Fall in your song!

□#08
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「……何で名前さんってトキヤだけ名前で呼ばないの?」

夕食後。そう尋ねられた名前は、飲んでいたお茶を噴く。

「ごっほ…ごほっ。え? 何でって――」

じっと注がれる視線に、名前は必死にみなとは違う方向に視線を逃がす。
しかし、視線からは逃れられても、追求からは逃れられない。

「それはぜひ、私も理由を聞きたいのですが」
「えっと……。何でだろうね。あはは」

笑って誤魔化した名前は立ち上がってキッチンに逃げる。でも、キッチンとリビングは一体式。顔を見ることも出来れば質問をぶつけるのも可能だ。

「最初はタメを呼ぶ呼び方で戸惑ってるのかと思ってたんだけど、聖川もタメだし、聖川は名前で呼んでるだろ?」

レンの指摘に、名前は苦い顔をする。話題に上った真斗は無言で茶を啜っていた。
堅く口を結んだ名前に、翔が春歌に目配せする。頷いた春歌は訊いた。

「名前さん、教えてください!」
「ぐ、かわいい……。卑怯だよ、翔くん!」
「提案したのはトキヤくんですけどね〜」

那月の言葉に、キッと名前はトキヤを睨む。

「何か言いたいのなら、私だけ名前で呼ばない理由を教えてからにしてください」
「……」

再び黙り込んだ名前は、そのままテーブルを通り過ぎ、ソファに腰掛け、テレビをつける。
頑なに理由を話そうとしない名前の姿に、みなが肩をすくめる。しかし、トキヤだけが納得しておらず、名前の隣に腰掛けて彼女の顔を覗き込む。

「マネージャー」
「……」

最近感じていた、形容しがたい違和感の正体がやっと分かったのだ。
ここに住み始めた頃――本当に最初の頃、名前はトキヤを一度だけ「さん」付けで呼んでいた。しかし、みなの呼び方が定まってくると、トキヤのことを名前で呼ばずに、「ねえ」「あのさ」「ちょっと」と呼びかける。今までそんなことを気にしたこともなかったし、気にする必要もないと思っていたが、名前にそうされるのだけは、自分が認められていないようで、不満だった。他のメンバーは名前で呼ぶからなおさらだった。
名前はめんどくさげに顔を歪めた。――その瞬間、トキヤは自分の中で何か箍のようなものが外れたような気がした。

「どうせ知られているからいいでしょう」
「?」

漏らされた言葉の意味を測り損ねた名前はトキヤの顔を見る。その瞬間、ぎょっとした。

「な…何!?」

にっこり笑ったトキヤは、いつもの雰囲気が一掃されて、明るい空気をまとっていた。

「HAYATO様の笑顔……」
「なっ」

春歌の呟きを聞いて、名前は瞠目した。
トキヤ――いや、HAYATOは名前に迫る。

「なんで名前ちゃんはボクのことを名前で呼んでくれないのかにゃ?」

その時、トキヤが考えていたのは、名前が自分の変わりように驚いて、そのまま強引にでも理由を聞きだす、という算段だった。〈トキヤ〉はだめでも、〈HAYATO〉なら自分には出来ないことが出来るのではないか。そう思ったからこその行動だった。
しかし。

「――それ、やってて楽しい?」

真顔で訊き返されて、トキヤは固まった。
少し身を引いた名前は膝に頬杖をついて横目にトキヤを見て続ける。

「HAYATOが嫌。一ノ瀬トキヤとして歌いたい。だから今、HAYATOを辞めて、こうしてこの場にいるんじゃないの? 自分で過去に戻ってどうすんの」

ソファの背にかけられたトキヤの手が拳を握る。
ふぅ、と息を吐いて、名前はトキヤに向き直ってその髪をくしゃりと撫でる。

「まあ、でも、そんなことさせちゃったのは私だもんね。ごめんね。ある意味さっきのは効果的かもしれない。例えば春歌ちゃんになら。でも、私はHAYATOをデータでしか知らないから、意味がない。逆に言えば、私は一ノ瀬トキヤしか知らないよ。や、ちょっと語弊があるかな。私が知ってるのは、HAYATOを前提とした一ノ瀬トキヤじゃなくて、一ノ瀬トキヤを前提としたHAYATOなの。
……ええと、理解できる?」
「――はい」

頷いたトキヤに笑みを漏らして、名前はテレビを消す。

「ま、こんな事態を招くぐらいなら、私は恥をかくべきだったのかもしれない」

トキヤを見て、テーブル席の他の者を見て、名前は視線を逃がして言う。

「さっきレンさんが言ったことが正解」

言われたレンは、理解できないと表情に表す。
彼が何かを言う前に、名前は口を開く。

「何て呼べばいいか、分からなくて。あなたは私をマネージャーとしか呼ばないし。ああ、『あなた』とも呼ぶか。でも、おかげで、距離感が掴めない。私、あまり同級生の男の子を名前で呼んだことないから、『くん』付けにすればいいのか、『さん』付けのがいいのか、よく分からなかったの」
「え、マサは? タメでしょ?」

音也の疑問の声に、名前は渋い顔を作る。

「…………私の記憶違いで、1コ下だと思ってたんだよね、真斗くんのこと」
「「はい?」」

予想通りの反応に、名前の表情は渋さを増す。
少し前に、部屋の書類を整理していたら気付いたのだ。本人に確認までとった。だからもしかしたら、真斗だけは理由に気付いていたかもしれない。
でも名前は、これで悩まなくて済んだのだ。いままでの呼び方を変えるのもおかしいからこのままでいいや、と。
恥をかいたらしい名前は、ソファの背に額をつけて唸る。
そんな名前の姿を見て、トキヤが呆れた声を出した。

「原因は、あなたをマネージャーと呼んだ私にもあるということですか」
「でも最近は、名前で呼ぼうと試みてたんだよ!」

がばりと顔を起こした名前は、そのまま力なく顔を戻していく。

「……試みただけだけど。なんか、いまさらすぎて、タイミング失った気分」
「――名前」

耳から入ってきた音に、名前は首を巡らせて発した相手を見る。
相手は――トキヤは、小さく笑う。

「私は君を、名前、と呼ぶことにします」
「…………じゃあ、私もトキヤって呼ぶ」

問題が解決したらしい様子に、見ていた者たちは微妙な表情を作る。
二人の間の空気がまるで、

「付き合い始めのカップルかよ」

瞬間、翔の頭にヒットするクッション。

「翔ちゃーん?」

にっこり笑った名前に、翔が身を引く。

「言っていいことと悪いことがあると思うんだよね、世の中には。で、私としては今の発言、軽率だと思うんだよねー。うん、不愉快。人の一世一代の告白をそんな言葉で片付けるな」
「一世一代の告白って……んな、おおげさな」
「おおげさじゃないもん、この年になって何て呼べばいいか分からないなんて、普通ないでしょ!?」

ぎゃんぎゃん騒ぐ彼らを、那月がなだめにかかる。
ライブ2日前だというのに、彼らはこんな状態だった。けれど、彼らの中には不安なんて、それほどなかったのも事実である。
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