[小説]鬼ノ棺

□池田屋[三]
1ページ/1ページ

沖田の額には汗が光っていた。

(手強い敵だった。)

その敵を倒したと安心した瞬間、今までの疲れが一気に降りかかった。

まだあまり血のついていない場所を選ぶと壁を背にして座りこんだ。
 刀は曲がって鞘に収まらず横に置く。

「・・・眠い・・・」

思えば随分長い間、剣を持っていた。
長く息を吐くと

(少しだけ・・・)

と目を閉じた。ずいぶん遠いところから祭囃子が聞こえた。


歳三の隊が池田屋に到着したのはその頃である。

(近藤は、総司たちは無事だろうか・・・)

歳三は先程からそればかり考えている。

しかし池田屋に着くと真っ先に近藤の気合いが耳に入った。

「あれなら大丈夫だな。」
と微笑むと、近くにいた谷も井上も頷く。

 土間に入ると、平助がいる。血まみれの彼を戸板に乗せて避難させる。

 一階で浪士の逃亡を助けていた首領格の肥後の宮部鼎蔵も歳三たちの到着を知り、

 「武士の最期、邪魔するな!」

と腹を斬った。


「二階がいやに静かだ・・・」

と歳三が言うと、谷が

 「私が行ってみよう。」

と階段に近づいていった。

その時、満身創痍の男が歩行もままならない状態で降りてきた。

谷を見るとどうにか刀を振りかぶり斬りかかるが、谷の繰り出した槍に深々と刺された。


落下の勢いであまりにも深く刺さりすぎ、しかも血でネバネバしてなかなか抜けない。

谷がてこずっている間に斎藤が二階に上がる。

そこらじゅうに人間が血まみれで倒れている凄惨な状況である。
まだ息がある者がうめき声をあげている。

一つずつ部屋を確かめ味方の姿がないことを確認する。

 そして奥座敷を覗くとそこはまるで地獄絵図だった。

部屋中にどす黒い血と人間の体がぶちまけられている。

(いったいどんな闘いをしたらこんなになるのか・・・)

部屋を見渡すと、返り血にまみれていて、わかりにくいが見覚えのある男を見つけた。


「総司か。」

男は目を開き

「少し働きすぎましたかね。」

と言った。


「今日ばっかりは獲物を譲るよ。」

斎藤も微笑み返した。



−−−−−−−−−−−

二階でそんなやりとりが行われている間に歳三は池田屋の周りを井上他十数名で囲ませた。

逃走する敵の防止にも役立つ。しかし歳三の狙いは

(今回の手柄を全て新選組で買い占める。)


ことであった。

歳三は後から出動してくる者たちに手柄を横取りされることを嫌った。

もし池田屋に援軍が一歩でも踏み込めば近藤や沖田、藤堂、永倉の働きもなかったことになってしまう。


(俺がそんなことにはさせねえさ。)

と希代の自信家とでも言うべきこの男は考えている。

案の定、その後援軍はやってきた。

その首領らしい男は歳三に

「ご苦労であった。後は我々に任せられたい。」


と言ったが


歳三が狼のような瞳をぎらつかせながら


「一切の手出し無用!」


と言ったため何も言えず立ち去った。

援軍はその後、京の市中を見回り、逃亡した浪士を始め幾人かを捕まえた。

池田屋に入れてもらえなかった以上、巡察に徹するのみが仕事になった。

歳三は一人で新選組の手柄を守りきった。


−−−−−−−−−−−


池田屋の中ではすでに剣劇の音はやみ、浪士の捕縛が開始された。


沖田と斎藤は一緒に谷の槍を、遺体から抜くのを手伝った。

「えらく深々と刺しましたね。」

沖田はそういいながら槍を引っ張る。

斎藤の手伝いもありどうにか抜けた。


「いやいや、かたじけない。」

と谷も礼を言う。

三人がしばらく笑っていると不意に沖田が何かに気付き振り返る。


「どうしたんだね、沖田君?」

と谷が尋ねると

「あそこ誰かいます。」

と近くの部屋にある押し入れを指差し答える。

警戒しながらみなで近づき沖田が中をみる。

その中にガタガタと震える哀れな人影があった。

浪士ではない。それを確認すると沖田は厳しい表情を和らげ


「怪しい人見ぃつけた。」
とその人影にむかって意地悪に笑った。

 「女・・・か?」

谷も斎藤も逃げ遅れた浪士とばかり思っていたために大変驚いた。

「どうしてこんな所にいるのです?」


という沖田の声にも震えて反応できない。


「おおかたここの女中かなんかだろ。」


斎藤はそう言う。

 結局

「局長か副長に指示を仰ごう」

となった。



−−−−−−−−−−−

捕縛も終わり、怪我人の治療を指示していた歳三の所に沖田、斎藤、谷が女を連れて来た。


「そいつは何者だ?」

と眉間にしわをよせて問うと斎藤が


「押し入れの中に隠れておりました。」


と言う。

 今度は

「名は?」

と聞く。歳三にしてみれば幾分優しい顔つきにしたはずだがまだ十分怖い。

 女は歳三の顔を見ぬまま

「・・・小夜と申します。」

始めて口を開いた。


いつの間にか近藤や永倉が来た。永倉は左手に包帯をグルグル巻きにしていた。


「どなただ?トシ?」

「池田屋にいたそうだぜ。」

「それはかわいそうに・・・。しかしどうして池田屋に。」


「女中をしておりましたが・・・。」

路頭に迷う、ということだ。


「とりあえず屯所まで同行願おう。」


ここでは考えられない。
彼女については山崎にまかせ、人通りの少ない場所を帰らせた。

 それを見送る沖田は

「かわいそうなことしちゃったな・・・。」

と言っていた。



−−−−−−−−−−−

新選組本隊は翌日の正午に壬生に帰営した。

闇討ちだと思われないよう明るくなって帰るというのも歳三の新選組を有名にするための考えだった。

今回の戦いで隊士一名が即死、後に傷が原因で二名が死んだ。

一方、新選組と交戦し浪士七名を斬り、二十三名が捕縛された。捕縛した者のほとんどが沖田に斬られ、重軽傷を負った者であった。


この事件をきっかけに新選組の名は一躍有名になった。

 沖田の斬った吉田、自刃した宮部、脱出するも会津の兵に囲まれ自刃した土佐の望月亀弥太などは攘夷派の巨魁で彼らの死は明治維新を一年遅らせたと言われる。

 司馬遼太郎によれば逆に攘夷派を刺激し、明治維新を一年速めたとも言う。



今回の働きで会津から近藤を与力上席にする通達があったが近藤は断った。


これを断るように言ったのは歳三で、彼にしてみれば

(大名には程遠い・・・)

と取るに足りぬ通達だった。

(近藤を大名にする・・・)

と誓っている。与力上席も士分だが、将軍に拝謁する事もゆるされぬのである。


もう少し機会を待つことで近藤、歳三、そして山南の意見は一致した。



しかし歳三には今一つ仕事がある。

小夜をどうするかである。

 いまは部屋を与えている。

 (だがこのままでは体も心ももたんだろう。)

深刻な問題である。女子一人守れないようでは新選組の面子にかかわる。

「直接相談しよう。」

と彼女へ貸した部屋へむかった。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