マギ

□優しい命令
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『ソレ』はひっそりとそこにあって、ただ、待っていた。


 忘れられた記憶の欠片を呼び覚ますため―――










「・・・幻想の森・・・ですか?」

ヤムライハがテーブルに広げた地図を見ながら、不思議そうに声を上げたのはシンドバッド王の背後に控えていたジャーファルだった。

「はい。シンドリアの最南端に広がる森なのですが、ここを領土として開拓してはどうかと思いまして。」

大きな真珠が埋め込まれた魔法の杖で地図の位置を示してヤムライハは意見を続ける。


「この森は広大な面積を有しているにも関わらず、これまで居住地にもされずにいました。それは土地のルフが乱れているせいで人々に何らかの悪影響を及ぼしてしまうからなんです。」

「ルフが乱れてる?・・・それが『幻影』と呼ばれる由縁か。」

ヤムライハの言葉にシンドバッドは眉を寄せる。

しかし、その目は興味に沸いているのか輝いて見えた。

もともと冒険好きの迷宮攻略者だ。

しかも、小さな島国内で領土を確保出来るとなれば一国の王として興味が沸かない訳がない。

「調査次第では、魔法で森が見せる幻想を何とか出来るかもしれませんね。どうなさいますか?シン。」

シンドバッドよりも興味を示すジャーファルが耳元で指示を仰いでくる。

シンドバッド王が事あるごとに受け入れる難民によりシンドリアの居住区は狭く限られていた。

その事態に日夜頭を悩ませている政務官のジャーファルも使える土地が増えるのは願ったり叶ったりだ。


「分かった。早速、その森の調査に向かうとしよう。」

王である自分が自ら森の調査に向かうべく席を立ったシンドバッドに、ジャーファルやヤムライハも当然のごとく従う。


かくして、好奇心旺盛で探究心の強い野心溢れる三人組が王宮を後にして、森へと出掛けたのだった。



シンドリアの南端にある森まではヤムライハの飛行魔法ですぐに到着する事が出来た。

しかし、ルフの乱れに邪魔をされ、実際には森の近くにまで来ただけで、後は徒歩になった。

「ヤムライハの魔法を打ち消してしまうとは・・・・予想以上に厄介な場所だな。」

「そうですね。ですが、この森は緑が豊かで湖もありますし・・・開拓して田畑を耕すにはもってこいの土地なんです。」

草木が生い茂り行く手の阻む道なき道を進みながら、三人は森の奥を目指していく。

やがて木々により太陽の光を遮られてうっそうとした森の中へ足を踏み入れる頃、いきなり『幻想』と呼ばれるまやかしの洗礼を受ける事となる。



「・・・ジャーファル。」

先頭を歩いていたシンドバッドが急に足を止めたかと思うと、振り向きもせずジャーファルの名を呼ぶ。

名を呼ばれたジャーファルは当然、なんでしょうか?と小首を傾げて主に歩み寄る。

二人の距離が縮まった瞬間―――


「ジャーファルッッ!!」

「へっ!?え?うわああっ!!?」

名前を叫ぶシンドバッドの声とジャーファルの悲鳴がほぼ同時に重なったかと思えば、次にはもうジャーファルはシンドバッドの腕に抱きしめられていた。

がっちりと音までしそうなほど逞しい腕に締め付けられたジャーファルは驚きと苦しさでジタバタと暴れている。

「シ、ンッ!くるっし・・・何!?離してくださ・・・っ!」

華奢な身体を拘束されたジャーファルは、逃げる事を諦めてなんとか息継ぎをしようとシンドバッドの胸から顔を背けると、そのまま頭上のシンドバッドを見上げた。

「ジャーファル・・・」

「・・・はい?」

見上げれば、ぶつかり合う視線。

見詰め合ったまま、シンドバッドは愛しそうにジャーファルの名を再び呼んだ。

そして、己の腕に抱きしめたジャーファルにそっと囁く・・・・


「ジャーファル・・・俺の子を産んでくれ。」







―――刹那、森の中に『バキィッ!』という鈍い音が響いた。


珍鳥、パパゴラスが飛んで行くその下で、シンドバッドは赤く腫れ上がった頬をさすり、ジャーファルとヤムライハの後をトボトボと歩いている。

ぽつり、と『俺、そんな事、言ってねぇけど・・・』と零したのをジャーファルは聞き逃さなかった。

「何、とぼけているんです!?ヤムライハの前でとんでもない事を口走っておいて!!」

「だから、それは人を惑わせる森のせいだろ!?」

「アンタの場合は普段からそんな馬鹿な事ばかり考えているから簡単に惑わされるんですよ!この変態!」

ルフの乱れによって人に幻覚や幻聴を引き起こしてしまう『幻想の森』。

その作用で引き起こされる幻覚は人によっては様々で、ほとんどが『普段抑制されている感情』が表立ってしまう事が多いという。

つまりは、自分の願望がそのまま幻覚となって現れてしまい、結果、人は理性を失い本能のままに行動してしまうという訳だ。

そんな説明を受けた後に、シンドバッドから『俺の子を産んでくれ』なんて言われたジャーファルは・・・


(あーあ・・・ジャーファルさんったら、耳まで真っ赤にしちゃってる。王様に迫られて動揺してるのね。可愛い。)

