マギ

□遠い瞬きに囁くE
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『遠い瞬きに囁く』E



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―――夢を見た。

 赤い影が揺らめく夢。

ゆらゆらと揺れる『赤』

それは私の周りに存在して、時には私自身を揺さぶって・・・・


 やめて。

 近づかないで。

 触らないで。

私は、私は―――…・・・




「・・・・っ・・・」


小さな空気の泡が、ゆっくりと水面に向かって浮上するような感覚で、ジャーファルの意識が戻る。

重い目蓋を開けば、ぼんやりとした視界に映る赤色。

それは朱色に染められた煌帝国宮廷で建築に使われている色であり、ジャーファルが見ているのはその天井だった。

そう、ここは煌帝国。

赤い夢の原因は天井を始めとする朱色の建物に囲まれているせいだろうか?

それとも、赤い髪を持つ若き皇子のせい?

自分の置かれている状況をたどたどしくも理解しようとすれば、下半身に鈍い痛みを感じて心臓がドクンッと鳴った。

身体の芯が重く、そのくせ熱を帯びているように熱いのは、性行為の余韻を色濃く残しているから・・・

―――自分は紅炎に抱かれたのか。

男を受け入れたであろうその場所は、今もまだ男性器を咥え込んでいるような感覚が残る。

足が不自由な上にだるさも加わり、とてもではないが起き上がれそうに無いジャーファルだったが、持ち前の気力で何とか上体を持ち上げた。

座った事でジャーファルの視野は広がり、気配を感じるままに目線を移せば、窓際に立つ紅炎を見つけた。

木枠で出来た窓に縁取られた夜の空には無数に瞬く星達が輝き、紅炎の輪郭を浮かび上がらせている。

「離宮は燃えてしまったのですか?」

「ああ。修復をしなければ使い物にならん。野宿するわけにもいかないから宮廷へと身を移した。」

起き上がったジャーファルを一度も見る事もなく、紅炎は外の景色に目をやったまま返事をする。

ザワ・・・、と窓からの風がジャーファルの髪を揺らすけれど、乾いた風は懐かしい海の匂いを運んではきてくれない。

「・・・私はもうすぐシンドリアへ帰ります。」

足の感覚は少しずつではあるが戻りつつあり、歩ける日もそう遠くは無い。

それは毒蜘蛛に噛まれた治療を終え、この地を去るのを意味していた。

―――私は、この煌帝国に留まる事はない。私は、貴方の側に居る事は無い。

心に思う真意の全てをジャーファルは『シンドリアに帰る』の一言に含ませたのだった。

「あの小さな島国がそんなにいいのか?」

ジャーファルへと向き直った紅炎が、つかつかと木靴の音を立ててベッドの側にまでやってきた。

「ええ。小さくとも平和で陽気な国です。」

意識が無く、無理矢理といっても過言ではない状態で自分を抱いた相手だというのに、ジャーファルは警戒する素振りも見せずに微笑む。

「ジャーファル・・・この世界はいずれ『ひとつ』になる。その時、この煌帝国こそが世界の中枢となり世界を牛耳るのだ。」

「・・・・」

寝台の上に腰掛け、物言わずに佇むジャーファルの髪が紅炎の指に絡め取られ弄ばれる。

「シンドリアはひとつとなった世界に呑み込まれるだろう。ジャーファル・・・シンドリアを捨て、この煌帝国に身を置け。」

命令する事に慣れた上の者だけが口にする強い口調だった。

それに対して、ジャーファルは感情の一切伺えない無表情な顔で首を横に振る。

「私はシンドリアの八人将であり、政務官でございます。国を捨てる事は我が身も捨てる事。」

「ああ。それがどうした?国を捨て煌帝国に来い。我が物になればどんな望みも叶えてやろう。」

口元に笑みを刻む男の目だけは笑っていない。

自分の思い通りにならないジャーファルに紅炎は苛立っていたのだ。

「私は決して国を捨てません。いえ、捨ててはならないのです・・・私はシンドリアの守護天使。シンドバッド王の眷属です。王を守り、国を守り・・・そして、時には守るために戦う。」

