10/09の日記

14:47
ミライ
---------------
目の前で降参のポーズをとる女が、時折苦痛に顔をゆがませながら笑みを浮かべた。
「さすがだね、やっぱ敵わないや」
両手を上げているせいで、手の甲から滴る血が肘を伝って床にぽたぽた落ちている。絨毯に落ちていくその血を眺めながら、そういえばこの部屋はうちの事務所にちょっとだけ似ているな、とぼんやりと思った。
その横で、ついさっきこと切れたばかりの、今日のターゲットが転がっている。大した仕事ではなかった。
その証拠に、ボディガード代わりに雇われたであろう目の前の殺し屋の女も、早々に音を上げた。俺と同じナイフ使いだったが訳はない。
だらしねぇな。俺なら絶対、降参なんかしねぇのに。
女の首元にナイフを突きつけながら、さっきから何がおかしいのかにやりと笑みを浮かべている女を睨み付けた。
「殺さないの?」
「俺の目的はお前じゃねぇからな」
「そう、じゃ、ナイフしまってくれる?」
女は目線でナイフを指すが、俺は聞かなかった。何でなのかは分からない。さっさと帰ればいいじゃねぇかと自分でも思っていた。
「あんたのこと、知ってるよ」
「俺はお前なんか知らねぇ」
「岩西のことも知ってる」
ぴく、とナイフを持つ自分の手が動いたのが分かった。
「あはは、この名前に反応するんだ」
「誰なんだよてめぇ。何で岩西を知ってる」
「雇われてたのよ、昔。って言ってもほんの短い間だけどね」
女の顔を見る。20代後半くらいだろうか。色白で猫のような大きな目に長いまつ毛。化粧っ気がないせいか短い黒髪のせいなのか、幼くも見える。
「岩西ってさ、あんたにも手、出したの?」
女に言われた瞬間、顔が一気に熱くなった。俺の反応を見た女が、まるでその反応を待っていたとでも言わんばかりに、嬉しそうに言った。
「やっぱり、男も女も関係ないんだ。岩西のやつ、見境がないんだから」
訳知りな言い方に無性に腹が立つ。俺の知らない岩西をこいつが知っていようが、そんなのは別にどうでもいいことなのに。
「ねぇ。あんた雇われて長いんでしょ?気に入られてるのね、随分と」
女の言い方は、嫌味でも妬みでもなく、自然なものだった。
「別に…気に入られてなんかねぇよ。たまたまだ」
「そうかしら。あの岩西がずっと同じ人間を雇うなんて、よっぽどの事だと思うけど」
「俺が有能だから。理由があるとしたらそれだけだろ」
「ふふっ、確かにね」
女の喉に向けていたナイフを俺は下げた。ずっと腕を上げているのにも疲れたからだ。女はふぅと息をついた。
「あんたさ」
手の甲の傷を眺めながら女が言う。
「…ううん、なんでもない」
「言えよ、気になるだろうが」
「ナイフの腕、凄いわね」
「なんだ、そんな分かり切ったことかよ」
女がケラケラ笑った。俺は長居しすぎたことに今更気づいて、壁の時計に目をやった。岩西が連絡を待っているはずだ。
急いでポケットから携帯を取り出し、岩西に電話をかける。呼び出し音を聞きながら出口に向かう。
ドアを開けている後ろで、女が
「あんた、愛されてるのよ」
と言う声が聞こえた。俺は構わず部屋を後にした。



