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□幸せ日常
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人によってあるものを「幸せ」という人もいれば「普通だ」と片付けてしまう人もいる。

そういうものなのだ。人間とは、近くにある幸せに気づける人もいれば気づけない人もいる。自分はこのどちらかにわけられるだろうか。

考えてでたのは前者。ありがたいことに、自分にはお日様のような彼女がいる。自分のモノクロな世界を色鮮やかにしたのは彼女だ。

彼女と暮らせる日々が、何よりの幸せだ。大学で口うるさい友人と共に過ごすのもまた幸せ。虫の本を買って読んだり、彼女と大学の教授のこと、それぞれの授業の内容を話すのも、幸せなのだ。

そこまで考えて、ふと思った。例えば自分がすでに死んでるとしよう。その場合当たり前だが、今のような幸せは感じられないだろう。確かに人生と言うのは魂の修行という。だからこそ辛い経験もすれば悲しい経験もするのだ。それらに負けた者は、大概が「自殺」という道を歩いてしまう。または人生と言うもの事態が面倒になったか、絶望したか。しかし後者はともかく前者はただたんに自分に日常があるということに「幸せ」を感じられなかったというだけだ。それだけで自殺して、周りにどれだけの悲しみを与えるか分からないある意味愚かな人間。

そこまで深く考えているなんて、自分でも驚いた。まるで昔の自分とは別人だ。これもきっと彼女の影響だろう。そう思うと顔が自然と緩む。

そして自分がたどり着いた答えは、もしかしたら生きてること事態が、「幸せ」なのかもしれない。というものだ。生きてるからこそ、苦しみを耐えたからこそ、今の幸せを掴んだのだ。きっと人生は6:4で辛くて悲しいもののほうが多い。でも、それを乗り越えられてこそ、ようやく幸せを手にするのだ。


皆にもよく考えてもらいたい。「幸せ」というのは、本当にあってあたりまえのものなのかを。

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