二人のやりとりをヤムライハは後方で見物している。

ちなみに魔道士である彼女には、ルフが見えるため、ルフからの影響を回避出来る。

それゆえ、幻影の森にいても別段影響を受ける事無く、なおかつ、シンドバッドとジャーファルの行動を観察することでより詳しい森の調査が出来たのだ。

「とにかく、貴方は私たちから離れて歩いて下さいね。」

「あ、ひどい、王様、泣いちゃう。」

裏返した掌で『しっ、しっ』とシンドバッツドを遠ざけて、ジャーファルはスタスタと先に進む。

さすがは冷静沈着な政務官。幻覚に惑わされる事も無いのかも知れない・・・とヤムライハが感心していた時だった。


「シン・・・・」

シンドバッドの名を呟いて、ジャーファルは足を止める。

振り向きもしないで名前を呼ぶその姿は、先程のシンドバッドを思い出させた。

「な、なんだ?ジャーファル?」

まだ殴り足りないのだろうか?と、恐る恐る近寄ったシンドバッドの顔の横をジャーファルの腕が伸びてくる。

殴られるかと思わせた細い腕はシンドバッドの予想を裏切り、首の後ろでぎゅっと回された。

頬をくすぐる銀色の髪の感触に、シンドバッドはジャーファルに抱きつかれて抱擁を受けているのだと知った。

しかし、それはそれでシンドバッドの度肝を抜き、盛大に動揺させる出来事だ。

どうしたものかと対処に困り、わたわたと宙を舞うシンドバッドの腕の中、ジャーファルが不意に顔を上げる。

いつもとは少し違う熱を帯びた真っ黒な瞳にシンドバッドの姿を映すと、今度は濡れた唇が扇情的に動く。


「シン・・・私を抱いて。」


我が耳を疑うシンドバッド。

そして、目を点にしているヤムライハ。

完全に固まる二人を他所に、ジャーファルは華奢な肢体をシンドバッドに擦り付けてさらに迫ってくる。

「いいでしょう?ここなら誰もいない・・・」

「ヤ、ヤムライハが居るじゃねーか!?」

「王様!!私の事は気になさらず!!空気だと思って下さいっ!」

青空の下、甘い情事の攻防を繰り広げる二人にヤムライハは鼻息を荒くして『どうぞ、続けて下さい!』と声援を送る。

その間にもジャーファルが甘えた声でシンドバッドを煽っていた。

「逃げないで下さい・・・私を貴方のものにして?」

・・・・破壊力抜群の殺し文句である。


もう理性なんて吹っ飛んでしまえばいい。

いや、もうむしろ、この森のせいにしてジャーファルにあんなコトやこんなコトをしてしまいたい。

己の煩悩と戦うシンドバッドを前にして、苛立ちを隠しきれないヤムライハは事の始まりを今か今かと期待する。

(ジャーファルさんのあんな顔と仕草って初めて見るなぁ・・・なんか、女の私より色っぽいし・・・ああ、でもって、ジャーファルさんのこの行動・・・やっぱりジャーファルさんの願望なのかしら?)

怒らせると怖いジャーファルだが、普段は物腰も柔らかく静かで、そっと慎ましく王の背後に使えているジャーファルなのに、今はその面影すら無い。

それに対して七海の覇王にして数々の女性と浮名を流してきたはずの色男は動揺しっぱなしの情けない姿である。

いい加減に諦めて押し倒せっっ!いけ!犯れ!!と心の中でヤムライハが邪念を送っている最中だった。



「どうした?ジャーファル?」

突然、ピタリと動きを止めてしまったジャーファルを不信に思い、シンドバッドがその顔を覗き込む。

動きを止め、黙り込んでいるジャーファルは、ただ森の奥深くの一点を見つめていた。

何を見ているのだろうか?

そこには何も無い。

あるのは深い森の闇だけ。


 光の届かない場所。

 誰も居ない。

 何も無い。

それなのに、ジャーファルの耳に届く声―――
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