羽鳥×千秋

□笑顔の向こう側@
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『柳瀬に気を許すな!』

滅多なことでは他人を批判しない羽鳥が怒りも露に千秋に言ったのを忘れた訳じゃない。


『柳瀬に何をされたか、忘れた訳じゃないだろう!?』

何をされたかと一言で言えば『強姦』されかけた・・・かも、知れない。

それは未遂に終わったから、優が千秋をどこまで奪うつもりでいたのか今となっては知る由も無いけど・・・

唇を奪われたのはだけは、間違いない。


―――この、柳瀬優の自宅で。


「・・・だって、ケーキが食べきれないんだもん・・買い過ぎたトリも悪いんだっ!」

自分で自分を正当化する独り言をブツブツ述べて、千秋は食べ切れなかったケーキ片手に優の家へと訪れていた。

昨日の時点で自分の仕事は終わったけれど、アシスタントの優はまだ仕事かも知れない。

それならそれでケーキだけでも置いていこうと千秋はダメ元で呼び鈴を押した。


「・・・あれ?優、何で居るの?」

「何でって・・・ここ、俺の家だし・・・」

人の家に訪ねておきながら的外れな挨拶をする千秋に苦笑いを零し、優は訪問者を招き入れた。


いつもの和室に通された千秋は台所から『ビールでいいか?』と尋ねられ、考えも無しに『うん』などと返事した。

「ツマミがケーキだなんて合わないな。」

よくよく考えればケーキを食べるのに・・・とビールを目の前に置かれてから気付く。

「いいんじゃない?別に食べ合わせが悪いってわけじゃないんだし・・・腹痛さえ起さなきゃ。」

「はは。そーだよなっ」

テーブルに並べられたケーキの上でカチンとグラスの音を鳴らして乾杯すれば、ふたりだけのお茶会兼飲み会が開催される。


最近ではあまり触れる事の無い畳の感触をジーンズの布越しに感じながら、千秋はビールを飲みケーキを頬張る。

向かい合う優もまた、ビールとケーキとの組み合わせに抵抗は無いらしく黙々と食べていた。

これといって楽しい会話をするのでも無いが、優とは穏やかな時間を過ごせる。

やっぱりこれも中学以来からの友人であり、仕事もプライベートも共有出来る優だからこそだと千秋は改めて思う。

・・・この前の優は、ちょっと色々あってついうっかり自分を押し倒しただけなんだ。

あれは、ただの間違いであり、若気の至りってヤツなんだ、と千秋はいつもと変わらない優を前に安心してビールを口に運んだ。



「・・・あ・・・れ?」

ビールグラスを空にした頃、千秋は自分の体に異変を感じた。

・・・力が、出ない?

酔いが回ったのではなく、意識はハッキリしてるのに体だけが脱力し、自分の意思を裏切って座っている事さえままならない。

「やだ・・あれ・・・優、どうしよ・・・俺、なんか・・・変・・・」

言葉だって呂律が回る事も無くすんなりしゃべれるのに、体だけが言う事を聞いてくれなくて・・・

「・・・ひゃ、んっ」

見っとも無く子猫の鳴くような悲鳴を零して千秋は畳の上に寝転んでしまう。

そうするとますます体は鉛のように重くなり、まるで畳に体が縫い付けられているみたいな錯覚を起す。

指の一本も動かせない状態で、千秋は懸命に首を捻り、優に助けを求めた。


『助けて、優』

そう、言いかける千秋の言葉を遮って優は口を開いた。


「・・・・今度はもう、殴って逃げれないからな。」


冷たく言い放つ優の言葉。

そんな言い方をされたのは初めてだし、優の無表情な顔が自分に向けられたのも初めてだ。

優が何を言ってるのか、動揺しっぱなしの思考回路では理解出来なかったけど、なぜかこんな時に不思議と羽鳥の言葉を思い出す・・・


―――『柳瀬に気を許すな』、と。


どうして今のこのタイミングで羽鳥の小言を思い出したのか、千秋は動かない体で危機が迫る自分よりも先に羽鳥を思った。


「相変わらず無防備だな・・・体が動かないってのに怖がる表情もしないで・・・」

 言われてみれば確かにそうだ。

千秋は近寄ってくる優をキョトンとした緊迫感の欠片も無い顔して眺めていたから。

「優・・・体が、動かないって・・・分かるのか?」

分かってるならどうにかしろよっと千秋は優を恨む。

「ああ。俺が飲ませたクスリだから千秋が今どんな状態なのか把握してるよ。」

「・・・え?飲ませ・・たって・・・?」

『いつ?』『何を?』と尋ねようとする前に優は淡々と説明してくれた。


 ビールに水溶性の薬を入れた。

薬は神経を麻痺させるもので体に害は無い。

暫らく大人しくしててくれればそれでいい。

言葉も話せるから俺を罵ってくれてもいい。

体は動けなくても、感覚はあるから俺に何されたか、覚えておいて欲しい。


―――俺を、お前の体に刻み付けさせて。

―――俺と羽鳥の違いを、その体で確かめて欲しい。


それは、説明という名前を借りた謝罪のように聞こえた。

その声が。その顔が。その仕草が。

あまりに切なく見えて・・・・


千秋はゆっくりと降りてくる優の唇を、慰めるようにして受け入れてしまった。

『言葉が話せるのだから、罵ればいい』

そう忠告した優の言葉を無視して・・・

千秋は何一つ、拒絶の言葉を吐かなかった。

動けない体に、圧し掛かる重みと、覆われる唇の濡れた感触が伝われば、本当に動けないだけで感覚はしっかりしてるんだな・・・なんて感心してしまう。

これからどうなるのか、何をされるのかなんて考えもしない千秋の脳裏を掠めたのは、羽鳥の声・・・・



『優しさや同情は残酷だ。』



―――その言葉の意味を知る為に、自分は今、此処に居る。


 なぜだか、そんな気がしてならなかった。






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つづく。
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