触れた。
途端、先刻の感覚を思い出し、条件反射的に手をひいた。
はじかれたようにタキワが僕を見た。幾分か傷ついた顔をしている。だが知った事か。触れられた手を摩る。
「やめろ。」
「何もまだしてない」
静かな声だ。
「僕に触るな。」
「わしに死ねというのか。」
「知るか。」
死ぬ、死なないはともかく僕に自由はない。その上にいつあの状況がくるかもわからない。身を守りたい。
それにはこの場から逃げるのが一番いい。僕は横にいるタキワを睨み、台座からじりじりと後ずさる。
「怯えるな。食いはしない。」
餌、餌なのだ。死にはしないが永遠に自由もなくこいつから離れられずにわけのわからないここに縛られる。そんなのは嫌だ。
帰りたい。元いた場所に、帰りたい。
苦笑するタキワのいる逃れ台座から床に足をつく。
筋肉痛できしむ足をゆっくり壁に向かってすすめていく。
「無理な話だろう。僕は帰る」
「それは無理だ。」
「知るか。」
壁が手に触れた。
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