タン

□Another Story
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「おっせぇな、あいつ…」

腕時計を見ながら、握ったハンドルを指先でトントンと叩いた。

もうあれから30分は経っている。真正面から射す西日が、苛立ちをさらに助長させる。

繁華街の賑やかな道路沿いに車を止めて、俺は仲間を待っていた。


「くそっ…何で俺がこんな事やんなきゃいけねーんだよ」


時計を見る。さらに5分経過している。俺はエンジンをかけて、ブレーキを解除させた。もう、あんな奴はほっといていいだろう。


そう思った所で、勢いよく車のドアが開いた。


「おせーよ、おまえ」


横を向いた俺はそこに座る男を見て絶句した。そこにいたのは、俺が待っていた仲間では無かったからだ。


「誰だよ!?お前!」

「しっ…!」


男は人差し指を口の前に当てると、低く身をかがめ、辺りの音に耳を澄ませた。
手には、袋に入った小さな菓子パンが握りしめられている。


「おいお前、何してんだよ?」


忌々しく問いかけると、男はゆっくりと体を起こした。辺りを窺うように、低姿勢で窓の外を見る。


「まじでうるせーし。パンくらいで、ごちゃごちゃ言うなよ」


男はまるで俺の存在など気にしてないような素振りで、独り言のようにつぶやく。
そしてやっと窓から目を離し、俺に向き直った。


「なぁおっさん、悪いんだけど、もうちょっとかくまってくんない?」


「はぁ!?」


出し抜けな注文に頓狂な声を出すと、奴は気にする様子も無くひょうひょうと言う。


「パン一個盗んだくらいで、いちいちうるせーと思わねぇ?こっちは生きるか死ぬかで、ようやくやってるってのによ」


ぶつぶつ文句を言いながら、男は袋から出したパンをぱくついた。


「あのなぁ…万引きだかなんだか知らねーが、俺たち初対面だぜ?なのにいきなり勝手に車に押し入られて、挙げ句かくまえだと?冗談じゃねーよ。さっさと出てけ。通報しないだけ、ありがたいと思え」


あっけにとられたまま言えずにいた文句を一息に言ってやると、男は意にも介さず、しれっと言う。


「おっさん、仕事何してんの?」


「人の話聞いてんのかよ…」


あまりのマイペースさに、怒りを通り越して呆れてしまう。仕方なく、答える。


「金貸しだよ。困っている人にお金を貸して差し上げる、やさしーお仕事」


男は聞いておきながら、既に興味がないようだった。
ふーん、とだけ答え、そしてしばらくしてから名案でも思いついたかのように顔色を変えた。


「なぁ、ならさ。金余ってるだろ?おっさん見たところ、金持ちっぽいし。この車だって、高級車じゃん」


「何が言いてーんだお前は」


「だから、その余ってる金を俺に分けてくれよ。見て分かるだろ?俺金に困ってんだよ」


肩をすくめて上目使いで見つめてくる男は、華奢で、中性的な顔立ちをしていた。肩まである長めの髪が、余計そう感じさせるのかもしれない。


「ばーか。俺は貸すの専門。あげるのなんて論外だ」


「ちぇっ…!」


ケチ、と頬を膨らませる。

俺は見ず知らずのガキと、何でこんなくだらない論争を繰り広げているんだと、今更になって思った。ため息が出る。


「金貸しのおっさんが、こんなとこで何してんだよ?」


男は窓の外を見つめたまま言った。夕日が男の顔をオレンジに染めている。


「仲間を待ってんだよ。なかなか仕事覚えないどんくさい奴がいてさ。この俺が子守とか、やってらんねぇよ」


時計を見ると、こいつが車に乗り込んでから既に10分は経っていた。


「これ以上待ってても仕方ねーし、帰るか。あいつはあいつで何とかするだろ」


ハンドルに手を伸ばし、一旦止めていたエンジンを再びつける。


「おい、お前。いい加減降りろよ?」


いつまで経っても動こうとしないそいつにしびれを切らして睨みつけた。
男は下を向いたまま、空になったパンの袋を握りしめている。


「優しさの欠片もないんだな、おっさん」


「当たり前だろ。見ず知らずのお前なんかに、かけられる情なんてあるかよ」


男は悔しげに唇を噛むと、小さな声で言った。


「じゃあさ、俺のこと買ってくれよ」


「はぁ?」


男が言う言葉の意味が分からずに俺は聞き返した。


「だから、俺があんたのアイテになるから、買ってくれって言ってんだ。おっさん男とした事ある?一回くらい、やってみたいだろ?」


何を言い出すんだこいつは。
男の勢いに、俺は圧倒されていた。


「バカな事言ってんじゃねーよ。俺は、男を抱く趣味なんてねぇ。色気の無ぇガキなんて抱いて、何が楽しいんだよ」


「…分かったよ…じゃあ、こうする」


「?」


男はおもむろにウィンドウを下げると、突然大声で叫んだ。


「助けてー!!このおっさんに殺されるー!!」


「なっ…!てめぇ!」


道を歩いていた通行人が一斉に俺の方を見る。
青ざめた俺の顔を見て、隣の男がにやりと笑った。


「てめぇ…!覚えてろよ!」


俺は視線から逃げるように急いで車を発進させる。男は可笑しそうにケラケラ笑った。
くそ、これじゃまるで、本当の誘拐犯みてぇじゃねーか。




しばらく道なりに走っていると唐突に男が声を上げた。


「あっ、ここ右。で、しばらく真っ直ぐね」


「場所の指定まであるのかよ。お前まさか、誰かと共謀して俺を身ぐるみはがそうって訳じゃねーだろうな?」


「そんなんじゃねーよ」


「言っておくが、俺はそんな甘くねぇよ?」


一体何だって、俺はこんなことになっているんだろう。ガキに脅されてホテルへ行くなんて、聞いたこともない。



「おっさん、あれ。あのホテルに入って」



男が車の窓越しに指差したのは、かなり年期の入ったホテルだった。なぜこんな所をわざわざ選ぶのか、不思議な程。


「別に俺は金に困ってる訳じゃねーんだけど?他にもホテル位、いくらでもあるだろーが」


無理矢理誘われておきながら更に良い場所の提案をするのも妙な話だが、そうせずにはいられないほどの、古さだった。


「いいだろ?別に。ベッドさえありゃ、どーせやる事は同じなんだから」


男が口を尖らせる。
幼さの残るその横顔は、まだ17、8くらいだろうか。
何でこんなガキがこんな事。くだらない詮索をしてしまいそうになり、慌ててハンドルを切る。
薄暗い駐車場に車を停めると、二人で外に出た。



館内に入ると、男は急にそわそわし始めた。きょろきょろと辺りを見回して、落ち着きがない。


「お前、今さら緊張してんのかよ?」


「ちがっ…!そんなんじゃねーよ!」


「大声出すなよ、うるせーな」


「ちっ…!」


相変わらず落ち着きのない男を隣に廊下を進んでいくと、俺たちの部屋に行き着く前に、隣の部屋のドアが開いた。

男は肩をびくつかせて、俺の背中にピタリと隠れた。


「何してんだよ?ただの清掃員だろーが」


男は通り過ぎていったその清掃員の後ろ姿を、俺の背中にくっついたまま、じっと見つめていた。


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