奪い取られ、今は腕に巻かれていない武器を寂しげな顔で眺めながらジャーファルは言葉を繋げていく。

「八人将が、八人で成されているのは・・・金属器に宿る七つの精霊が堕転した時、一人一人が七つの精霊と戦う為なのです。」

―――八人将は、七つの精霊と戦う為。

そう言ったジャーファルの言葉に、紅炎はすぐ疑問を持つ。

「・・・・後の一人はどうするのだ?」


―――八人将の最後の一人。

七つの精霊に対して八人ならば、一人だけが残る。

「その一人は私です・・・」

ふわっ、と白い輪郭を滲ませるように儚げに笑うジャーファルを見て、紅炎はハッとした。

そうだ・・・

七つ精霊の他に、もう一人存在する。

この世界で一番最初の眷属にして、八人将最後の一人、ジャーファルが手に掛けなければならない者。

それは・・・

「―――我が主が、我が主を手放した時・・・私は処刑執行人となるのです・・・」


―――私は、『我が王の処刑執行人』


「なにを・・・言っている?お前は・・・」

驚愕する紅炎が再びジャーファルに触れようと手を伸ばした瞬間・・・


ビギィイイィッ―――…・・・

金切り声を響かせ、吹き上げる風さえも切り裂く勢いで黒い渦となって押し寄せてきたのは『黒いルフ』の群れだった。

憎しみ、悲しみ、恐怖といった負のエネルギーを大量に含んだ黒いルフに囲まれたジャーファルは身動きが出来ない。

助けようと伸ばされた紅炎の腕でさえもルフは跳ね返し、ジャーファルに指一本触れさせようとしなかった。

意志を持って飛び交う黒いルフの狙いは明らかにジャーファルだ。

「組織の仕業か・・・!?クソッ!ジャーファル!!」

「こ・・・う・・炎っ・・・!!」

ひとつひとつの小さなルフが集まり巨大な黒い塊になる。

その中心から、かろうじてジャーファルの白い腕だけが見え隠れしていた。

「ジャーファル!!」

叫んだ紅炎の言葉とほぼ同時に、ジャーファルの腕が呑み込まれていく。

ジャーファルの全てを呑み込んだ黒いルフの塊は、現れた時と同様に煙の如く姿を掻き消し、その後には・・・

一人、部屋に取り残された紅炎の目の前にジャーファルの姿は無かった。

温もりだけが残るシーツに掌を滑らせた紅炎は、怒りのままにそれを握り締める。

「呪いを掛けた相手がついに本性を出したか。玉艶・・・あの女が裏で糸を引いているのか・・・」

ジャーファルに『呪詛』が掛けられていたのは分かっていたが、紅炎にはどうする手立ても無かった。

そして、ジャーファルが連れ去れた今ですら、何も出来ない。

皇帝である玉艶と、ジュダルを神官として奉る組織を前にして、紅炎は無力だった。



 暗い・・・・


―――光の射さない深い海の底を漂っているみたい。


ふわふわとした浮遊感と、重い身体がアンバランスでジャーファルは気持ちが悪くなりそうだった。

自分をどうにかしたいのに、指一本です動かせず、目蓋も開けられない。

それなのに、音だけは鮮明に聞こえてくる。


 (誰だろう?)


『なぁに?思っていたよりずいぶん地味な子ねぇ』

 (女の人の声・・?)

『元、暗殺者故に出身地も部族も分からぬ卑しき者ですよ。』

『暗殺の術のひとつに身売り行為もあったのでしょう。男をたぶらかすのはお手の物なのでは?』

 (人が大勢居る?私を取り囲んで何かの話をしているんだ・・・)

『そう、それで私の紅炎にも手を出したのね?紅炎がこんな淫乱な子に惑わされるなんて・・・でも、好都合だったわね!』

ジャーファルを見下ろしているであろう女は、突然高らかに笑って言う。


『第一級特異点のルフと、比類なき最強の将軍のルフを一つの身体で同時に宿しているなんて・・・我が父をお迎えするには最高の依代となるでしょう!』


・・・耳障りな、嫌な声。

邪な欲望がハッキリと分かる。

この場所は嫌。気分が悪い。

帰りたい。

帰りたいよ・・・シン・・・

ここは、暗くて、寂しい。


シン・・・貴方なら、絶え間なく私を照らしてくれるでしょう?






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つづく。

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