マギ

□遠い瞬きに囁くA
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『遠い瞬きに囁くA』





広大な敷地面積を誇る煌帝国の宮廷より、少し離れた小さな離宮。

街を見下ろせる高台に建つその離宮の一室にジャーファルは眠っていた。




「容態はどうだ?」

離宮の主である紅炎が声をかけると、夏黄文は手にしていた扇を携え深々と頭を下げる。

「先程飲ませた解毒剤が効いており、徐々に回復へと向かっている様子です。だた、全身の麻痺はしばらく残るでしょうから引き続き解毒剤の服用が必要かと。」

治癒魔法の使い手である夏黄文は、紅炎に呼び出されジャーファルの治癒を行っていた。

シンドリアでは色々あってそれなりの面識もあったが、まさか煌帝国で、しかも瀕死の状態で再会するとは思いもせず、正直面食らった。

「容態が安定したのなら、今のうちに武器を奪っておかねばならんな。動けるようになってから抵抗されると面倒だ。」

シンドバッドが連れて来たとはいえ、ジャーファル本人は合意の上で来た訳ではない。

ジャーファルの症状が回復し、暴れられるとさすがの紅炎でも手を焼くのは容易に想像出来た。

「紅炎様、その者は腕に巻いている眷属器のヒョウ以外にも暗殺器の類を衣服に忍ばせております。危険なので手出しは・・・!」

シンドリアでのジャーファルを知っている夏黄文は、ジャーファルに触れようとする紅炎に危険だと知らせる。

だが紅炎は忠告も聞かずジャーファルの衣服に手をかけた。

「なるほど。これが眷属器か。『倭国』の忍びが持つ手裏剣やクナイに似ているな。ああ、懐には小刀。腰紐に毒針を仕込んでいるとは。聞きしに勝る暗殺の名手だ。」

まるで楽しむかのように、紅炎はジャーファルの衣服を剥ぎ取り、体中に忍ばせていた暗殺器をも奪う。

「夏黄文、カゴをここへ。」

暗殺器の仕込まれた衣服を素手で持つのは危険と判断し、紅炎は夏黄文にカゴを持たせる。

「は、はいっ!」

命令を受け、夏黄文が手近にあったカゴを慌てて差し出すと、紅炎はそこへ脱がしたばかりの衣服と眷属器を無造作に投げ入れた。

「その者の衣服と眷属器は場所を悟られないよう結界を施した上で厳重に保管しておけ。お前はそのまま下がって良い。明日の朝、着替えを用意して此処へ来い。」

「・・・かしこまりました。」

腕にズシリと重みのかかるカゴを持ちながら一礼した夏黄文は、紅炎の肩越しにジャーファルを覗き見てしまう。

ベッドに横たえられた全裸の身体は白く、とても成人男性のものとは思えない。

痛々しい傷が無数にあるのも気になるが、それさえも美しいと思えるほど怪しい色香を放っていた。

「下がって良いと言っただろう。夏黄文。」

「はっ!あ・・・申し訳御座いません!!」

再び下った命令によって、夏黄文は弾かれた様に慌てて部屋を後にした。

夏黄文が何に見とれていたのか分かっている紅炎は、その様子を見ながら笑みを浮かべる。

「まぁ・・・夏黄文が呆けるのも無理はないか。」

夏黄文が目を奪われるほどの『それ』に紅炎は向き直り目を落とした。

一糸纏わぬジャーファルの肢体を見て、真っ先に受ける印象は『白い』という事。

かっちりと着込んだ官服の下に、こんなにも白く華奢な身体が隠されているとは思いもしなかった。

その肌に付けられたおびただしい傷痕はジャーファルの悲壮な生い立ちを物語っているのだろうが、その傷よりも紅炎が興味を示したのは・・・


「それは、シンドバッドの血と魔力で作られた『魔石』だな?」


一見したところではただの赤い宝石にしか見えない額の飾りの正体を、紅炎は見破っていたのだ。

これはただの従者ではないな、と憶測しつつ紅炎が魔石に手を伸ばした瞬間―――


―――バチイィッ!!


近づけた指と魔石の間に雷のような閃光が走りバチバチと音を立てた。

「これは・・・『守護の力』、か」

離れていてもジャーファルの身に危険が迫れば守り、ジャーファルの安否をシンドバッドに伝えるのだろう。

ビリビリと痺れの残る指先を握り締めた紅炎は触れられない結界の存在に顔をしかめる。

「・・・んっ」

そんな紅炎のすぐそばで、結界が起こした刺激によりジャーファルが意識を浮上させた。

毒の後遺症によって混濁する意識にも関わらず、ジャーファルは己の現状を探り、状況を理解しようと視線を漂わせていた。

「・・・紅、え・・ん・・殿?」

「ああ、そうだ。」

さすがとも言うべきか。

紅炎の姿を前にしても動揺しないジャーファルに感心する。

「毒蜘蛛に噛まれたのは覚えているか?」

「はい・・・」

毒蜘蛛に噛まれたという事さえ理解しているのなら、この者に余計な説明は必要無いだろうと紅炎は思う。

その予想通り、ジャーファルは自分が煌帝国に連れてこられた事も、此処へ連れてきたシンドバッドが居ない事も瞬時にして把握したらしく、取り乱す様子はなかった。

己の置かれた状況を理解すると、ジャーファルは大きく息をついて紅炎に礼を述べる。

「ジャーファル、と言ったな?身体はまだ動かない様子だが、この後の治療によって回復するだろう。しばらくこの地に滞在してもらうが、ここは宮廷から離れた私専用の離宮ゆえ安心して養生するがいい。」

