マギ

□遠い瞬きに囁くC
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石造りで建てられているシンドリアの建築物とは違い、ここ、煌帝国ではほとんどが木造作りだった。

ジャーファルは慣れ親しんだ石の感触を求めつつ、木枠で出来た窓に肘を置いて頬杖をつく。

乾いた砂漠の風が通り抜けるけれど、ジャーファルの目の前には見えない結界が張ってある。

複数の金属器を所有する紅炎が施した結界は強靭で、他の者の侵入を許さない代物だ。

『護衛をつけても良いのだが、そなたには不要であろう?』

そう告げた紅炎の申し出に異論は無い。

足が動かなくても自分の身は自分で守れるし、護衛などが居るとかえって警戒して落ち着かないからだ。

なので、紅炎が去った後、ジャーファルは広い離宮の中で一人で居ることを許された。


「・・・足が治るまで治療が続くとして・・・あと、薬を何回飲むのでしょうか・・・」

はぁっ、と情けないような溜息をついてから、ジャーファルは木枠の窓へ突っ伏した。

ジャーファルが治療に服用している解毒剤は、生きた毒蜘蛛から抽出された体液で生成されている。

なので、生きた毒蜘蛛が居る場所でしか治療する事は出来ず、つまりは、煌帝国から出られない事を意味していた。

「うう・・・毒蜘蛛がシンドリアでも生きていられたなら、セレンディーネさんに解毒剤を作って貰えるのになぁ・・・」

口をついて出た言葉が国家機密だったのに気付いて、ジャーファルは慌てて口を押さえた。

実の所、ドラコーンの奥方はパルテビア王国の王女であり、かつては毒を自在に操り、それらを武器とし『毒蜘蛛姫』とまで呼ばれて恐れられていたセレンディーネ姫なのだ。

古今東西100の毒を扱うという彼女の知識と経験は今もまだ健在。

髪の色が現在と違うのは、レーム帝国による侵略の際、国外へ逃げるため髪の色を黒に変えて変装した名残が残っているからだ。

そして、その髪の色を変える薬をセレンディーネに渡したのが、何を隠そう、幼き日のジャーファルだったりする。

今でこそドラコーン将軍の妻であり、ジャーファルの元で文官の仕事もこなすセレンディーネであるが、今に至るまで数々の苦労と困難を乗り越えてきた過去がある。


「・・・あ、やばい。嫌な事まで思い出した。」

はしたなく舌打ちしたジャーファルは髪を掻き乱して顔をしかめる。

―――あの日の戦火に燃える街を、人を、思い出してしまう。

故郷を知らないジャーファルだったが、パルテピアはシンドバッドの生まれ育った国。

それが一瞬の内に戦火に呑み込まれ灰へと化してしまうのを、ジャーファルはシンドバッドと共に見ていた。

あの時のシンドバッドの悲しげな顔と怒り満ちた感情は忘れられない。

その光景は、怖いものなど何一つなかったジャーファルに『炎』という恐怖を植えつけたのだ。


燃えさかる炎。人々の悲鳴。焼け焦げる匂いは人の―――


―――メキッ!


「なっ、何!?」

過去の恐怖に支配されかけていたジャーファルの耳に飛び込んできたのは、木造の建物が軋む音。

それと同時に焦げた匂いが漂い、ドアの隙間から灰色の煙が立ち込めてきた。

「火事?この結界の中で!?」

火の手こそは見えないが、匂いと煙でこれが火災なのだと充分に理解出来た。

この離宮は木造建築。火の手はあっという間にジャーファルの居る部屋にまで広がるはず。

早く避難しなければと思うが、ジャーファルの足は鉛のように重く動かせる状態ではない。

「くそ・・・どうすればっ」

自ら逃げる事も出来ず、結界の中では助けを求める声も届かない。

「いや・・・っ!」

窓から身を離し、ベッドから転げ落ちるようにして床へと伏せる。

今のジャーファルに出来る事といえば、小さな子供ように怯えて、部屋の隅で身を縮めながら恐怖に打ち震えるだけ。

そうしている間にも部屋中に煙が充満し、足元から建物が焼けて崩れる音が聞こえてくる。

「・・・やだ・・怖い、助けて・・・シン」

助けを求めて口から出てくる言葉は、遠い彼方の地に居る我が王の名前だった。




「どうかなさいましたか?兄上様。」

軍の配置について論議を交わしていた紅炎が、突然話を中断したのを紅明がどうしたものかと声をかけた。

「・・・離宮の様子が変だ。」

「離宮ですか?見た所では異変など見受けられませんが」

宮廷の窓からでも見える離宮に目を凝らしても、いつもどおりの光景が広がっているだけ。

「いや、あの離宮には私の結界が張ってあるのだ。外から見ても異変は分からん・・・」

ジャーファルの為に張られた侵入者を阻む結界だが、それは内に起きた事態をも外部に映さない。

 それが裏目に出た。

紅炎は先程感じた気配と、今、結界の中で起こっているであろう気配を探る。

(何が起きている?)

(ジャーファル?どうした?)

