タン

□空蝉
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ガキの頃、木の枝にくっついた蝉の抜け殻を取ろうとして、砕いちまった事があった。

大した力は入れてなかったのに、手の中で粉々になってしまったそれを見て、妙に悲しくなったのを覚えている。

今目の前で倒れている蝉は、刺された胸から血を流し、物憂げな目でぼんやりと空(くう)を見ている。


「なぁ、どこ見てんだよ?」


視線の先にはただ薄汚れた廃墟の壁があるだけだ。

ひょっとして、空でも飛んでる気になってんのか?


長い沈黙の闇を経て自身の殻から抜け出た蝉は、うるさいくらいに鳴いて死ぬ。

お前の一生も、だいたいそんな感じだな。
俺は、めちゃくちゃふさわしい名前をつけてやったと思ってるよ。
感謝しろよ、蝉。


ナイフをこぼした蝉の手を握ると、まだ温かかった。

ほんとに死んでるのかよ?

血まみれの胸に耳をあてて鼓動を聞いてみるが、何も聞こえてこない。


騒ぐだけ騒いで、死ぬときはあっけないくらい静かなんだな。

お前いつか、『俺はお前の操り人形じゃない』とか言ってたけど

操ってたのは一体どっちだよ、さんざん振り回しやがって。
死ぬなら、縛った糸くらい切っていけよ。お前、ナイフ使いじゃねぇか。


そういえば、かの偉大なジャック・クリスピンはこう言ってたな。

人生から逃げる奴はビルから飛んじまえって。

だけどここは一階だ。
窓から飛び降りた所で、怪我の一つもしやしない。

だから俺は、このピストルを使うことにするよ。


「おい岩西、ジャック・クリスピンの言うことは絶対じゃなかったのかよ?」


さっきまで倒れていたはずの蝉が、いつの間にか床に胡座をかき、不機嫌そうな顔でこっちを見ていた。俺にはいつも、時間を守れだの何だの、口うるさく言うくせに...等と文句を言っている。


「そういえば、ジャック・クリスピンは本当に実在したかどうか、お前にはまだ言ってなかったな」


「どーでもいいよ。そんな事」


「答えは、このあと教えてやるよ」


「だから興味ねぇってば」


まるで子供みたいにそっぽを向く蝉を見て、俺はこめかみに向けた銃の引き金を引いた。


世界が真っ白に染まる。


この世に後悔なんてない。


だけど

せめて今が夏で
蝉の一匹でも鳴いていれば、俺たちもあの有名な句のようにサマになれたかもしれねぇなぁ。



なぁ?蝉。







end



2011.4.8

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