今度は意識のあるジャーファルの目を見て声を掛けながら触れてみると、守護の力は発動しなかった。

それをいいことに、紅炎はジャーファルのきめ細かな頬を撫でる。

「南国で暮らしているとは到底思えない白い肌だな。そなたは北の生まれか?」

「・・・・私は、奴隷の身ゆえ・・・故郷を知りません」

紅炎の質問に応えようと、ジャーファルは麻痺の残る身体で弱々しくも懸命に言葉を紡ぐ。

「そうか。分からぬか・・・しかし、この体毛の薄さから見れば北国と決め付ける訳にもいかんな。」

魔石による妨害が無いと分かり、紅炎は大胆にもジャーファルの下肢へと手を伸ばす。

そして無防備に晒された股間に生える薄い陰毛をさわさわと弄り始める。

突然の淫行にジャーファルは一瞬身じろぐが、身体が動かない事もあり、相手の出方を探るべくじっとされるがままにしていた。

「見事な銀の色だ・・・しかし、不自然な色合いをしている。これは何かの薬物による影響で脱色した可能性もあるな。」

紅炎は薄い茂みをくすぐるだけで、その奥にある性器には触れてこようとしない。

そして、ジロジロと舐め回す様にジャーファルの陰部と全身を眺めてから、目と目が合わさった所で視線を止めた。

「瞳の色は生まれた時から変わらぬもの。その黒い瞳は、東洋人の瞳と同じ・・・我が国よりさらに東の方角に『倭国』と呼ばれる小さな島国があってな。そなたはそこに住む民族の顔立ちに良く似ている。」

ジャーファルに興味を抱いた紅炎は、ジャーファルに対する憶測を立て、それを口実にジャーファルの身体に触れ続けた。

一方のジャーファルは紅炎の淫行に嫌悪感を抱きつつも、紅炎が口にする話を聞いていた。

「そなたとは近い人種のような気がする。もし、この世がもっと平穏であったならば、シンドバッド王よりも先に俺と会っていたかも知れぬな。」

シンドバッドよりも先に、紅炎と出会っていたなら―――

そんな取りとめも無い夢話だが、ジャーファルの心が一瞬揺れ動く。

そして、この短時間のやりとりの間に、紅炎が自分の事を『私』から『俺』に変わっているのにも気付いていた。

寡黙な印象を受けるが、実のところ饒舌で気さくな面もあるのかも知れない。

しかし相手は煌帝国の軍隊を指揮し、他国を侵略してきた第一皇子。おいそれと気を許していい相手ではない。

「私には分かりかねる・・・お話です」

当たり障りの無い返答で言葉を濁せば、紅炎は形の良い唇を上げて微笑み返してくる。

「体調の優れぬそなたに長話をして悪かったな。今宵はもう休むと良い。」

顔に笑みを残したまま立ち上がった紅炎は、外気に晒されていた裸の身体に柔らかな布を掛ける。

「身に余るほどのご好意・・・感謝致します・・・」

思い通りにならない身体をかろうじて動かし頭を下げたジャーファルの耳にドアの閉まる音が聞こえた。

一人になった部屋の中、ジャーファルは安堵の息を盛大に吐いてベッドへと身を沈める。

命が助かった事に安心しているのではなく、紅炎から解放された事で張り詰めていた気が緩んだからだ。

他愛ない会話をしているようでも、射抜くような鋭い眼光で自分を探っていた。

もっと弱みに付け込み、脅迫まがいの言葉でシンドリアの情報を聞き出すんじゃないかと身構えていたのに・・・

「私が・・・東の国の者、ね。」

物心ついた時から暗殺集団で生きていたジャーファルにとって自分の親が誰なのか、自分が何処の国の生まれかなんて考えた事も無い。

ただ、今はシンドリアが自分の故郷。シンドリアの国民すべてが自分の家族。

それが真実で、それが何よりの幸せ。

「シン・・・心配かけて、ごめん。」

一人きりになった異国の部屋で思うのは、シンドリアにいるシンドバッドの事。

どんな思いで自分を煌帝国に連れてきたのか、そのシンドバッドの心情が痛いほど分かる。

シンドバッドとの繋がりを求めて、痺れる指先を伸ばし、額にある魔石にそっと触れてみた。

チャラ、と軽い音を立てて額の上を魔石が滑る。

武器になる眷属器も、暗殺具を忍ばせた衣服もすべて没収されるのは当然で覚悟していたが、額の宝石は取られずに済んでホッとした。

魔力の込められた魔石が奪われなかったのは、恐らく『守護の力』が発動した為だろう。

ジャーファルを守るだけの魔石に攻撃力が無いのを知り、紅炎も無用な手出しはしなかったに違いない。

肌身離さず付けている魔石は、遠く離れたシンドバッドへジャーファルの無事を知らせてくれるはず。


――――大丈夫。私はちゃんと、貴方のもとへ帰ります。


自分を勇気付けるように心に決めてから、ジャーファルは目蓋を閉じる。


――――星が森へ帰るように・・・


その目蓋の裏で、ジャーファルはシンドリアで見上げた星空を思い出しながら、愛しい人の名を呟いた。






*****
つづく。

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