紅炎の念を込めた問いかけに、僅かな『怯え』が返ってくる。

―――『あつい たすけて』、と 


「しまった!火の手が上がっている!」

「え?火ですか!?」

それだけを叫んで窓から飛び出してしまった紅炎を呆気に取られて見送った紅明だが、ただ事ではないと感じて、すぐ後を追う。



――結界内に足を踏み入れた途端、灼熱の炎が紅炎の肌を焼く。

「我が結界内に炎を送り込むとはっ!」

結界の中で起きた火災ゆえに、この炎がただの火ではないと分かっていた。

ジャーファルさえこの場に居なければ、この結界内の空気を抜き、酸素を無くしてしまって鎮火させる事も出来るのだが・・・

今は、この燃え盛る炎の中を突き進み、ジャーファルを救い出すのが先決だ。

「ジャーファル!」

何処にも行ける事など出来ない足の不自由なジャーファルの身を案じる紅炎は、無意識にもジャーファルの名を叫んでいた。



「ジャーファル!何処だ!?」

二度目にジャーファルの名を呼んだ時、紅炎はジャーファルに宛がった部屋の扉を開けていた。

幸いにもジャーファルの居る部屋にまで火の手は回っていなかったが、煙だけは視界を遮るほどに立ち込めている。

紅炎は両手で煙をなぎ払い、姿の見えないジャーファルを必死になって探す。

「ジャーファル!ジャーファル!返事をしろ!」

見つけられないもどかしさに、気持ちばかりが焦り、紅炎は床に膝をつき、這い蹲るようにして前に進んで行く。


・・・・ごほっ、


分厚い層に覆われた煙の壁の向こうに咳き込む声を聞いた紅炎は、そちらの方へと手を伸ばす。

その掌に温かく柔らかい感触を掴む。間違いない、ジャーファルだった。

「大丈夫か!?助けに来たぞ!」

掴んだ腕を力任せに引っ張り、紅炎は己の胸の中へとジャーファルを抱き寄せた。

「けほっ・・・ごほ、こ、紅え・・・んっ・・様・・・」

「ああ、しゃべらなくて良い。煙を吸い込んでしまうぞ。」

煙を吸い込んでしまったせいで意識が朦朧としているが、ジャーファルは咳き込みながら紅炎に身を寄せてくる。

「この炎を消すのは厄介だ。とにかく避難するぞ。」

この離宮が燃え尽きてしまっても、そんなのは二の次で、今は腕に抱き上げたジャーファルを守りたいと思う。

こんなにも守りたいと思える相手は、血を分けた兄弟以外で初めてだ。


―――いや、兄弟達に寄せる想いとは違う。もっと、なにか特別な感情・・・・


紅炎は己の心境に戸惑いながらも部屋を飛び出し階段を下る。

目の前には炎が赤々と燃えているが、魔力による防御魔法を張っているので避難するには問題がなかった。

その事はジャーファルにも伝えていたはずなのに、いざ、炎を前にした途端・・・


「いやああぁ――っ!!いやっ、や・・・やめて!怖い!!」

部屋を出るまでは冷静だったジャーファルが、扉の向こうに広がる炎を見て、突然悲鳴を上げて暴れる。

「ジャーファル!落ち着けっ!魔法でシールドしているから安全だと言っただろう!?頼むから、暴れるな!」

「やあぁっ!だめ・・・だめっ!焼かれる、みんな・・・みんな焼かれて・・・火の中で死んじゃうっ!」

紅炎の腕の中で暴れるジャーファルは、しきりに『みんな、焼かれて死んでしまう』と叫ぶ。

「誰が死ぬというのだ?ここにはお前と俺しかいないではないか。」

落ちそうになる華奢な身体を押さえ込もうととすれば、抵抗してくるジャーファルの腕が紅炎を容赦なく殴り、爪で引っ掻いたりしてくる。

「はぁっ、はっ・・・逃げて・・・みんな、死んじゃう・・・街も人も、燃えてしまう・・っ、あ・・・いや、やめて・・・シンの街・・・燃やさないで」

「シンの街?シンとはシンドバッドのことか?」

今、現実に起きている火災を前にして、ジャーファルは過去に見てきた戦火の炎を思い出し、記憶がフラッシュ・バックしているのだと気付いた。

問いかけにまったく反応しないジャーファルを見て、紅炎は落ち着かせることを諦めた。

そして、錯乱したままのジャーファルを胸の中に強く抱き、否応も無く炎の中へと突っ込む。

その後、ジャーファルの悲鳴が断末魔の如く離宮内部に響いていた―――




「兄上様!?大丈夫ですか!」

結界の外で待機していた紅明が、二人の姿を見つけて駆け寄ってくる。

その横の結界では、紅炎が脱出と共に結界内の空気を抜き、酸素を失った炎が徐々に鎮火しつつあった。

「怪我はしていない。だが、煙を吸い込んだせいで呼吸困難を起こしかけてる・・・もう離宮は使えない。ジャーファルを宮廷に運ぶぞ!」

「きゅ、宮廷にですか・・・!?」

離宮とは違い、宮廷には皇帝を始め多くの皇族とその従者が身を置いている。

その場所に不法侵入してきた他国の者をかくまうなんて・・・・

だが、そんな危険を侵してまで紅炎は宮廷に行く事を選んだようだった。

「行くぞ、紅明。この寒空にジャーファルを置いておくわけにはいかん。」

ジャーファルを抱えて駆け出す紅炎の背中を追いかけながら、紅明は妙な胸騒ぎを覚えていた。





****
つづく。



注:セレンディーネさんのあたりは完全な捏造です。
シン冒でドラさんがセレンさんの事、すごく好きだったので、原作に出てくる奥様が実はセレンさんだったりして・・・、と妄想しただけです。

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