事務所につくと岩西が読んでいた新聞から顔を上げた。
「よう、随分手間取ったみたいだな」
「手間取ってなんかねぇよ、さっき電話でも言っただろ」
「その割には遅かったじゃねぇか」
「だから…」
それはボディーガード役の殺し屋の女と無駄話をしていたからだとは言えなかった。
「ま、ちゃんとターゲットをやってきたのなら問題ないけどな」
「ご心配なく」
俺はコートを脱いでソファに座った。女の事が頭に浮かんで消えなかった。あいつも、こんな風に岩西とやりとりをしていたのだろうか。
胸がもやもやする。
「岩西」
「何だよ」
「俺が死んだら、この事務所はどうなる?」
唐突な質問に、岩西は目を丸くした。
「この事務所はどうなるかって?そりゃ、お前が死んだからって、突然消えてなくなったりはしないだろうよ」
「そうじゃなくて」
「他のやつを雇うか、ってことか?」
俺はうなずく。
「そうだなぁ、次は巨乳のねぇちゃんでも雇おうか」
「…まじで言ってんのかよ」
「さぁねぇ、んな先の事は分かんねぇよ。考えても仕方ないだろうが」
「それはそうだけど」
もしかしたら、もう誰も雇うつもりはないんじゃないかと、そんな期待をしていた自分がばかばかしくなった。あの女が、あんなことを言うからだ。

「蝉」
その声にふと我に返ると、デスクにいた岩西がいつの間にかソファの前に立っていた。
「何だよ」
「お前が死んだら、お前が稼いだ金全部持って海外に行って、死ぬほど豪遊してやるよ」
「…サイテーだな。浮かばれねぇな、俺は」
「お前、浮かばれる気でいるのか?」
岩西が笑って隣に座った。タバコはデスクで消してきたようだ。
体をこっちに向けるからてっきりキスでもされるかと思ったけど、岩西は俺のズボンのベルトを外しはじめた。性急だな、と感じた。
だけどそれは俺も同じで、ファスナーを下ろしていく岩西の手を見つめながら、その見慣れた指先に息を呑んだ。まだ触れられてもいないそこが、ズキンと痛む。




目が覚めると夜中だった。ブラインドの外は真っ暗で、すぐ横のカーペットの上では岩西が毛布にくるまって眠っていた。ここに来たのは夕方だったから、あの後そのままソファで眠ってしまったらしい。俺にも毛布がかけてある。
ソファに座りなおして、足元の岩西の脇腹あたりを足先で突いてみた。反応がない。
「何爆睡してんだ、岩西」
ピクリとも動かない岩西が可笑しくてもう一度つついてみる。
「殺し屋相手に、ずいぶん無防備なんだな」
岩西は少し寝相を変えただけだった。
「お前さっき、金全部持って海外に行くって言ってたけど、それってここをたたむってことじゃねぇの」
夕方の言葉を思い出し、岩西の寝顔に向かって話し続けた。
「やっぱその時は、証拠隠滅のために部屋ごと派手に燃やしたりするのか?そしたら、跡形も何もかも全部無くなっちまいそうだな。まるで俺たちなんか、最初からいなかったみたいによ」
足をぶらぶらさせるようにもう一度つつくと、今度は突然足首を掴まれた。重そうに瞼をあける岩西と目が合う。 
「何だよ、起きてたのかよ」
「お前の独り言がうるせぇんだよ」
なんだ、全部聞かれてたのかよ。悪趣味だな、タヌキ寝入りなんて。反対の足で強めにつつくと岩西が小さくうめいた。
「てめぇ」
掴まれた足を強引に引っ張られ、カーペットにずり落とされた。床にドスンと尻餅をつく。
「いてぇな、何すんだよ岩西」
「それはこっちのセリフだ。さっきからぼこぼこ蹴りやがって」
「軽くつついただけだろ」
「今のが軽くかよ」
岩西がやれやれとため息をつく。
「蝉、お前俺に豪遊されたくなかったら、死ぬ気で働くことだな」
「俺にも豪遊させろよ」
岩西は鼻で笑うと、ごろんと背中を向けて再び眠り始めた。俺は、まるでガキのお前には遊びなんか無理だとでも言われたみたいで腹が立った。
だけど反撃するのも面倒で、仕方なく岩西とソファの狭い隙間にごろんと寝転がる。
「お前にだけ楽しい思いさせてたまるかよ」
独り言のつもりで言ったけど、きっと岩西も聞いていただろう。



end

前へ|次へ

日記を書き直す
この日記を削除

[戻る]



©フォレストページ