切原×桜乃 長編
□「浮上」
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「あんた、いつもあいつからあんなこと言われてんの?」
切原は桜乃をベンチに座らせ、ジュースを渡した。遠慮する桜乃に切原は桜乃の手を取って缶を乗せた。見上げた顔があまりにニコニコしていて、桜乃は缶を握り返し受け取った。
「ありがとうございます。」
お礼を言って桜乃は缶を見る。それは、桜乃の好きな甘めのミルクティー。炭酸飲料が苦手な桜乃にとってとてもホッとできる味だった。
「で、さっきの質問なんだけど。そうなのか?」
「・・・・・・・・・」
黙り込む桜乃。切原も聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと悔むところはあったが、どうしても、他っておけなかった。
桜乃が口を開くまでじっと待つ切原
「・・・・・・面白がってからかってるんです。私のこと。」
さみしそうにそう発言された切原。
「だからって、言っていいことと、悪いことがあるだろ。」
「でも、私が、テニス下手なのは事実だし・・。」
情けないですよねっと眉を八の字にして困った顔を浮かべる桜乃。
切原は腹が立った。
“なんだよそれ!!!”
そして、思いのまま口にした。
「下手とか上手いとか、テニスやるのに必要なのかよ。あんたが、やりたいっておもってることをあのチビに妨害する権利はないだろ。」
切原は叫んだ。桜乃は急な切原の声に驚いた。
それと同時に純粋に「テニスをしてもいい」と言ってくれた切原に喜びと感謝の念が湧き出てきた。
桜乃は切原をみつめた。救われるような思いだった。
「ありがとうございます。」
“そう言っていただけて、うれしいです”と、やわらかくほほ笑む桜乃。
男性相手にこんな風に笑ったのはどれくらいぶりだろう、自分でも知らないところで男性恐怖を抱えていた桜乃。
そんな風に可愛らしくほほ笑まれた切原は顔を真っ赤にして照れた。
切原も桜乃と同じくらいあまり、異性と関わってない。切原も桜乃が笑ってくれたことはいいが、この後どうしていいか、困惑していた。
沈黙を破ったのは切原だった
「あ・・の・・さ、あともう一個あんたに言っておきたいことあんだ」
「?」
「髪、切らないほうがいい。」
桜乃の目が見開かれた。先ほど、越前に“髪、長すぎ。スポーツやるのに向いてないっしょ。切れば?”と無下に言われていたのを切原が聞いていたのだ。
「俺、姉貴がいるから、知ってんだけど。髪の手入れってすげー大変なんだろ?俺みたいに髪、あらったらそのままってわけじゃなくて、丁寧にくし通して整えたりするんだろ」
切原は桜乃のみつあみを手ですくって優しく持ち上げる。
そのあまりの柔らかさに切原は驚いた。
「あんたの努力でこんなにきれいな髪を保ってるんだから切るなんていうなよ。それに、俺、羨ましいよ。こういうストレートの髪ってさ。」
切原はそういうと自分の髪を指さした
「俺は見ての通りの天パー。ワカメとか言われるし、腹も立つ。だから、あんたみたいなストレートの髪、すげー羨ましい。」
切原は桜乃の髪をゆっくりと下ろす。
「だから、切るなんていうなよ。」
桜乃は自分の髪をこんなに褒めてくれた人と初めて会った。
桜乃の髪はあの、祖母・母が小さい頃から丁寧にすいてくれたり、飾ってくれた家族の思い出もある大事な宝物なのだ。
さっき、越前にからかわれて泣きそうになっていたのは「髪をきれば」といわれたのが一番大きい。
越前が知らないにしろ「思い出を捨てろ」という言葉と同じことを越前はいったのだ。
それに対して、全く反対。むしろ、ほめてくれる切原の言葉は桜乃の心に潤いを与えた。越前からの強烈なアピールに始終脅えていた桜乃の心はカサついていた。親友の朋香にもどれほど心配をかけたかわからない。
そんな荒んだ桜乃の心の大地に切原は潤いの泉を沸かせた。
「ありがとうございます。切原さん。私、髪、切りません。」
よかった。と安堵するように切原は肩の力を抜いた。そして、疑問を持った。
「なんで俺の名前知ってんの?」
「一応、テニスプレーヤですから。」
ラケットを胸のあたりまで上げて桜乃は満面の笑みを浮かべた。
“うわぁ、こいつ、可愛い。”
口にこそださないが、強く思った。
切原はこの瞬間、桜乃に一目ぼれした。
「そういや、俺あんたの名前知らないや。」
「ああ、そうでしたね。」
「で、何て名前?」
切原は横から覗き込むように桜乃の顔を見て聞いた。
桜乃は少し戸惑うようなそぶりを見せたが、しっかりとした声で発した。
「桜乃です。」
「・・・・・・・・・・・・・・」
名前は?と聞かれて普通は苗字を言うだろう。それが急に苗字とも取れない可愛らしい名を告げられた。
「切原さんには・・・その・・・名前で呼んでほしいんです。」
“ぐさぁぁぁぁ”と桜乃の衝撃的な告白が切原の胸を貫いた。
「あの、切原さんが声をかけてくれて、話を聞いてくれてとても、うれしかったです。最近、私、ずっと悩んでて、暗くて、どうしていいかわからなくて、困ってました。
でも、切原さんが助けてくださいました。」
桜乃にとって切原は恩人にも匹敵する存在となった。感謝と慈愛、桜乃ができる一番の笑顔を切原に向けた。
「だから、名前で呼んでください。」
「わかったよ。・・・・・・桜乃」
切原は衝撃と興奮が冷めやらぬ赤い顔で桜乃と名前を呼んだ
「はい。」
と桜乃はそれに答えた。
二人の距離は時間も年齢差も学校の違いも全てがないよう急速に埋まっていった。
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