手の中にちゃんと物がある事を確かめる。
派手に飾らず、控えめな包装紙で包んだ箱は何の音も立てずオレの手元に収まっている。
その中身はこの時期、この国では当然といえる、あの茶色く美味しい西洋菓子。
渡す相手は同性でありながら、思わず一目惚れしちゃったあの素敵な彼。
(受け取ってくれるかな……)
一抹の不安を抱えながら、今日彼がいるだろうバイト先に足を向ける。
残念ながらオレは彼の住所を知らないし、初めて顔を合わせたのもそのバイト先だったから、オレ達が出会えるのはほぼ絶対と言って良い程そこしかなかった。
悲しいけど。
でもあの頃よりはオレ達、だいぶ距離が縮まってると思う。
まだ片手で数えられる程度だけど二人で出掛けたりしているし、オレが風邪をひいた時も、彼はわざわざ家の住所を調べてオレの看病をしに来てくれた。
少なくとも、もう友達の位置までは来れていると思う……たぶん。
「やっほー黒さま」
いつもの花屋に顔を覗かせると案の定、花屋にしては外見が合わない彼はそこにいた。
店の中に置いている、バケツに入った花の手入れをしていたらしく、黒さまこと黒鋼はまたかと言いたげな目線を送ってくる。
屈んでいるおかげで見上げてくる状態。
「毎度飽きん奴だな…今日はなんだ」
「君に渡したい物があって」
少し前までなら当然の様に付いてきた、「用がないなら帰れ」の言葉がないのを嬉しく思いながら、はいコレ、とずっと手の中にあった箱を彼の目の前に差し出した。
黒さまは少し目を丸くしながら立ち上がると、無言のまま受け取ってくれる。
もしかしたら突き返されると危惧していたオレにとって、それはかなり嬉しい事だった。
ちなみに渡したアレはオレの手作り。
本命でもある為に気合いは十分入ってるから、そこらで売ってる物には負けない自信がある。
「黒さまの味の好みわかんなかったから、甘さは控えめにしといたよー」
訝しげに箱を見下ろす彼にそう付け加えると、黒さまは何故か眉間に皺を寄せる。
それは不機嫌からくるものというよりは、何かを考えている様な雰囲気で。
どうしたのだろうと顔を少し覗き込んでみれば、かなり真剣な顔付きをしたまま。
「今日は何の記念日だ」
「え」
一瞬、言葉を失ってしまった。
「……今日は2月の14日です」
「2月14日…二月十四日?誕生日じゃねぇし……」
「……バレンタインデーです」
「あ…ああ、それか!」
思い出したと言いたげに声を上げる彼に思わず肩を落とす。
その様子からして、どうやら彼は何もわからず手中の物を受け取ったらしい。
女性からもモテそうな容姿なのに、どうしてバレンタインを忘れてるんだ……。
「どうりでチョコを大量に見かけるワケだ」
そう言ってるわりに、どうしてその傍に書かれているだろう文字は見かけなかったんだろう。
「で、これは俗に言う友チョコというヤツか」
「……ハイ、ソウデス」
とても本命なんて言えません。ましてや今の状況では尚更に。
まさかこんなオチになるとは思わず、つい意気消沈してしまう。
無駄に舞い上がった所為でその沈み様はかなりのもので、出来る事なら今すぐにでも泣き出したい心境だ。
友チョコと思われている点も含めて。
(やっぱりオレってその程度の存在……)
それでも突き返される様子がない事だけマシだろうけど、精神的なダメージは案外馬鹿にできない。
ついつい溜息を何回か零して、オレは抑揚のない声で黒さまに「今日はコレ渡しに来ただけだから。それじゃ…」と言うと踵を返した。
「おい」
随分重くなった足を引き摺って店から出ようとすると、後ろから声をかけられる。
振り向けばその瞬間何かが飛んできたから、オレは咄嗟にそれを受け止めた。
見てみると、今手の中にあるのはそこら辺に売ってる市販の板チョコ。
「貰いっ放しは俺の質じゃねぇんでな。それで良かったらやる」
「……え?くれるの?」
「いらねぇのか」
「いや、いりますいります。有り難く受け取ります」
ただまさか、黒さまからお返しが来るなんて思ってもいなかったから頭がうまく回らなかっただけ。
何ら特別でない、今のご時世百円あればすんなり買えちゃう市販チョコであっても、貰えるという淡い期待は本当に一切持ち合わせていなかった。
なのに今俺の手にあるのは、確かに今しがた黒さまが投げて寄越した物。
(やばい、すごい嬉しい……)
特に感情が籠もっていなくても、黒さまがくれたという事実だけで非常に幸福を感じる。
思わず浮き足立って頬が緩む。
それを叱咤するなんて今のオレに出来るワケはなく、板チョコを眺め下ろす度にへにゃへにゃ笑いながら、その日はそのまま帰路に着いた。
何であの時あの場で、黒さまが板チョコなんかを持っていたのかを疑問に思わないまま。
(黒鋼さんも奥手だな。バレンタインを忘れたフリまでして……)
(これ、手作りなのか!?板チョコじゃ割に合わねぇじゃねぇか!ホワイトデーに何かしねぇと……!)
そして店の裏から成り行きを見て苦笑している小狼クンと、オレが立ち去った後にひどく慌てている黒さまがいた事を、オレが知ることはなかった。