マギ
□遠い瞬きに囁く@
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『遠い瞬きに囁く』
シンドリア王国より、遥か東の方角にある国。
侵略国家として領土を広げ、この世の栄華を誇るその国の名は―――『煌帝国』
「マグノシュダッドのような失敗は許されない。」
「『我が父』をお迎えするには、あのような『依り代』では脆弱だ。」
「そうですわ。もっと強靭なルフを手に入れなければ・・・」
威厳をそのまま示したかのような壮麗な作りの宮廷で秘密裏に交わされる会話。
「ならば『第一級特異点』であるシンドバッドのルフで依り代の核を作れば良い。」
「しかし、シンドバッドは複数の金属器を持つ男だ。ヤツに宿る精霊がシンドバッドを守るだろう。我々に手出しは出来ぬ。」
薄暗い部屋の中に何人の人が居るかは定かでないが、数多くの老若男女が顔を隠し、声を潜めている。
「我々が欲しいのはシンドバッドの『ルフ』でありシンドバッド自身ではない・・・シンドバッドのルフを有している人物を手に入れればいいだけのこと。」
ピクリ、とその場を流れる空気が張り詰めた。
「して、そのような者が存在すると?」
「ああ、シンドリアの八人将でありながらシンドバッドから魔力を分け与えられ王の寵愛を受ける者。その名は―――
――――ジャーファル。」
『痛い』、と口をついて出たジャーファルの言葉をヤムライハは聞き逃さなかった。
「ジャーファルさん、どうかしましたか!?」
国外からの輸入品を検査する仕事をしていたヤムライハは慌てて声のした方へ駆け寄る。
ヤムライハが慌てるのには理由があった。
今、ヤムライハとジャーファルがしている仕事は煌帝国からの荷受検査であり、気を許してはいけない国からの荷物だからだ。
友好関係を結んでいても、侵略国家からの荷物には何が仕込んであるか疑わしいので、検査は魔法関連に強いヤムライハと毒物に詳しいジャーファルが担当していた。
だからこそ、ただならぬジャーファルの様子にヤムライハは悪い予感がした。
そして悪い予感というものは良く当たる。
「ジャーファルさんっ!?」
ヤムライハが駆け寄るよりも早く、ジャーファルは床に倒れる。
しかし、それは倒れるというよりも意図的に座り込んでからゆっくりと身を横にした感じだった。
「今は私を動かさないで下さい・・・毒の回りが早くなってしまいます・・・」
「毒?」
自分から横向きに身体を倒したジャーファルは意識もしっかりしていて近寄ってきたヤムライハに手を差し出して見せる。
そこには、小さな蜘蛛がいた。
ジャーファルによって潰されてしまった蜘蛛はすでに息絶えていたが、背中に赤い色の付いた蜘蛛だ。
「・・・これは『砂漠セアカ毒蜘蛛』です・・・乾燥地帯に生息していて、強い毒があり解毒剤を飲まなければ命を落とす危険が・・・」
「解毒剤!?解毒剤って・・・そんな蜘蛛っ、私見た事ありません!シンドリアにはいないじゃないですか!」
シンドリアには生息していない毒蜘蛛の解毒剤など無いのは当然。
解毒剤があるのは、毒蜘蛛の生息地である『煌帝国』だけ。
「煌帝国の輸入品に毒蜘蛛が紛れ込んでいたのね・・・なんてこと・・・ジャーファルさん、私、王様を呼んで来ます!待ってて下さい!」
目に涙を溜めながらも気丈に走り出すヤムライハの後姿を眺め、ジャーファルはこのまま体内に巡る蜘蛛の毒を己の治癒力だけでどうにかしようと考える。
「大丈夫・・・私は、毒に強い・・・から」
掌で潰れている毒蜘蛛を見ながら、ジャーファルは呟く。
それから暫くして噛まれた掌から痺れが始まり、じわじわと腕から肩へと広がる。
それは毒が血液を通して体内に巡り始めた兆し。
ざわつくみたいに人の声が聞こえる頃、ジャーファルの意識はぷつりと途絶えてしまった。
「毒蜘蛛に噛まれてからどれ位の時間が経つ?」
「噛まれたのはついさっきです。ジャーファルさんは自分から身体を倒して・・・それから毒の回りが早くなるから動かさないようにと私に言ってました・・・」
駆けつけてきたシンドバッドは、すでに意識の無いジャーファルの手を取ると掌で死んでいる毒蜘蛛を険しい顔で睨む。
ジャーファルの青白い顔にかかる銀の髪を払い、額に手を乗せると発熱し始めたのか、掌から熱さが伝わった。
「ジャーファルの治癒能力に頼るのは無理だ。解毒剤を処方するために煌帝国に飛ぶぞ!」
発熱と痙攣と意識障害を合併し出した時点で毒はもうジャーファルの身体を蝕んでいた。
一刻の猶予も無いと判断したシンドバッドは床に伏しているジャーファルを抱き上げ回りの者へ命令する。
「時間が無い。フォカロルに魔装して上空を飛行する。ジャーファルの体温が下がらないよう出来る限りの防寒具を着せてくれ!ヤムライハは毒の進行を遅らせる治癒魔法を頼む・・・直接ジャーファルを煌帝国へ連れて行く!」
シンドバッドの下した判断は危険極まりないものだった。
友好的ではない侵略国家へ魔装した他国の王がいきなり領土に侵入すれば戦争にだってなりかねない事態だ。
そんな危険を侵してまで助けたい―――
―――己の腕に抱いた、愛しい人を。
瞬く星の空を翔ける翼。
夜の闇よりもさらに深い漆黒の翼が幾度も羽ばたく―――それは精霊の『フォカロル』
その手には、幾重もの布に包まれ大事そうに抱かれるジャーファルの姿があった。
どれほどの時間を飛行しただろうか。
船や馬車の比ではないフォカロルの速さで、早くもシンドバッドは煌帝国の領空へと指しかかろうとしていた。
だが、領土への侵入を許さない者がシンドバッドの行く手を阻む―――
突如、シンドバッドの目の前に星で形取られた『陣』。
まるで星座を描いたような魔法陣を、シンドバッドは以前マグノシュダットで目にしていた。
―――これは煉紅明の金属器から発動された『七星転送魔法陣』で、陣から陣へと山一つまるごと移動させてしまう魔法。
「それ以上はわが国への侵略とみなすぞ。シンドリア国王よ。」
星の魔法陣から姿を現したのは、陣を発動させた本人の煉紅明と、煌帝国第一皇子の煉紅炎だった。
煌帝国へは正面から門を叩くわけにも、ましてやスパイまがいの強行突破で入国するわけにもいかないのは承知の上。
元より、自分の存在に気付かれ国境にて国の主要人物と話をつけるほうが早いとシンドバッドは考えていた。
時間が無い状況において、紅炎に足止めされるのは願っても無い事だった。
「私は侵略を目的として来たのではない・・・この者が『砂漠セアカ毒蜘蛛』に噛まれたのだ。どうか、解毒剤を譲って欲しい。」
挨拶も礼も無く、なりふり構わず解毒剤を申し出るシンドバッドを見て、紅炎は眉を寄せる。
「セアカ毒蜘蛛に噛まれた?シンドリアには生息していない蜘蛛だろう?あの猛毒の蜘蛛に噛まれて今まで解毒剤を飲まずにいたのにまだ息があるのか?」
「噛まれてすぐに身動きせず身体を倒して毒の回りを遅くしたからな・・・その上、こいつは毒に強い体質なんだ。」
近寄ってくる紅炎に敵意が無いのを見極めてから、シンドバッドは腕の中に抱いているジャーファルを見せる。
今まで覆っていた布が取り払われると高熱でうなされ息絶え絶えのジャーファルの顔が紅炎の視界に映った。
「なるほど・・・まだ息はあるな。だが、解毒剤を飲まなければ命は無いだろう。」
「頼む。紅炎殿!解毒剤を・・・ジャーファルを助けてやってくれ!」
あの猛毒の蜘蛛に噛まれて生きているジャーファルという人間に興味を持った紅炎はニヤリと口角を吊り上げた。
何よりも、一国の王がここまで取り乱し必死にさせるジャーファルの正体を見極めたいと思った。
「セアカ毒蜘蛛の解毒剤なら我が国にある。ただし、解毒剤は症状によって数回に分けて服用しなければならないのでな。そちらの者は私が預かろう。」
「ジャーファルを煌帝国へ?」
解毒剤だけ手に入れば、その場でジャーファルに飲ませるつもりだったシンドバッドは紅炎の申し出に戸惑う。
「私が国に連れ帰り治療するだけだ。だが、シンドリア国王を独断で招くわけにもいかなからな・・・その者だけを渡してもらおうか」
紅炎が後ろの紅明に目配せをすると、紅明がシンドバッドからジャーファルを引き離す。
ジャーファル、と。悲痛な声がシンドバッドの口をついて出てくるのを、紅炎は目を細めて見ていた。
「紅明、急ぐぞ。手遅れになってはいけない。」
「はい。紅炎様。」
背後に広がる魔法陣の中へ、ジャーファルを抱えた紅明が吸い寄せられるように入っていく。
その後を追って、紅炎が陣に身を滑り込ませた。
「ジャーファル!」
引き止める事も、奪い返す事も出来ないシンドバッドは、ただジャーファルの名を呼ぶしかない。
どうか、どうか―――
大切な人を。愛する人を。助けて下さい。
そして、また再びこの腕の中へ帰って来るように・・・・
シンドバッドは、ジャーファルと同じ銀色の輝きを放つ月を見上げて祈った。
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つづく。